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カテゴリ:音楽
以前から疑問に思っている言葉がある。
たとえばどういうわけか、幻泉館周辺では害虫駆除のために殺虫剤を撒布することを「消毒」というのである。 違うだろ、それは毒を撒いてるんだろ、といつも思う。 うちの猫が心配である。 「殺菌消毒」というようによくセットで使うから、「殺菌=消毒」という間違った刷り込みが行なわれたのだろう。 殺菌とは毒消しではなくて、毒を塗布したり撒布したりすることだ。 それがさらに「殺虫=消毒」と増幅されたのだろう。 殺虫剤の毒性を隠すための、意図的な誤用かもしれない。 法律の名前になってしまっているが、「地方自治」も間違いだと思う。 これはたとえば、local governmentやmunicipal governmentの誤訳が定着してしまったのではないだろうか。 これも誤訳じゃなくて、わざと、かな。 こんな言葉はないけど、誤解に対する曲解のように、「曲訳」。 localやmunicipalはある限定的な「地域の」という意味を表わしているのであって、断じて中央に対する地方ではない。 「自治」の方も二種類意味があって、住民が自らの意志で決定するという意味の「住民自治」と、中央政府に対して地方政府が自立的に意志決定するという意味の「団体自治」がある。 本当は「団体自治」のことなのに、「住民自治」と勘違いさせるような用法が多い。 う~ん、こいつも誤用じゃなくて、意味のすり替えをわざとやっているのか? ま、「地方自治」なんていいかげんな言葉が大手を振っているかぎり、ニッポンでは地方自治なんぞ実現しないということらしい。 そしてネットをうろうろしていて気づいたのは、「差別用語」という言葉を使う人は、差別というものに対して無自覚に言葉を用いることが多いらしいということだ。 googleで「差別用語」を検索すると、サンプルが見つかるだろう。 これに気づいたのは、あの今は亡きLycosダイアリーの自称論客たちがそうだったから。 放送や出版の世界にそういうリストがあると思われているのだが、正確には「差別用語」ではない。 言葉狩りだと言って差別糾弾闘争を批判する人がいるが、実際に言葉狩りを行なうのは、「差別用語」があると思って、自主規制を行なう者たちである。 差別的な言葉の用い方は、もちろん存在する。 その場合は差別語という言い方もできる。 しかし、「差別用語」などという、安直な用語は存在しないのである。 今私は「自称」という言葉を非常に差別的に用いてしまった。 すまん、オレはいやなやつだ。 「自称論客」などといういやらしい言い方ではなく、「ファシズムの露払い」「権力の番犬」と、わかりやすくストレートに言ってやるべきだった。 「自称」に関しては、以前新聞記事で驚いたことがある。 のどかな県で起きた些細な事件でつかまった人が「自称哲学者」と書かれていたのだ。 だいたい私は「詩人」や「哲学者」という肩書きに憧れていた。 なぜかと考えたら、実は今の日本にはそういう職業が存在しないからだということに気づいた。 詩人や哲学者はいくらでもいるじゃないかと思われるかもしれないが、本当にそうだろうか。 職業詩人として生活できる人は、谷川俊太郎さんぐらいではあるまいか? おおむね「詩人」「哲学者」は、職業としては大学の先生であったり、雑文書きで糊口を凌いでいることが多いようだ。 つまり、それでは生活できないから、私は憧れたのだろう。 流行らない喫茶店のマスターみたいなものである。 漱石の「猫」に出てきて実業家の悪口など言っている、あの素敵な面々。 実際は職業ではなくて、誇りとか名誉に近い。 だからこそかっこいい。 そんな風に思っている者に最も大きな打撃を与えるのが、この「自称」という接頭辞である。 万が一私が些細なことで塀の向こう側に行きそうになったりした時に、「自称詩人」「自称哲学者」「自称ヒマな喫茶店のマスター」などと報道されたら、私はもう二度と立ち直れないことだろう。 ああ、本当は「放送禁止歌」を語りたかったのだが、失敗。 「替え歌」つながりで、以前Lycosダイアリーに書き込んだものを掲載しておきます。 岡林信康「アメリカちゃん」。 関西フォークの第一世代である高石友也&岡林信康は、共に壁にぶちあたって蒸発したり、アメリカに行ったりします。 私がこの人たちの歌を聴いたのは、その後のことです。 中学生の時に同級生からそのお兄さんの所有物であるレコードを借りました。 