忌野清志郎さん
小学生の時に家電メーカー系列で勤めていた親の関係で当時発売して間もないレーザーディスクというもののモニターを1週間することになった。プレーヤーと一緒に何か1枚だけ希望したソフトを貸してくれるという。何のソフトを借りるかで兄弟で話し合ってなぜか「RC SUCCESSION AT BUDOHKAN」を借りることになった。これに前後して長女が「Yeahhhhhh...at武道館」というカセットテープを入手してきた。私は当時ビックリハウスという雑誌で見た、化粧して髪の毛をツンツンに逆立てた不思議な人のいるRCサクセションというバンドに大変興味を持っていたが、動く映像を見たのはこのLDが最初だった。まだ年齢が二桁になるかならないかの頃だったがもう馬鹿みたいに踊り狂った。それはファンだとか好きだという感覚より「ライブとはこういうものなんだ」と大人に教わったのだと思う。人生のレールを踏み外す音が聞こえた瞬間である。一度、渋さ知らズのO-Eastライブにシークレットゲストで清志郎さんが来てくれたことがあった。スローバラードと雨上がりの夜空にをやった。リハーサルで片山さんが「渡部がスローバラード歌えるよ」と言って、私が楽屋にいる清志郎さんの代わりに歌ってバンドだけのリハをすることになった。役得だと思って清志郎さんの居ぬ間に渋さの演奏でスローバラードを歌った。もうファン丸出しの物まねみたいな歌い方。まるで酔っ払いのカラオケのように自己満足丸出しで熱唱した。演奏が終わって、じゃあバンドはなんとか演奏できそうだから清志郎さんを呼ぼうということになると、なんと清志郎さんはステージの前でそのリハを見ていたのだった。もう死ぬほど恥ずかしかった。本人の前で・・・。もうライブ前なのに家に帰りたくなった。その後、清志郎さんの歌リハはもう感動的だった。ボーカリストというのはこういうものなんだと圧倒的な歌と声だった。やっぱ本物はすげーなーと思った。その後、LOVE JETSのライブに渋さを呼んでくれたり、フジロックの会場や円山町の道端で(偶然を装い)ばったりお会いしたりしたこともあったけど、親しく話をするなどとんでもない、いつも「はじめまして」と自己紹介をしてしまうほど私にとってスペシャルな人でした。お疲れ様でした。ありがとうございます。また何かやってください。よろしくおねがいします。