幻泉館日録@楽天

2004/12/05(日)04:36

ねこのねごと

高田渡(197)

いつもほとんど同じ画像ですが、紛れもなく2004年1月7日の、ヒナのひるねです。 デジカメの進化に驚いて、自分のPC史など思い出していました。 80年代半ばごろからですから、二十年近く。 すぐに電話回線とつなげたので、ネット歴も同様です。 8ビットのおもちゃみたいなPCから始めて、最近やっと本当に道具として熟成してきたと感じられるようになるまで、二十年。 思い出すことどもを、少しずつ書き足していきます。 自分にとって最も大きなのは、WEBの文体の発見かなとも思っています。 もうひとつは、「全地球カタログ」かな。 お風呂に入って身体を温めてきます。 では、のちほど♪ 【追記】No.1 更新しました。 夕陽が好き![I Love Sunset!] 【追記】No.2 2003年は阪神タイガースが優勝しました。 あれから18年も経つのか。 日航機が御巣鷹の尾根に落ちたあの夏。 当時のタイガースと比べると、選手のキャラクターが弱いなあ。 監督と伊良部やムーアはいしいひさいちのマンガになるが、他はちょっと。 読売巨人軍みたいになったらつまらんぞ。 って、今は野球見てないんですけど。 阪神ファンなのかというと、そうでもありません。 オルターナティブな生き方をしているので、自然に軍隊を名乗るチームよりは好きなだけです。 アンチ巨人という言い方は好きじゃないですね。 阪神文化圏にはあまり縁がないので、セントラル・リーグだったら古田君のチームや人のいい監督がいるとても弱いチームの方が好きかも。 いずれにせよ、あんまり興味ないんですな、今は。 Jリーグだったらエスパルス。 やっぱりオルターナティブなチームになってしまったなあ。 以前たけぴぃ君(仮名♂20代)とそんな話をしたことがありました。 ワタクシ、どうしてもトップを選べないんです。 自動車:日産→スバル(OPEL) カメラ:ペンタックス、コンタックス 携帯:au PC:FM-77→EPSON→EPSONダイレクト ノートPC:東芝→IBM ブラウザ:Netscape 日本語FEP:松茸 ほかにもなかったかな。 CSはディレクTVを選んだら、なくなってPerfecTVと契約させられてしまいました。 本来ならば鯖はLinuxではなくて、FreeBSDを使うべきだったな。 新聞は朝日で、日曜には毎日も買う。 それで、最初に買ったPCが富士通のFM-77だったのはなぜかというと、ソフトバンクの雑誌がいちばんおもしろかったからです。 ちょっと説明が必要ですね。 8ビット機が主流PCだった時代、まだWindowsはありませんでした。 各社のPCは、それぞれ独自の仕様を持つ、互換性のないBASICで動いていました。 おおむねマイクロソフトから購入したBASICに機能拡張したものです。 ソフトバンクはそれぞれの機種に応じた月刊誌を出していたのです。 機種別雑誌だと、富士通のFMシリーズを対象とした『Oh! FM』がいちばんおもしろかったのです。 F-BASICを搭載したFM-7は、NECのPC-8801のライバル機でした。 シャープはMZシリーズとXシリーズの2機種に力が分散してしまったのが仇となったようです。 東芝は……CMに登場するタレントが故岡田有希子、横山やすし&一八親子と、呪われているという冗談がありました。 あら、なかなかたどり着きませんな。 【追記】No.3 インターネット以前のパソコン通信では、通信費が最大のネックとなっていた。 いわゆる草の根ネットでない商用ネットでは、接続している時間かデータ量によって課金される従量制となっていた。 アメリカのCompuServeを模して作られたNiftyServeでは、会員がシスオペとなって各フォーラムを運営していた。 一般会員がそのフォーラムに入って活動している時間が多ければ、Niftyの売り上げが増える。 したがって、元々は普通の会員だったシスオペに対してペイバックが行なわれた。 まだオンラインで画像を見ている人は少なかっただろうが、御多分にもれずスケベ画像はメディアのブレイクスルーに大きな貢献をしたようだ。 これはどうにも気持ちが悪かった。 マジメに議論を戦わせる場で、仕切り役が金儲けをしたりするのは不思議だった。 今でも、たとえば楽天広場をビジネスチャンスの場として利用するのはあまり好きではない。 道楽でやっているので、金とヒマは注ぎ込むものなのだ。 もちろん金儲けをしたい人の邪魔をするつもりはない。 その代わり、私のヒマはかすめとらないでもらいたい。 ネットに払う金の他に、純然たる通信費も問題となった。 日本でネットが広がる最大の障害となるのが、NTTであることは明らかだった。 音響カプラは雑音を拾うと、データ通信に失敗した。 私のは安い簡易型のカプラだったので周囲の音を拾いやすかった。 受話器とカプラを布団の中に押し込んで使っていた。 モデムを初めてつないだ時は、音楽を聴きながら通信できるのに感動したものだ。 しかし、モデムをつなぐだけでもNTTにお伺を立てて許可をいただかなければならなかった。 電話料金も、アメリカと比べるとめちゃくちゃ高かった。 のんびり市でパソコン通信をしようとすると、最初は長距離電話をかけなければならなかった。 地元にいい草の根ネットができれば良かったのだが、青年会議所といったようなところが始めたネットは見事にコケた。 「大手企業がバックについているから安心」というような姿勢では、草の根ネットは育たない。 アメリカでは「the WHOLE EARTH CATALOG」を出していたような連中がネットになだれこんでいると耳にした。 そう、私は初めからカウンター・カルチャーを期待してネットを始めたのです。 アマチュア無線の連中がRADIO BBSというのを始めていたが、それに参加しようとは思わなかった。 免許が必要なところでやりたくはなかったのだ。 お上の試験を受けて合格しなければインターネットに接続することができないということになっていたら、私はインターネットに魅力を感じなかったことだろう。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る