ビクターから出ていた『岡林信康の世界 第2集』です。 一晩で返さなければならなかったのですが、まだテープレコーダーを持っていなかったので、何度も何度も繰り返し聴いて歌を覚えました。 数年前に中古で第1集と第2集を手に入れて、手製復刻CD-Rを作りました。 初期岡林信康はいわゆる「放送禁止」曲の宝庫でした。 以前東芝EMIが出したURC音源の復刻CDにも、こっそりと消された曲があります。 「はっぴいえんど」がバックを演ってるために傑作ということにされ、若者が買ったりしていた『見るまえに跳べ』(1970年)。 「ロールオーバー庫之助」がカットされました。 早川義夫さんの作品なんですが、ヒット作曲家だった浜口庫之助さんを揶揄しているため、ギョーカイ人が自粛しちゃったという感じ? (え~い、尻上がりにしゃべるな、気持ち悪い!) 同様に、『岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き』(1971年)からは「ヘライデ」がカットされています。 もちろん皇室を揶揄した歌詞だからです。 『狂い咲き』CD版には、「この作品は1971年に録音されたものであり、当時の音楽背景を知る上での貴重な音源として復刻しました」と書いてあります。 ところが、あらあら、こっそり1曲消してあるのね。 どんな曲をなぜ削ったのか書かなければ、「当時の音楽背景を知る上での貴重な音源として復刻」したことにはならないでしょうにね。 東芝EMIのやり口は汚いと思います。 こういうアルバムは結局苦労してLPとCDの両方を入手するのでありますよ。 ついでに書いておくと、『1969 京都フォーク・キャンプ』というアルバムも、オリジナルのURC版LPと東芝EMIから出ていたCDは、選曲も曲順もまったく違うものでした。 2003/03/06(木) アメリカちゃん♪ 趣味日記-音楽,感想日記-社会問題,感想日記-音楽 時節柄、岡林信康さんの「アメリカちゃん」など思い出してしまいました。 1969年6月にURCが会員配付したLPに入っている曲です。 アルバムはA面が『岡林信康リサイタル』、B面が『休みの国』で、B面はCD化されています。 「アメリカちゃん」はこのレコードだけにしか入っていない幻の名曲(?)なんですが、替え歌の寄せ集めなんで復刻しにくいのでしょう。 WOWOWが90年代初めにやっていた番組で、永遠のフォーク少年坂崎幸之助&なぎら健壱の「東京フォークジャンボリーズ」が演ってくれました。 歌詞を一部消してましたがね。 レコードから聞き取ったものをメモしておきます。 岡林信康「アメリカちゃん」(1969年) (語り) これは世界の警察国家、世界の平和の守り神であるアメリカを誉め称えあげる歌である。 おお、偉大なるアメリカよ! あほらしこっちゃ。 ♪♪(主メロ) アメリカちゃん、アメリカちゃん、平和のために頑張ってや ほうれん草のポパイちゃん、金のベルトのバットマン 雨にも負けず、風にも負けず、男一匹どこへ行く アメリカや~、太郎 ♪(人生劇場) 義理が廃ればこの世は闇だ (語り) 泣くんじゃねえ、泣くんじゃねえ アニキゃ暗殺、弟もやられ、末の弟エドワード、こんな一家に誰がした ♪(アメリカ国歌) 頼まれへんのに平和を作ると、爆弾落とし地獄を作る ♪(思い出の赤いヤッケ) いつの日にか、このベトナムが 僕のものになると思ったが けどもうやめた、やめた~ ♪(スーダラ節) ちょいと半年のつもりでやって いつのまにやら泥沼へ 気がつきゃドルはスッカラカンのパ~ラパラ~ 戦争で銭儲けしたやつぁないよ わかっちゃいるけどやめられない あほれ ♪(新聞少年) 僕の名前を知ってるかい でしゃばりジョンソンというんだよ~ 戦争始めてもう5年 今じゃベトコンに追い出され~ ♪(ヨイトマケの唄) 苦労、苦労で死んでった~ 母ちゃん、見てくれ、この姿~ 父ちゃん、見てくれ、この姿~ ♪(からすの赤ちゃん) サトさん、サトさん、なぜ泣くの~ ジョ~ンソ~ンのおじちゃんの 核付きミサイル欲しいよ~ 原子力潜水艦も欲しいよ~ と、アンポ、アンポ~、泣くのね~ (♪♪ 繰り返し) アメリカばんざ~い! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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>...ギョーカイ人が自粛しちゃったという感じ?...
