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カテゴリ:映画
幻泉館日録はタイトルと内容が一致しないことが多いですね。
ごめんなさい、♪迷い道くねくね♪生きてます。(「迷い道」渡辺真知子 1977年) うるとびーずさんが10/21付けの「うるとび日記」で『小さな恋のメロディ』をわかりやすく解説なさってるので御覧ください。 私の記述では、映画を観ていない人には何がなんだかわかりませんよね。 封切りで観た当時に思った以上にこれはいい映画なのではないかと思うようになりました。 二人でトロッコを漕いでいくラストシーン、いいですね。 映画のラストというのは心に残るもので、『明日に向かって撃て!』(1969年)のブッチとサンダンスは、ボリビアを目指して飛び出したままずっとストップモーションです。 撃たれて蜂の巣のようになってしまったに決まってるのに。 バート・バカラック良かったですね。 『卒業』(1967年)のラストはハッピーエンドのようでいて、でもやっぱり破綻を予期させるものだと思います。 掲示板のレスに使った「遠くまで行くんだ」は、実は白土三平さんの『忍者武芸帳』(1959年)が頭にありました。 処刑される前に影丸が言うのです。 「われらは遠くから来た。そして遠くまで行くのだ」 元は吉本隆明の詩なんでしょうか。 三平さんのオリジナルなんでしょうか。 あるいはもっと先に出典があるのでしょうか。 いずれにしても、新左翼の人たちが一時期この言葉を好んで用いていたのは確かです。 『忍者武芸帳』はずっと後になってから読んだものです。 リアルタイムで読んでいたのは、『忍者武芸帳』の影丸と敵対するはずの体制側の手先「伊賀の影丸」(横山光輝)が主人公の方のマンガです。 『忍者武芸帳』は大島渚監督が紙芝居みたいな映画を作りましたね(1967年)。 「我々は“あしたのジョー”である」と言って赤軍派よど号グループは北朝鮮に渡りましたが、あの人たちは本当に遠くまで行ってしまいました。 ニッポンの受験制度の中で勝利者であったとしても、それは正しい判断力を持っていることの証明にはならない。 金日成をオルグするどころか、頭の中を主体思想で染め上げられてしまったようです。 当時は彼らもまだ若造君だったのだ。 痛ましい。 私は赤軍派の戦略は間違っていたと思うのですが、当時あのハイジャックはちょっとかっこいいなと感じました。 『小さな恋のメロディ』のラストシーンの話なんですが、幻泉館主人には一緒にトロッコを漕いでいる人はいないのかという御質問をいただいたので、少し考えてみました。 おりませんよ、はい。 なぜいないんだろう? わかりにくいたとえ話をしますと、たとえば私が二輪のライダーだとします。 それで、私の後ろに乗っけてよと言いたがるタイプの女性は苦手だったんです。 タンデムなんて恐くてしかたがない。 他人様の後ろにもあまり乗りたくないです。 気持ちよさそうだから乗り方を教えてと言ってくるタイプが好きだったんですね。 う~ん、そういうタイプがとりわけ好きというわけでもないかもしれない。 教えてやるよとふれまわるわけでもないんですが、こういう女性も結構現われてくれたわけです。 そういう女性でないと近づいてこなかったというのが本当のところかな。 それでその人がそこそこ乗れるようになると、二人で走り始めるわけです。 二台のオートバイで。 とても楽しいですね。 その時には、ずっとこうやって走り続けられるような気がします。 でも、ふと気づくと独りで走ってるんです。 あの人はどこに行ってしまったんだろう。 いくつか前の脇道に逸れていってしまったのかもしれないし、どんどんスキルが上達したので私みたいな亀ライダーは置き去りにして行ってしまったのかもしれない。 ♪あなたは一人で生きられるのね♪という言い方をされたことが何度もあります。(「かもめが翔んだ日」1978年 渡辺真知子) よく誤解されるところです。 独りで生きることができそうに見えるのかね。 人は独りでは生きられないのよ。 私も独りでは生きられないんです。 でも何度か言われたことがあるってのは、よっぽど協調性がないのかね。 確かにないです。 内容的には命令文なのかな。 「あんたは独りで生きなさい」とか「あんたとはもう関わりたくない」ってことかな。 もうおわかりだと思いますが、渡辺真知子さんについて書こうとしているようです。 っつうか、タイトルに書いてあるじゃん。 あ、違いますよ、「やもめが翔んだ日」じゃありませんよ。 かもめです、かもめ。 ところで「かごめ」なんですけど、あれを「かもめ」だと思い込んでる人も多いみたい。 