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カテゴリ:書籍と雑誌
avex/amazonのURC音源復刻盤は岡林信康の曲をすべて削除した形だったので聴く気をなくし、積んだままになっている。
岡林本人がURCから版権を取得し、収録を拒否したようである。 それはそれで一つの見識だが、avex/amazonはもっとちゃんとした説明をすべきである。 10月5日付日録に書いたように当時の音源は苦労してかなり揃えたのであるが、私が死蔵していてもしかたがない。 出してくれよ、岡林さん。 私は少し遅れてきた少年だったので、岡林信康を聴いたのはレコードだけ。 既に「はっぴいえんど」をバックに従えてからだ。 「はっぴいえんど史観」から見れば岡林はロックの乗りじゃないどうでもいい歌手なのだが、そりゃ当たり前だ。 エンヤトットなるものを「発見」し、美空ひばりに共感する岡林は元々ロックなんて歌ってないんだから。 ギター1本でAmをかきならして歌う姿は、場末の流しみたいに見えるだろう。 「山谷ブルース」(1969年)など、演歌にしか聞こえないんだろう。 ♪ きょうの~ 仕事はつらかった ♪ あとは~ 焼酎を あおるだけ 「働く俺達の世の中が きっときっと来るさそのうちに」などという最後の部分は、何を言っているのかわからないかもしれない。 きつくて危険で汚い労働現場からは徐々に日本人の姿が減っている。 わざわざイラン人やパキスタン人に連帯したいなどと、あんたは思っていないんだろう。 大新聞社が出している雑誌の広告の地口よろしく、「イランに核は要らん」などとはしゃいでみせるぐらいの認識だ。 周辺部を作り出したからこそ、日本は繁栄していられる。 自分の繁栄を守るためにはそれが正しい態度だろうし、ブッシュに尻尾も振ってみせる。 ずいぶんいやらしい書き方になってしまったので、この辺でやめておこう。 「山谷ブルース」「手紙」「チューリップのアップリケ」。 暗い歌である。 吉田拓郎さんのドキュメンタリーには「タムジン」こと田村仁さんが出てきて映像を撮っていた。 あの番組はタムジンさんが準主役だったのだ。 まだ拓郎さんがオールナイト・ニッポンをやっていた時(パックかもしれない)「手紙」のことを、「タムジンがギター弾いて泣きながら歌う歌だ」と言っていた。 初期の岡林、暗い歌が多いのである。 差別に対する憎しみと悲しみがナマの形であふれ出た歌だから。 ところが、この歌を歌っていたころの岡林さんは、不思議に明るいのだ。 皇室一家をおちょくった「ヘライデ」や権威・権力に対する反発「くそくらえ節」「がいこつの唄」、屈託なく明るい。 映画『無法松の一生』(1943年)で坂東妻三郎が見せる、日本の庶民の笑顔。 あれを思い出す。 「友よ」をなんのてらいもなく歌えた時代を私は知らない。 今私は楽天広場で「懐かし屋」さんみたいになってしまっているが、本当は懐古趣味でこんなことばかり書き始めたのではない。 一つのきっかけは、『一九七二』という本にある。 以下、本館日録2003年6月4日付日録から自家引用。 日曜日の毎日新聞書評欄に出ていた『一九七二』がおもしろそうだったので、購入。 まだ読み始めたばかりだが、確かに面白い。 『一九七二』 坪内祐三著 文藝春秋社 定価:本体1800円+悪税 四六判上製 本文413p 2003年4月25日発行 著者の坪内祐三さんは私と同世代。 1972年には中学1年生から中学2年生、私は中学3年生から高校1年生という年齢である。 このぐらいの年齢の時には、ほんの少しの年齢差がかなり大きく感じられるものだ。 一つ一つの事件に関してはだいぶ感じ方が違かったことだろうが、後付けの知恵で語る時はやっぱり視点が近しい。 目次を辿ると、「日活ロマンポルノ」、野坂昭如の「四畳半襖の下張り」裁判、連合赤軍事件、『ヤマザキ、天皇を撃て』、ロックの時代の幕開け、『ぴあ』の創刊、田中角栄の登場、雑誌『世界』とまあ、ツボにはまりまくり。 わたしゃつくづくサブカルチャーのヒトなんだわなあ。 雑誌『諸君!』に連載されたものだそうだが、全然知りませんでした。 しょーもない雑誌だけど、中にはおもしろい記事があるのですね。 