2011/01/05(水)03:58
64. 運命・宿命
64-a (永遠の生命を持つ人間の宿命と自由意志 =1=)
質問: 宿命というのは地上生活の中でどの程度まで働いているのでしょうか。そもそも宿命とは何かをご説明ねがえますか。先天的宿命というのは外部の力なのでしょうか、それとも自分で選んだものなのでしょうか。あなたは再生説を説かれますが、それはなぜなのか、どういう意義があるのか説明してください。
それはどちらでもあります。ある種の外部の力があなたにその道を選択させたということです。あなたには自由意志と同時に宿命もあります。もしも地上人生とは物的生活を総合したものだと考え、それで満足できる人は、それはそれでよろしい。が、現在のその肉体に宿っている霊---必ずしも同じ側面とはかぎりません---が以前にもこの地上で生活したことがあることも考えられます。あなたは一個の大きなダイヤモンドの数ある側面の一つであって、各々の側面が全体の進化のために異なった時代にこの物質界へ顔を出していることも有りうるのです。
『シルバー・バーチの霊訓 (9)』(近藤千雄訳)
潮文社、1987、pp.132-133
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64-b (永遠の生命を持つ人間の宿命と自由意志 =2=)
質問: 大きなダイヤモンドの側面の一つである、つまり私は類魂の一つであるという意味だと思うのですが、もしも生命が永遠だとすると、他の類魂の体験を必要とするというのは論理的におかしいように思えます。
全宇宙を通じて作用と反作用が営まれております。はるか彼方にいる者でも、あなたが叡智を身につけていく上において多大な影響力を行使することが出来るのです。人間は身体的にも精神的にも霊的にも孤立状態で生きることは有り得ないのです。それをグループソールと呼んでもダイヤモンドと呼んでも、所詮は用語を超越したものを表現するためにあれこれと用語を使ってみているにすぎません。
"あなた"とはいったい誰なのでしょう。その"あなた"という存在はいつから始まったのでしょうか。あなたという個的存在は受胎の瞬間から始まったのでしょうか。"アブラハムが生まれる前から私は存在している"とイエスが述べておりますが、それはどういう意味かお分かりですか。"霊としては私は常に存在していた"という意味です。あなたもそうですし私もそうです。インディビジュアリティの断片が異なった時代に物的世界に顔をのぞかせたということは有りうるのです。
私の説が受け入れられないとおっしゃる方と論争しようとは思いません。私は同志の方にも、ご自分の理性が納得しないものは拒絶しなさいと申し上げております。もしも私があなたから好感をもっていただけたら、そして愛ともいうべきものを頂戴できたら、それはあなたの理性が私の述べていることを真実であると認めたからであるに相違ありません。もしも理性の認可を得た上での好感を勝ち取ることが出来ないとしたら、それは私たちの仕事が失敗の運命にあることを意味します。われわれはこれまでに得た知識を土台とし信頼し合わなくてはいけません。基盤に間違いがないことを確信した上でなくてはいけません。そこから、ゆっくりと着実に、より高い道を目指して、手を取り合って開拓していきましょう。
あなたには、これから先、うれしいことがたくさん用意されております。イヤなことがないという意味ではありません。難問はつねに振りかかってきます。逆境にも遭遇します。あなたは完成された世界の完成された存在ではないからです。あなた自身が不完全であり、世の中も不完全です。しかし、あなたには自由意志があり、世の中の不完全とあなた自身の不完全を取り除いていくための力となる素晴らしいチャンスが用意されています。そこにあなたの仕事があります。
いかなる知識にも、それをいかに活用するかについての責任が付加されます。それはあなたへの一つの信託がなされたということです。その信頼を裏切ってはなりません。あなたがその知識を得るにふさわしい人間であったと同時に、これから先あなたに受け入れる用意ができた時に授けられる次の段階の知識に対しても十分な資格があることを、あなた自身の生活の中で身をもって示さなくてはいけません。
『シルバー・バーチの霊訓 (9)』(近藤千雄訳)
潮文社、1987、pp.133-135
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64-c[56-v] (運命の枠組みの中で潜在的神性を発揮するのが人生の目的)
人生には目的があります。しかしそれは当事者が操り人形でしかないほど融通性のないものではありません。笛に踊らされる人形ではないのです。人間の一人ひとりに神の分霊が宿っており、一人ひとりが無限の創造活動に参加できるのです。つまりあなたには個的存在としての責任と同時に、ある一定限度内での自分意志が与えられているのです。自由といっても、大自然の法則の働きを阻止することができるという意味ではありません。限られた範囲内での選択の権利が与えられているということです。運命全体としての枠組みはできております。が、その枠組みの中であなたが計画された予定表に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第ということです。
『シルバー・バーチの霊訓 (12)』(近藤千雄訳編)
潮文社、1988、p.198