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2011.10.03
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カテゴリ:グラウンディング
8月から、3日間×3回に渡って、長野県の女神山にて
本郷綜海さんの「グラウンディング・コーチ養成コース」
初級~上級に参加してきました。

昨日、上級を終えて晴れてコーチとなり、
今後の活動にもグラウンディングのスキルをばんばん活かしていきますよー。

数日中には、新しい活動の概要をこちらにも告知します。





sekaito



養成コース、上級の2日目での出来事。

予め行き先は言わない決めない、そみさんのリードで
私たちはそれぞれ深くグラウンディングして、体の動きたがるままに動く、ということをした。

ハートにつながって、骨盤につながって。
最初はいつものように、ただ自分のエネルギーと、周りの空気との官能的な接触を楽しみながら、ゆっくりと舞うような動きをしていた。
きっとそれぞれが、同じようにひとりを楽しんでいたと思う。

そのうち少しずつ、周りのみんなと、向き合ってゆるやかに踊ったり、ハグしたり。
みんな、ものすごく繊細に柔らかくなっている。
女同士のハグでもお構いなしに、溢れかえってしまうエクスタシー。

ああ、これタントラじゃん、とぼんやり思いながら、気付いたらみんな折り重なってダンゴみたいになって、ほのぼの柔らかく呼吸する一つの生命体と化していた。

時々沸き起こる、泣き声や笑い声。何が起きても、みんなで柔らかく受け止める。

(ひとりふたり、群れから外れてくつろいでる人もいたけどね)

どれだけの時間、そうしてくつろいでいただろう。

それぞれが自分のいのちにつながって動くと、しまいにはみんな一体になってしまうのかもしれないなー。

その感覚を壊さないまま、外の自然を見てみて、とそみさんが言う。
テラスに出て、ざわめく木々を眺める。

あの時の感覚はなかなか忘れられない。

木々が、呼吸していた。
私たちと同じ柔らかさで、同じ官能の中で。

こんなに明らかに、生きてたんだ、木というものは!
今までどれだけ「ただの景色」として切り離してしまってたんだろう。
頭の中にある、記号としての「木」と、そこにある本当に生きている木は、まったく違う姿をしていた。

ひと呼吸ひと呼吸、吸って吐くたびに、木々と自分がつながっていることを感じる、まるで大きな一つの生命体であるような。。

そんな時間の後に、感じたことを絵にしてみて、と言われて描いたのが、冒頭の絵。
添えた言葉は「ここからつながる。世界と呼吸する」

柔らかい炎のようなものは、私の体の中にあるエネルギーで。
そこから柔らかく、世界とつながる。
つながって呼吸する。

5分くらいでささっと描いた絵では、うまく表現できなかったけど。
世界とのつながりは黄金色にきらきら輝く繊細なエネルギーと感じてて、うーん、絵だと黄色い線で微妙に描いてあるけどね。







さて、この経験をさっきぼんやりと思い返していて、いろんなことがつながってきた。

ここ最近、グラウンディングすることで自分に起きてきた変化、世界との関わり方が、あの時間にはより深く繊細に濃縮されていて、だから「こういうことだったんだ」と、ぼんやりしていたものが明確に言語化できてきた。

この数年、ベリーダンスやらあれこれの経験、出会った本なんかを通じて「性=生=聖」ということを強く意識していて。

性エネルギーの抑圧が、人間の、社会の歪みを生んでいる、ということに関しては、ほぼ確信していたんだけど。

じゃあ、どうするのが、どうなるのが望ましい形なのか?という部分が、うまく思い描けなかった。

性の抑圧を解放する、という時、いわゆるフリーセックス、もしくはそれに近い形で実現している人たちというのもいて、でも正直なところ、私にとってそれは心地よい選択とは思えないのね。

でも、じゃあどうするの?
抑圧か解放か、その2択しかないの?
と考えると、何だか眉間にシワが寄ってしまう、イヤーな感じで。

でも、分かったよ。
やっと私の中で、はっきりした。

性というのは本来、現代人が一般的に捉えてる、いわゆるセックスという狭いところに押し込めてしまえるようなものじゃないんだ、たぶん。

生きてただ呼吸していることそのものが、世界のあらゆるものとの関わりが、本当は官能的で。
呼吸みたいに当たり前に、世界の全てと交歓する。それが本来のあり方で。

その広大で自然な性を抑圧して、セックスという狭い狭い部分にだけ押し込めてしまったことがきっと誤りで、セックスを抑圧したのが誤りだったわけじゃない。と思うわけ。

むしろセックスは、抑圧された性エネルギーの、ある意味はけ口みたいなものなんだろう。

あらゆるところに充満するべき官能をフタしてしまって、セックスでだけそれを許したら、それはもう、セックスが異様に特別な意味を持つのも不思議じゃないだろう。

まるで水の中でずっと息を止めた後に水面で必死に呼吸するみたいに、他で許されない官能を味わえるセックスに、みんなが執着するのも無理はない。

つまりハートや性エネルギーが、あらゆる瞬間に開くことを許すこと。それが本当の、性の解放なんだと、私は思うのよ。決して、セックスで暴走するのが、性の解放では、にゃい!(かなり声を大にしたい)

そういえば古代マヤの性教育だって、まずは花の美しさを感じるところから始まるって言うじゃない。
その意味が、あの木々との時間の後だからこそ、本当によく分かる。

この2年くらい、一人でただ何もせずいる時でも、エクスタシーを感じる、という状態に時々なっていて。
どういう仕組みでそれが起きるのか、最初はよく分からなかったけど。
経験的に、深く呼吸して、体の感覚の中に繊細に入っている時、それは起きるな、と思っていた。

今回グラウンディングのコースに参加して、日常の全てを、グラウンディングして過ごす、ということを意識するようになって。

グラウンディング。
一般的な定義では、大地とのつながり、といった意味合いで使われることが多い言葉だけど。
そみさんが教えてくれるグラウンディングは、大地以前に、自分自身の肉体、自分自身のエネルギーとつながることだった。

そしてそれはまさに、私がこの2年ほどで時々経験するようになっていた「あの状態」のことでもあった。

あの状態が、最近では当たり前になって、最近の日記では「常時接続」なんて表現したりもしたけどさ。

官能をセックスだけに押し込めない。人生の全てに甘い喜びを広げていい。

そうあって初めて、セックスとの健全な関係も成り立つように感じている。ちょっとまだ、いろいろ実験段階な感じではあるけどね。

ふー。わりと渾身の日記でございました。読んでくれてありがとう!





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最終更新日  2011.10.03 08:15:07
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