さて、少し読み進めて。 この著者は1972年が時代の転換点であるという認識の下に、1972年の文化現象を陳列して見せてくれている。 のだが、何か欠けていないか? 私がいいかげんな高校受験を過ごした年。 札幌オリンピック、連合赤軍事件……。 雑誌『終末から』は1973年か。 雑誌『ガロ』はどうだろう。 まったく触れてないかな。 ああ、音楽状況、「はっぴいえんど」「頭脳警察」「キャロル」には触れているが、やっぱり何か違う。 今『ロック画報』や『コレクターズ・マガジン』で学習する若者たちに似ているなあ。 読み終えての結論は、やっぱり違うというものだった。 竹内さんは時々自分の生活からのエピソードを書いているのだが、資料に頼った部分にはやはリアリティがない。 1972年が転換点であるということに異論はないが、「社会学的アプローチ」が正しいかというと疑問だ。 これが歴史になってしまうということなのか? なんだか自分が生きていた事実が否定されたような気がした。 別に歴史に名を残そうなどとは思わないが、いなかったことにされるのはちょっと寂しい。 少なくとも連合赤軍関係は、この本を読んでわかったつもりになるよりも、彩流社などから出ている、当事者による記録を読むべきである。 それで、私も自分の生活の中でどうだったのか思い出そうとしているのである。 一回り前の午年の秋、私は二回山谷に行った。 仕事の本筋ではなかったが、「山谷の写真が要る」ということにして取材に行ったのだ。 初回は一人で、二度目は瀬戸山さんというカメラマンに写真を撮ってもらった。 この人もかなり怪人の部類に入る人で、「フォトジェニックな場所ですねえ」と喜んでいた。 翻訳すれば、「山谷ではいい写真がたくさん撮れますね」といったところか。 帰りには隅田川沿いの、いわゆる段ボール・ハウスの撮影をして、あの強烈な形の建物でビールを飲んだ。 実にのんきな取材であるが、それでも山谷にいる間は結構緊張したのであるよ。 どうしてそんな余計な作業を突っ込んだかというと、そんなに遠くない将来に山谷のルポをものしたかったからである。 果たせぬまま、あっという間に暦が一巡してしまった。 あらあら。 新潮OH!文庫『山谷ブルース』は、カリフォルニア大学アーバイン校教授エドワード・ファウラーさんによる、ちょうどそのころの山谷ルポである。 私の嫌いな社会学的分析ではない。 ガイジン・ファウラーさんが実際にドヤに寝泊まりして書いたルポである。 ただ、状況べったりの記述だけでは意味がない。 「状況と斬り結ぶ」客観的視線。 これが難しいんすね。 ファウラーさんの山谷ルポ、いい線だと思います。 カラオケで岡林信康の「山谷ブルース」と菅原洋一の「今日でお別れ」を歌う、そういう外国人学者さんです。 だいたい、「天皇」や「ヤクザ」の分析は外国人が書いたものの方がしっかりしている。 そういうものは日本人が客観的な分析をできる領域にないらしいのである。 以前は寄せ場も似たような領域にあった。 今は……山谷そのものがどうなってるんだろう? 私がちょろちょろっと歩いたのは猛烈な地上げの真っ最中。 ドヤもホテルへの立て替えが進行中だった。 ドヤがなくなる予感があった。 あれから13年も経っているのだ。 日雇い労働者は、景気が悪くなれば切り捨てられる「雇用の安全弁」という呼び方があった。 それは実に不遜な言い方だが、既に安全弁としては機能しなくなっているのかもしれない。 「Bum(浮浪者)はu(YOU)なしには語れない」のだそうな。 あんたもそうなるかもしれないよ。 そういう時代が近づいているのだろう。 ところで、私がウロウロしたのがなぜ午年だと覚えているのか。 この取材の本筋は、「建て替えのために木賃アパートから追い出される高齢者」だったのです。 追い立てを食うことになっていたおばあさんに、その年の暮れ、私は年賀状を出しました。 取材先へ年賀状を出したのは後にも先にもこの1枚だけ。 そのおばあさんが返事の葉書に羊の絵を描いてくれたので、年がわかるのです。 エドワード・ファウラー著 『山谷ブルース』 新潮OH!文庫 本文 398p 定価:¥733+悪税 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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訪問ありがとうございます 僕昔バイトで交通整理してた時 朝何も知らずに山谷付近の公園でパン食べてたら だんだん人が寄ってきて 思わず逃げ出してしまったことがあります あのなにか太陽がさえぎられた雰囲気は今も