「籠目」なんですよね、鳥じゃありません。 「夜明けの晩」「後ろの正面」と、矛盾した言葉がかなり恐い歌ですね。 「籠の中の鳥」というのは死刑囚の隠喩なんでしょうか。 【追記】 「後ろの正面」は「真後ろ」のことではないと思います。 「夜明けの晩」がありえない時間帯であるのと同様、ありえない空間のことです。 ただ、「本当は恐い●●」シリーズみたいなのもいやなので、矛盾した内容をおもしろがるナンセンスソングということでもいいですよね。 すいません、無謀です、真知子さんのこと全然わかってません。 特にファンでもないのですが、でもこうやって書いていてすぐに真知子さんの歌の言葉が出てくるというのは、身体に染み込んでいるのでしょう。 親父の地口でありますよね。 「別人28号」とか「いたれりつくせり石川セリ」とか。 これ、染み込んじゃってるんです。 真知子さんのことはよく知らないので、しかたがなくgoogleなどしてみます。 > 生年月日1956年(昭和31年)10月23日 すごい! 明日誕生日じゃないですか。 同い年です。 > 出身校 洗足学園短期大学 音楽科(声楽 ソプラノ) ああ、声楽やってたんだ。 声量あるわけだね。 > 血液型 B型 おお! 同じだ。 > 身長:158cm:体重:51kg これはデビュー時なので、今はきっともっと……むにゃむにゃ……。 私は真知子さんと並ぶと結構カタチが似ているかもしれない。 幻泉館主人、いい齢していまだにかわいいと言われることがありますが、かっこいいと言われたことは一度もございません。 「かわいい」ってのはクセモノでね、ムーミンやトトロだってかわいいんですから。 そうそう、プロフィールの画像変えました。 誤解されるようなので、文句が出ないやつに。 もう書くことないか。 え~、私はもの静かな人間なので(ホントだってば!)、静かな人と二人になると困ってしまいます。 「……」 「……」 「……」 「……」 これでは困るでしょ。 恋でもしてる時はそれでもいいんですけど、そんな機会は絶えて久しい。 う~んと久しい。 ただただ対人関係というレベルの話ね。 だから、元気のいい人の方が気が楽です。 「☆★○●◎◇◆□■△▲▽▼※!」 「えへ……」 「√∽∝∵∫∬ʼn♯♭♪†‡¶?」 「ええ、まあ……」 ね、楽チンでしょ。 よく誤解されるのですが、渡辺真知子さんみたいなおばさんは、嫌いではありません。 同級生にこんな人いたような、そんな感じのする懐かしい歌い手さんです。 歌は好きなんですが、一度もレコード買ったことがない。 それでは書けませんね。 よく知らないことについて書くのはやっぱり無理があったので、真知子さんが華々しくデビューした70年代末のことを少し。 ドキュメンタリー映画をよく見に行きました。 映画館よりも、四谷公会堂みたいなところが多かったでしょうか。 土本典昭監督の水俣作品、小川紳介監督の三里塚作品。 こういうものはいかにも運動やってますよみたいな人が多くて、下手なこと言うと怒られそう。 私はただただ映像作品が見たくて行ってるわけです。 自主上映というような形でしか見ることのできない監督に、原一男さんがいました。 そうです、80年代末に『ゆきゆきて神軍』で妙にブレイクしてしまった原監督です。 この人の『極私的エロス・恋歌1974』がショックでしたね。 原監督が同棲していた相手「武田美由紀」さんを撮った映画です。 一緒にカメラを回しているのは、制作の小林佐智子さん。 つまり、美由紀さんが昔のオンナ、佐智子さんさが今のオンナです。 美由紀さんが沖縄へ行くのを追います。 美由紀さん、佐智子さんの出産シーンがセンセーショナルな売り方をされた作品です。 この武田美由紀さんには圧倒されましたね。 お、DVDが出てるわ。 一月に本屋さんでもらった草思社のPR誌「草思」二月号に、『放送禁止歌』『A2』の森達也さんの「自らを撮る映画の氾濫」という文章が掲載されていました。 森監督と原監督が、学生のドキュメンタリー映画祭で審査員として参加した話が書いてあります。 タイトルからもわかるように、学生たちの作品うまいこと作ってはいるのだが、ほとんどが存在の不安を契機とする「自分探し」の個人映画(セルフドキュメント)なんだそうな。 まあ、ナルちゃんの氾濫、かね。 いまどきの若い者が、「他者性への眼差しや意識が希薄化」しているのは私も大いに感じているところであります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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