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カテゴリ:医療かわらばん
今日、明朝にクロベエが永眠しました。40歳でした。
チェッカーズのファンとしては、チェックの衣装を着て ドラムを叩いているクロベエの姿が目に浮かびます。 チェッカーズとともに年を取ってきた私。 アブラーズもクロベエをリーダーとして再結成されたところなのに。 とても残念です。 今、ここにある「アブラーズの心」再結成ライブビデオが 遺作となってしまいました。 クロベエの元気な最近の映像は、これしかないのです。 私にとって、とても大切なものになりました。 ありがと!クロベエ!ゆっくり休んでください。 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 元チェッカーズのドラマー・徳永善也さん、舌がんのため死去 “クロベエ”の愛称で親しまれた元チェッカーズのドラマー、徳永善也さんが17日午前4時49分、横浜市内の病院で舌がんのため死去した。40歳の若さだった。昨年9月にHPで「舌がんの治療のため、入院することになりました」と告白。入退院を繰り返していたが、藤井フミヤ(42)らチェッカーズの元メンバーらに看取られて、安らかに息を引き取った。たびたび囁かれた再結成は、夢に終わった…。 いつも笑顔を絶やさなかった徳永さん。亡くなる直前まで優しい笑顔を見せていた。 関係者によると、死期を悟った徳永さんの親族は、チェッカーズのメンバーだった武内享、フミヤ、大土井裕二、藤井尚之と、一緒に活動していたグループ、WILD-Gのボーカル、隈富太郎の5人を病室に呼び寄せた。徳永さんは、さながら同窓会のような雰囲気の中で、安らかに眠るように天国へ旅立った。 徳永さんが体調不良を訴えたのは昨年9月。舌に違和感を覚え病院で精密検査を受けたところ、舌がんと診断された。入院直前にはHPで「舌がんの治療のため、しばらく入院することになりました」とファンに報告。「先生から『命に別条はない』と聞いて安心しました」と完治することを信じていた。 一度は放射線治療などを受けて年内に退院し、今年1月には東京・原宿ルイードで再びステージに立った。だが、直後に再入院。闘病生活を送っていた。7月23日には気力をふり絞り、病室から東京・新木場のスタジオコーストで行われたアブラーズ(徳永さん、武内、大土井、尚之のバンド)のライブに出演し、1曲だけドラムを叩いた。この時は、フミヤが楽屋を訪れ「頑張れ」と励ました。これが最後のステージとなった。 徳永さんは昭和56年、16歳の時に福岡の人気アマチュアバンドだったチェッカーズから腕を買われて、強引に加入させられたエピソードを持つ。同グループは58年にデビュー、翌59年に「涙のリクエスト」でブレークした。同年から9年連続で紅白歌合戦に出場するなど国民的バンドに成長。その最年少メンバーとして、徳永さんはみんなからかわいがられた。 平成4年の解散後は別のバンドを結成して活動したが芽が出ず、5年前に一度は引退した。だが、音楽が忘れられずカムバック。アブラーズとWILD-Gのドラマーとして活動してきた。 たびたび再結成がうわさされてきたが、クロベエの華麗なスティックさばきでメンバーが歌い演奏する姿は、もう見ることができない。 今後は親族だけで密葬を執り行い、後日、看取った5人が発起人となって「徳永善也を送る会」を都内で行う。(サンケイスポーツ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年08月19日 02時24分59秒
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