----- 失礼いたしました。わたくし、これを尻下がりに読んでしまいました。 個人的には、「1969年」を単純に懐かしいと片づけられないまま21世紀を迎えてしまいましたけど、ちょうど予備校に通うために上京した年で、西口地下広場でのフォーク集会はやっぱり懐かしいです。 岡林や高田渡のうたは、レコードこそ持っていませんが、よく歌いました。 (2003.10.06 03:06:15)
> 西口地下広場でのフォーク集会はやっぱり懐かしいです。
私が上京した時には、とっくに「通路」になっておりました。 忘れていましたが、小学生の時に虫プロの雑誌『COM』で永島慎二さんの「フーテン」を読んで、新宿でのフーテン生活に憧れたものでした。 アブナイ小学生だったなぁ。 (2003.10.06 03:43:22)
年齢詐称してしまいました。
「予備校に通うために上京した年」は、1968年でした。 どうも計算が合わないと思ったら、単純に1年まちがえておりました。 東大の入試がなかった年、69年に大学に入ったので、よく覚えています。あ、覚えていなかったのか......。...記憶が...。 そんなことより、ダンさんの「フーテン」、小学生だったとは!...しかも読んでいたんですか! 70年代に入ってから、ちょっとお金があったときに青林堂のハードカバー豪華本を買ったんですが、何となく変な感じでした。やっぱり COM で読んだときのあの感じが、豪華本からは伝わってきませんでした。 何冊か取ってあった COM を戸塚(今の西早稲田)の古本屋が欲しがったので、売りましたが、信じられないような高値で売れて、何ヶ月分かの食費になったという記憶は消えません。 私が上京した時には、とっくに「通路」になっておりました。 忘れていましたが、小学生の時に虫プロの雑誌『COM』で永島慎二さんの「フーテン」を読んで、新宿でのフーテン生活に憧れたものでした。 アブナイ小学生だったなぁ。 ----- (2003.10.06 10:20:57)
穴沢ジョージさん、こんにちは♪
小学生のころ、マンガ家になりたかったんですね。 『COM』の「ぐらこん」で故岡田史子さん、はせがわほうせいさんなんかのマンガを読んで、ショックでした。 私もすっかり忘れていましたが、吉祥寺でダンさんを見かけてびっくりしました。 『若者たち』に出てくる阿佐ヶ谷の喫茶店「ぽえむ」がチェーン店になったのには驚きでした。 ああ、いろいろ思い出した。 『若者たち』がNHKでドラマ化された時に出演していた保倉幸恵さんが自殺した時、とても悲しかったです。 (2003.10.06 11:43:59)
死ぬのはやつらださん、こんにちは♪
古い日記でごめんなさいまし。 結局アメリカちゃんはベトナムで全然懲りてないということですね。 メディアがヤバイと思います。 >岡林の曲って、かなりカットされているのですね。 > >放送禁止って自主規制だと知ったの最近です。 > >イラク戦争の映像は、意図的に規制されてますがね。 (2004.11.22 17:56:26)
最近、こういう反骨ソング少ない。軟弱なのばっかり。。
(2005.01.25 09:36:19)
TBをいただきながら,ゆっくり読ませていただいて異なかったのですが,アメリカ合衆国(「合州」訳せと言う人も居ますが)は私にとっても気になる国です。自分のような中年留学生を大学院に受け入れてくれたということもありますし(結局卒業は出来ませんでしたが),初めて(そして最後かもしれませんが)比較的長期間滞在した国でもあります。・・・と,余りマジになるのも野暮ですから,適当に岡林の前口上でお茶を濁します。
姉はインバイ,妹は芸者,末のチョロ末はばくち打ち。兄貴火葬場で骨拾い,俺は上野でモク拾い。 こんな一家に誰がした。 ・・・がーい骨が,けーらけら笑ってこう言った。♪ (2005.02.26 08:23:53)
なもさん、こんにちは♪
彼の国はあこがれの国であり、反発を感じる国でもありますね。 やっぱり育てられた部分があるので、今の若者より愛憎が強いと思います。 「反帝反スタ」という言い方がありましたが、気持ちとしてはすっと入ってきました。 しかし困るなあ、アメリカちゃん。 (2005.02.26 12:06:23)
幻泉館 主人さん
