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2003.10.19
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カテゴリ:音楽
帰宅してテレビをつけると、NHK教育で小沢昭一さんが添田唖蝉坊や添田知道のことを話している。
あらしまった、こんな番組知らなかった。
途中からなのが残念だが、とても面白く見た。
高石ともやさんが「ノンキ節」を歌う。
「復興節」ということでは、ソウル・フラワー・ユニオンの中川君まで出てきた。

『日本の放浪芸』というレコードのボックスセットを80年代に買った。
小沢さんのライフワークだ。
放浪芸人への共感を語りながら、小沢さんが新宿フォークゲリラのことに触れた。
> あの連中は西口広場を追い出された後、どうして独りで門付けをして回らなかったんでしょう。

伝説となっている新宿西口フォークゲリラだが、小沢さんと同様に唖蝉坊の演歌に共感していた高田渡さんは、やはりフォークゲリラを批判していた。
幼少時、著書『バーボン・ストリート・ブルース』に書かれているような極貧の生活を送った渡さんには、フォークゲリラなど所詮おぼっちゃんにしか見えなかったのだ。

 > ♪ゲリラの連中はこう言ったのさ
 > ♪マスコミは帰れって
 > ♪カメラにポーズをとりながら



どちらかというと人前には出たくない方なのだが、マスコミに露出するという不覚を何度か経験している。

70年代後半、大学祭の宣伝のために西城秀樹さんの番組に出演したことがある。
サークルの責任者だったので、後輩たちを引き連れてだらだらと坂を上り、テレビ局に行った。
当時は東京女子医大の隣にテレビ局があったのだ。
元気のいい仏文科の女の子がカメラに向かって「人生は映画だ!」などと言ってくれた。
フェリーニかい?
【追記】
 フェリーニ『8 1/2』は「人生は祭りだ。」
 「人生は●●だ」の●●には結構何を代入してもサマになるのが不思議。
 「人生は旅だ」
 「人生は風だ」
 「人生は糞だ」
 「人生は消しゴムだ」
 同様に「青春は●●だ」もいろいろアリ。
 「青春はタバコだ」
 「青春は洗濯機だ」
 「青春は蛸だ」
 やっぱり無理があるか。
 「中年は●●だ」はあまり成立しない。
 「老年は●●だ」は、またいろいろ可能になりそう。

何年かして森田芳光監督の『の・ようなもの』(1981年)を見た時、落語の練習をする高校生役の女の子たちの中に、そっくりな子がいた。
というか、たぶん御本人だろう。

さらにずっと時が流れて、去年のことかしら、朝日新聞夕刊の文化芸能欄にその後輩の大きな顔写真が出ていた。
アニメ映画の仕掛け人といったような紹介のされ方だった。
学生時代に、幼女のようにもオバさんのようにも見える顔をしていたのだが、あまり変わっていないのがおかしかった。
ずっと映画に関わっていたんだ。
偉いもんだなあ。

ヒデキの番組は一応納得して出たのではあるが、最も不覚だったのは、新聞に住所氏名が載ってしまった時である。
些細な事件の被害者だったのだが、しばらく会っていなかった友人が心配して実家に電話をかけてきたりした。
当の本人は翌日のんびりと野球観戦なんぞしていた。

「森」君は新聞で住所を知って、下宿を直接訪れてくれた。
そうだ、そのころは電話なんて持ってなかったんだ。
森君は高校の同級生で、特に一緒にどこかへ遊びに行くというようなことはなかった。
小泉内閣大学に通っていたのだが、学校の雰囲気が性に合わないとぼやいていた。
「ディランはいいよね、友部正人もいいよね、本当にいいよね!」
そんな話をできるやつがいないのだと言う。

森君は佐渡山豊のシングル盤「ドゥチュイムニィ」と、ハーモニカをくれた。
小学生が吹くようなハーモニカである。
僕はブルースハープを何本か持っていたのだが、「ありがとう」と言って、そのハーモニカをもらった。
ギターを弾けるのがうらやましい、自分も歌いたいのだと熱心に語る。
本当に話し相手がいなかったようで、森君は実に名残惜しそうに帰っていった。

友部正人『にんじん』(1973年)森君は「友部正人っていうとすぐ『一本道』って言う」などとちょっとばかにしてたが、僕は「一本道」が大好きだった。

友部正人さんのセカンドアルバム『にんじん』(1973年)を買った。
ギター1本の弾き語り。
本当に語るのである。

 > ♪ああ 中央線よ空を飛んで
 > ♪あの娘の胸に 突き刺され

日本の鉄道で最も直線距離が長いのが、中野から三鷹に至る中央線。
その線路が鈴木翁二の描くマンガのようにふわりと宙に浮き、真っ直ぐにあの娘の胸に突き刺さっていくのだ。
どこに飛んでいくのかって?
中央線だもの、名古屋に決まってるじゃないか。



昨日大きな駐車場の屋上で、夕焼けを見た。
広い駐車場だが、平日の夕方なので屋上には誰もいない。
本屋さんとCD屋さんが最上階にあるので、私は必ずここに停める。
買い物を終えて駐車場に出ると、まだ明るいのだが空の下の方は夕焼けが出ていた。
少し早い時間なので薄い色の夕焼け。
独りで夕焼け。
なんだか独りが心地好かった。

カメラを持っているのを思い出して、駐車場の西の端へ行ってシャッターを切った。
デジカメと銀板カメラで一枚ずつ。
本当はデジカメにまだ慣れていないので、設定を変えて何枚か撮るべきだったのにと、後になって気づいた。
一発撮り。

その翌日今日も夕焼けを撮ろうと思っていたのだけど、昨日と同じぐらいの時間に外へ出ても、夕焼けが見えない。
建物に囲まれているので、低空が見えないのだ。
少し時間を置いてまた外へ出ようと思っていたのに、どたばたしていて遅くなってしまった。
思い出して外へ出ると、もう真っ暗。
「秋の日は釣瓶落とし」って言ったよな。

学生時代、後輩の「千秋」が「日暮葉橙」という変なペンネームを名乗っていたな。
「日暮れは橙色」なんだと言ってた。
いわれを尋ねても支離滅裂なんだが、とても大切な夕焼けを見たんだろう。
何年かして「千秋」が雑誌に書いた文章に、多摩川の夕日が出てきた。
ああ、これなんだな、と思った。

思い出した。
放送センター近くの共同ビルにこもって衛星放送の雑誌を作っている時、きれいな夕陽を見た。
広い部屋を、いくつかの書籍の臨時編集部で分けて使っていた。
常駐は下請けの我々外人部隊だけ。

やっぱり晩秋だ。
美術館の本を作っている大学院の学生と二人で、真っ赤な夕焼けを見た。
広い部屋に、その子と僕の二人だけだった。
「きれいですよ」と呼ばれて、二人でずっと夕陽を見ていた。
あの辺りは代々木公園や明治神宮があるので、驚くほど空が広い。
窓もとても大きかった。
赤い夕陽に部屋の中が照らされた。

夕焼けもきれいだったし、彼女もきれいだった。
そこで何か言わないといけなかったんだろうな。
僕は夕陽がきれいだとしか言えなかった。
本当に、とてもきれいな人だった。

友部正人さんの「一本道」が聴きたくなった。

 > ♪本当に 何年ぶりのこと
 > ♪そこには夕焼けが ありました

2003秋 夕焼け

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Last updated  2005.02.10 02:04:46
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