松陰神社の松の茂る清浄な境内を進むと、吉田松陰歴史館等をすぎると、左手に「松下村塾」があります。吉田松陰は、1857年(安政4年)年出獄して、杉家に幽閉中、叔父玉木文之進の松下村塾を引き継ぎ、安政の大獄により29歳で刑死するまでの2年半、若き門下へ新しき日本を拓く実践の道を熱く説きました。
この松下村塾は、杉家の物置小屋を改築したもので、質素な小さな建物です。藩が作った学校である明倫館へ入学できないような下級武士の子弟が多く学んだことも有名な話です。明治維新は、師の構想を実現するために、戦った弟子の歴史です。その原点がここ松下村塾にあります。あなた自身の変革もこの地から・・・。
それは人格の修行を柱とし、社会に有用な人材の育成を眼目とするもので、塾生の個性を尊重し、常に当時の世界の形勢、日本の実情にたって、内憂外患の危機状況にいかに対処して行動するべきかという強い問題意識に支えられていました。
塾には厳正な規則を定めず、生徒を率いるというよりも相互に親しみ助け合い、尊敬信頼し、互いに魂のとびらを開いて交わらせるという人間教育でした。
魂と魂が通じ合う、士分の者も足軽の子も平民の子も差別のない教育を行ないい、学問をただ学問として学んだり、あるいは仕官の道として学ぶのではなく、時代につながり、生きた学問を実践したのでした。
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