忘れられません また遊びにきます (2003.10.31 11:02:36)
いしじいさん、はじめまして♪
踏み逃げ失礼しました。 よろしくお願いします。 >あのなにか太陽がさえぎられた雰囲気 釜ケ崎(あいりん地区)には子供もいたりして、まだ光が見えるのですが、山谷は徹底的に孤独で、悲惨な状況でした。 今どうなってるのか行ってみたいと思うのですが、田舎に引きこもってしまってなかなか出かけられません。 (2003.10.31 11:11:03)
山谷ブルース。。。凄く懐かしく足跡を。。。
山谷ブルースを初めて聞いたのは中一くらいかなぁ?! フォーク全盛でLP買っては良く聞いていた。 みんな明るく元気だった時期なのに何故か暗いフォークに心惹かれた。 今でもふとした時に口ずさむ「山谷ブルース」♪ (2003.10.31 11:18:29)
Blue Rose Cafeさん、はじめまして♪
山谷ブルース、最初のところが強烈ですね。 およそ岡林など聞かなそうな人が、最初のところだけちょこっとつぶやいたりします。 もちろん疲れているのでしょう。 (2003.10.31 12:11:57)
☆ こんにちは。「山谷ブルース」といえば、最近はこう思っています。
「基礎も造らずに建てた塔が、バブルだ。」 と。 ☆ 岡林は美空ひばり。陽水氏は都はるみでした。 では。 (2003.10.31 12:45:18)
執事さん、こんばんは♪
> ☆ 岡林は美空ひばり。陽水氏は都はるみでした。 ほぉ、陽水の都はるみは存じませんでした。 そういえば生方アナの「美空……」という事件がありましたな。 (2003.10.31 19:54:40)
こんばんは
仕事先から帰ってきました。 上のアーティストの好きな人と少しだけ仕事の合間話してきました。 岡林は私も遅れてきた世代なのだけど とても感じます。岡林はディランの影響を結構受けていてその後エレキギターでニトロブキなど歌ったりするのですが、尖っている時代の岡林は好きです。 演歌を歌う岡林は?です。 新幹線で水木しげるの「「総員玉砕せよ」読んだのですがバックの背景がとにかく凄い。つげ義春も凄いのですが何か関係あるような・・ ひょっとして水木しげるの所にいたとか・・ よくそこのところが思い出せません。 (2003.10.31 20:51:15)
ジョンリーフッカーさん、こんばんは♪
つげ義春は水木しげるさんのところでアシスタントをしていましたね。 ですから、時代によってはつげさんが描いた背景だったりします。 (2003.10.31 20:57:41)
はじめまして。
懐かしく、および歴史を感じて、書き込みさせていただきます。 自分の岡林信康のイメージは、「山谷ブルース」「友よ」で、学生運動と強く結びついています。 自分の青春と一緒に。 この頃、”高石ともや”も、強く印象に残っています。 自分では、レコード持っていなかったんですが、友達の所にあり聴きました。 その頃の自分と、だぶらさせて聴いてました。 (2003.10.31 23:27:02)
ダイナモコグさん、はじめまして♪
書き込みありがとうございます。 ほんの数年の間に状況が変化し、私自身は「山谷ブルース」「友よ」がパロディになってしまうような世代です。 高石ともやさんは、もうザ・ナターシャ・セブンの人でした。 私より上の世代の方々には、ぜひ直接経験なさったことを書いていただきたいと思っています。 (2003.10.31 23:46:19)
「山谷ブルース」「友よ」は、好きで良く歌っていた。「チューリップのアップリケ」は好きだったが、歌えなかった。それにしてもいつも忘れたことを思い出させてくれます。「終末から」という雑誌ありましたね、4冊目ぐらいで廃刊になった記憶がありますが?
