げんきはうす

2006/11/17(金)18:05

私がカードを使うわけ

療育と構造化(150)

カードを使うのは勇気がいる。 というコメントをいただきました。 そうですね。そうだと思います。 私がなんでこんなにカードやスケジュールを使っているのか? それはちゃんと理由があります。 げんは不安が強く、不安からくるすごい他動でした。 言葉はないし、他動がひどいし・・・ ちょっと目を離すとすぐいなくなってしまって 今生きているのが不思議なくらい。 その当時は「なにかある!」と思いつつも なにもしない日々でした。 しかし、だんだんそれはひどくなるばかり。 何度も書いたとは思いますが・・・ 長男の幼稚園の卒園の謝恩会のとき 父母の会の副会長さんにこんなことを言われました。 「なんでこんな子連れてくるの?」 当時、三男は新生児。実母は実父の転勤についていってしまったので 頼るところも預ける場所も無かった私。 でも長男の幼稚園の最後のイベント。 ちゃんと出席させたかった。 例年ならちょっと遊んでお菓子を食べて終わりのはず。 でもその年はお弁当を食べて半日がかり。 三男にばかり気を取られ げんは他のお母さんにだっこを求めた。 そのお母さんは快く抱っこをしてくれたのだけど 腰の悪い人だった。 それをすかさず見た副会長さん。 「なにしてんのよ!○○さんは役員だから明日も(やることが)あるのよ! ○○さん腰が悪いのに!なんてことさせるのよ! なんでこんな子連れてくるの!」 みんなの前で大声で言われた。 その場では私はひたすら謝るだけだった。 でも、そのあと悔しくて悲しくて・・・ なんで私だけこんな目に? と泣きながら家に帰った。 だけど・・・ 本当に傷ついているのは私ではなくげんだった。 翌々日、副会長さんはもうけろっとして げんに挨拶をした。 「げんげんおはよ~」 げんはその副会長さんが大好きだった。 よく抱っこを求めた。 とてもなついていた。 しかし、このときげんは無視した。 無視というよりもげんにはその人が見えなかったという感じだった。 げんは言葉はわからないけど 自分のことを言われることにとても敏感だ。 自分が怒られたことを敏感に感じて その場は平然としていたがすごく傷ついていたんだと思う。 だから、自分の中でなかったことにしたんだと思う。 そして、げんの中で副会長さんの存在を消し去ったのだろう。 その後、げんは副会長さんを見ることは一度もなかった。 このままではげんはトラブルを起こすたびに 誰かの存在を消してしまう。 私は焦った。なにかしなくては! 言葉を増やすように言葉のシャワーを浴びせたら げんは笑わなくなった。げんの一番苦手な言葉。 やるべきではなかった。 私はこのときに気づいた。 違う!なにか違う。 そこでやっと言葉相談なるものを受けた。 自閉症と言われた。 すごく納得がいった。 「げんちゃんは目に見えないものに弱いんです。 言葉とか気持ちとか感情とか 目に見えるものにはすごく強いんですよ!」 私はすぐにげんと三男と3人で松風園に通うことにした。 園で行われる療育を全部まねした。 げんはどんどん変わっていった。 自傷して顔中傷だらけで 私もたたかれてあざだらけで 本当に本当に泣いて暮らしたあの日々はなんだったの? 病院の待合室で図書館でお店で 何度この言葉を言われたか? 「なんでそんな子連れてくるんだ! そんな子家に閉じ込めておけ!」 私は私は本当に辛かった。 でも、本当に辛かったのは私ではなくげんだった。 げんが楽しく暮らせるように。 げんが生きていて楽しいなあと思えるように。 そのためなら私はなんでもする。 そう思っていた。 だから、げんとカードやスケジュールでやりとりするのに 勇気なんて全然いらないんです。 使わないでげんがパニックになって また「そんな子なんで連れてくるんだ!」 と言われてげんが笑わなくなる方が 私には辛い・・・ それに私カードをつくったり構造化したり 「こうしたらいいかな?」 「ああしたらわかるかな?」 と考えるの大好きだし、楽しいし。 今ならげんが私の子どもに生まれてくれてよかった。 って素直に思える。 以前の私には考えられないけど。 なんかの本の題名にありましたよね? 「困った子ではなく困っている子」 当時のげんはまさにそれでした。 成長したら療育したら またまた問題はでてくるんだけど 違う。それは昨日までのげんとは確実に違う。 子どもはスピードは違っても必ず成長する。 障害があっても必ず。 この言葉を信じて。 楽しい未来を信じて。 今日もげんとカードのやりとりです。

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