>彼の国はあこがれの国であり、反発を感じる国でもありますね。 行く前は,結構反発の方が強かったのですが,「懐の広さ」には感謝しなくてはと思っています。そして,内乱が起こっても不思議でないくらいいろいろな人が居るのに,南北戦争以来,一応内乱は起こっていないというのは,一応評価しなくてはいけないかなあと思いました。 >「反帝反スタ」という言い方がありましたが・・・ これは本当に「うわっ!」です。小生は「心情左翼」に過ぎなかったと思っていますが,この御時世にこの言葉をお聞きするとは・・・,うーん。 「反帝反スタ」とは,米ソ両大国に組しないという意味だったのでしょうか?しかし,それを唱えていたのは確か新左翼の方々。今,北小路様とかはどうなさっていらっしゃるのか?クロカンと聞いて,クロスカントリースキー以外の事を連想したら,「うわっ,古い!」と言われたのが,もう四半世紀以上前です。 (2005.02.26 21:17:45)
なもさん、こんばんは♪
アメリカの大衆文化で育った部分もありますしね。 私は根っから協調性がないので、セクトはだめですわ。 あの方たちは日本社会に先んじて高齢化が進んでいそうですなあ。 (2005.02.26 22:46:16)
ラジオから、「チューリップのアップリケ」が
流れてきたときに、なんや近江八幡の兄ちゃんが うとうているらしい、と家族ごと驚いた記憶が ありますね。 京都の学校にいっていたときに、同級生に岡林には ギターを教えていたみたいなのが結構いて、彼は あの時代に早々と燃焼しちまったという感じです。 生涯形成面では、良し悪しだったと思わずにいら れないですが、、、 けれど、あのインパクトは伝説的なものになるほど デカいものでした。 彼が言う田舎のいやらしさは、近江八幡に限らない と思うけれど、まあいやらしい面は多々あったのは 間違いないですよ。それをはっきりメデアで唄うと いうのは、空前絶後だったですからねえ。 (2006.09.28 08:08:20)
シャルドネ。さん、こんにちは♪
>あの時代に早々と燃焼しちまったという感じです。 >生涯形成面では、良し悪しだったと思わずにいら >れないですが、、、 最初のアルバム『岡林信康リサイタル』を入手するには、ずいぶん時間がかかりました。 他のURCのアルバムのCD化なんかでも採録を拒んでいるようですが、歴史になってしまった責任を引き受けて許可を出していただきたいなあと思います。 岡林さん! (2006.09.28 10:55:41)
幻泉館 主人さん
> >最初のアルバム『岡林信康リサイタル』を入手するには、ずいぶん時間がかかりました。 > >他のURCのアルバムのCD化なんかでも採録を拒んでいるようですが、歴史になってしまった責任を引き受けて許可を出していただきたいなあと思います。 >岡林さん! ----- その傾向は、すでに60年代からありましたよ。 いつも、なんだかんだといって素直に歌わない。 気の小さい小心者で、ときどき卑怯な岡林が、 なぜかいきなり舞い上がって神様になっていた という悲哀ですね。そこがまた独特の味かも。 (2006.09.28 18:04:29)
シャルドネ。さん、こんばんは♪
>その傾向は、すでに60年代からありましたよ。 > >いつも、なんだかんだといって素直に歌わない。 >気の小さい小心者で、ときどき卑怯な岡林が、 >なぜかいきなり舞い上がって神様になっていた >という悲哀ですね。そこがまた独特の味かも。 必ずしも、そんなに過剰なものを岡林一人が求められていたというわけでもないのでしょう。 弱さが出ちゃうタイプなんですね。 たぶんその弱さも魅力だったんでしょう。 八十年代、九十年代の歌もいいなと思います。 (2006.09.28 21:04:21)
仲田勉さん、住所や電話番号が書いてある部分を削除させていただきます。
「NHKのフォークの番組」って何のことでしょう。 坂崎幸之助さんのことなら、あなたより年上ですよ。 直接岡林さんに連絡をとったらいかがですか。 >今、NHKのフォークの番組を見てて俺達の時代をわかってない!奴が今歌ってるそうじゃないやろ!! >岡林さん。出てきてほしい。20年ぐらい前にABCホール嫁さんと2人で行きました。 >今度どっかでやるんですか? >いっぺん家来てください。 >会いたいです。 > >すいませんがチューリップのアップリケ >の曲も聴きたいです。 >他にもいっぱい思い出の曲があります。 >ちょっと記憶がうすいけど誰かからの手紙の曲 >すいません、あの曲も聴きたいです。 >今52歳です。元気が出る本当の働く男の歌を >作ってください。 >今の時代にできるのは先輩しかおらんでしょ。 >気がむいたら返事下さい。 >待ってます。 > >いつでもいいです。 >是非待ってます。絶対に会いたいです。 >今日は酔ってええ気分です! >気まぐれではありません。 >本当にあなたの歌が聴きたいです。 ----- (2008.02.16 00:57:33) |