(2003.11.01 01:34:14)
のぶこばさん、こんばんは♪
「終末から」は毎号買って読んでいました。 高校生にはちょっと高すぎましたが、隔月なんでなんとかセーフ。 1973年、1974年に出ていて、9号目の終刊号までです。 一旦捨てたものを少し前に古書で買いなおしました。 今検索してみたら、揃いだと6千円ぐらいのようです。 http://www.murasakishikibu.co.jp/oldbook/sgenji.html (2003.11.01 01:59:41)
こんにちは
>ファウラーさんの山谷ルポ、いい線だと思います。 カラオケで岡林信康の「山谷ブルース」と菅原洋一の「今日でお別れ」を歌う、そういう外国人学者さんです。 <興味ある外国人ですね。それから興味ある本なので、今度 探してみます。 幻泉館 主人さんは「山谷ブルース」にはきついですね。 私はカラオケで歌うことも、あるんですが。 (2003.11.01 09:23:03)
Mドングリさん、こんにちは♪
> 幻泉館 主人さんは「山谷ブルース」にはきついですね。 あら、きついですか。 好きな歌ですよ。 カラオケはやらないんで、もっぱら弾き語りですが。 山谷ブルースなんかもカラオケに入ってるんですか。 知らなかった。 (2003.11.01 11:41:44)
幻泉館 主人さん
>あら、きついですか。 好きな歌ですよ。 ----- <失礼しました。 日記を読みかえしてみたら、けなしているんじゃなくて、誉めているのが判りました。 それにしても、岡林信康の歌のスタイルはよく変わりましたね。 演歌好きの岡林信康というのが、好きなんですが。 (2003.11.01 13:46:09)
幻泉館 主人さん
>ジョンリーフッカーさん、こんばんは♪ つげ義春は水木しげるさんのところでアシスタントをしていましたね。 ですから、時代によってはつげさんが描いた背景だったりします。 やっぱりそうだったんですか! (2003.11.01 21:13:31)
こんにちは!ランダムで入室しました。このレコードは高校時代,よく聴いてました。友達と組んでたバンドでコピーしたりして,ハッピーエンドを真似て演奏してましたね。
(2003.11.02 12:05:41)
fuhjin1827さん、はじめまして♪
書き込みありがとうございます。 当時はっぴいえんどを聴く人は多かったけれど、演る人は少なかったんじゃないでしょうか。 幻泉館地方にはっぴいえんどが来た時は、電源トラブルのためにアコースティックなはっぴいえんどとなりました。 (2003.11.02 12:10:28)
遅れましたが、BBSに書き込みします。 自分は大阪の「釜が崎」で一時働いていました。 その背景に岡林の「山谷ブルース」があります。 歌のイメージから、 寄場に何かしらのものを感じていいました。 実際は…… 岡林さんは“エンヤトット”の前の ♪グッバイマイダーリン、いとしい人よ… を目の前で聴いた事があります。 その後、深夜喫茶の有線で、 「手紙」「チューリップのアップリケ」に 出会いました。 この二つの歌は、今でもぼくは影響を受けています。 (2003.11.02 21:24:49)
「 桜 葉 」さん、こんばんは♪
そうですか、身をもって体験なさってるんですか。 あの「満鉄の金ボタン」も、私なんかよりずっと感慨が深いのでしょうね。 2月にNHKで、釜ヶ崎で撮ったドキュメンタリーをやっていました。 『こども・輝けいのち(1) 「父ちゃん母ちゃん、生きるんや」~大阪・西成 こどもの里』 民間福祉施設で暮らす子供たちを描いた番組で、子供たちのけなげさに落涙しました。 今夜の日録に書いておきます。 書き込みありがとうございました。 「詩のボクシング」、楽しみにしています。 (2003.11.02 22:26:13)
この曲を私の友人(公務員)が職場のカラオケ
で歌ったら、上司(多分キャリア)に「この歌は 一面的な心情を歌ったものだ。」と言われたそう です。(彼の職場は昔の言葉でいう建設省) でも彼にこの曲教えたのは私なのですが、現在 この曲の歌詞を地でいく状態なので身がしみます。 それでは。 (2003.11.03 00:13:56)
コブラクローさん、こんばんは♪
お、明日は我が身。 いえ、私のことです。 キャリアじゃなくてもお役人さんは「働く俺達の世の中が」来てほしくはないと思っているのだろうな。 革命をルンペン・プロリタリアート、窮民に託した思いはわかる。 わかるのだが、わかるのだが。 「山谷ブルース」、レスが伸びますね。 (2003.11.03 00:39:04) |