2008/08/14(木)02:36
ほとけさん
猪苗代湖からなかなか出られません。
「みんなに来て貰うから仏間片付けた」
と母は言った。
覗くと、使っていないステレオの前に、応接セットの椅子だけを4つ、並べてあった。
「ヘルパーさんに動かしてもうてんけど、事務所から電話で注意された。部屋の模様替えは、ヘルパーにさせんといてください。便利屋さんか引越し屋さんを頼んでください、いうて」
「そうやろ。要らんことせんでもよかったのに」
「そうかて、みんな来るのに」
「みんな来えへんよ。ここの仏さんは、うちらの先祖さんと違うから」
母は、終戦後再婚した。
「ああ、そうやなあ。みんなめいめいのお墓参りせんならんわなあ」
寂しそうに得心した。
私は、38歳で亡くなった父が好きだった。もの心ついた時から使っていた苗字も好きだった。祖母も、「お兄ちゃん」と呼んでいた叔父も、時々帰って来るお菓子職人の叔父も、日本髪がよく似合う綺麗な叔母も好きだった。
お兄ちゃんも叔母も子供が無くて、お菓子職人の叔父は独身のまま戦死したから、私が生家のお墓を建てた。
私の生家は、なん十年経っても母にとっては、姑小姑、小舅のいる婚家でしかない。
なん十回も聞いた「空襲で逃げた話」を聞いていると、ヘルパーさんが葉書を持ってきた。
石光寺からで、「おまいりの日程は、8月11日午後1時です」とあった。11日ってなんだ? お盆でもないのに来て貰って2万円もは損な気がする。
「お寺、11日やて」
「来てくれるやろ? あんた」