2004/06/20(日)10:58
偽善への自由
【追記】No.2
「福翔」というのは公立高校にしては珍しい名前だなと思ったら、福岡商業が改名したのだそうです。
調べてみたら、小林よしのりさんの母校のようですね。
【追記】No.1
不思議なニュース。
福岡市立福翔高校で、四十代の男性教諭が授業中居眠りをした男子生徒にカッターナイフを渡し、生徒の指の血で反省文を書かせたというもの。
論外なのだが、どうも状況がわからない。
CSのJNN NEWS BIRDで見たのだが、学校側の説明が腑に落ちないのである。
休憩時間なのか、放課後なのか。
職員室で説教していたようだが、他の教諭は気づかなかったのか。
なぜ教諭は席をはずしたのか。
「書け」ではなくて、「書いておけ」と言って席をはずしたのではないだろうか。
「指導が行き過ぎだったと反省している」そうだが、これは指導ではない。
授業がつまらなかったんだろう。
起きていろと怒ってどうなるというのか。
聞きたくなるような授業ではないのだろう。
この教諭は怒ったのである。
教育のために怒ったのではない。
自分のつまらない授業を「つまらない」とつきつけられたことに、ささやかなプライドを傷つけられて怒ったのである。
カッターナイフを持ち出すなどという愚かなことをしたため、これはニュースになった。
でも、ニュースにならない同様の理不尽な体罰がどれだけ多いことだろう。
指導の行き過ぎなんかじゃない、小さな権力者の暴力が。
ファシズムはさわやかに登場する。
(幻泉館主人)
「慈善事業」といったことを言う時、ついつい「偽善事業」と言い間違えてしまいます。
わざとです。
失礼な話ですな。
田川建三さんの本を読んでいて、なぜ私がつい慈善活動にそんなうさんくさいものを感じるような感覚を持っているのか、説明してくれている部分を見つけた。
なるほどなと思った。
キリスト教社会の常識的感覚が、血肉とはなっていないからだ。
失業保険のような社会保障制度は日本に輸入されたものだが、たとえば「働かざる者食うべからず」といった考え方とは矛盾する。
有名な葡萄畑の日雇い労働者の賃金という譬え話がある。
仕事にあぶれた日雇いもその日一日分の賃金を貰うという夢物語をイエスが語る。
二千年前にパレスチナの地で一人の大工イエスが語った夢物語だ。
仕事にあぶれた労働者もその日の食いぶちにあずかって安心して生きることができる、良かったね、という感覚。
この譬え話の精神を実現しようと努力してきたのがキリスト教社会だというのである。
もちろんこの譬え話を神の慈愛にすりかえる教団もあるわけだが、イエスは本当に労働者の賃金を語りたかったのだ。
いわゆる新約聖書の編纂者たちはイエスよりずいぶん後の時代の人たちなので、イエスが始めた小さなユダヤ教改革集団を直接は知らない。
せいぜいマルコがその集団の雰囲気を体感できたぐらいだという。
おそらくは優秀なユダヤ教律法学者であったパウロがイエスの主張を換骨奪胎して、ユダヤ教に先祖返りさせてしまう。
「神の愛、隣人愛」はイエスの主張ではないようだ。
話を偽善に戻すと、もちろん偽善的なところはあっても、慈善活動はあった方が良い。
税は上がる、福祉は切り捨てる、どんどんひどい国になりつつあるので、とりあえずは民間が頑張るしかないのだが、それじゃだめだろ。
『偽善への自由』というすごいタイトルの本があった。
毎日新聞に映像時評を書いていた岡本博さんの著書。
正確には『映像ジャーナリズム1――偽善への自由(67・8~70・7)』というタイトルで、続編が『映像ジャーナリズム2――退廃への自由(70・8~73・7)』。
『偽善への自由』は70年代に古本屋さんで買って、『退廃への自由』は80年代に版元の現代書館さんからいただいたように思う。
特にテレビのドキュメンタリー評はあまり本になっていなかったので、貴重な本なんじゃないかしら。
おお、現代書館にはまだ在庫があります。
偉いものです。
売れない本を在庫で抱えると資産評価されてしまうので、大手では断裁処分して節税に務めるものですが、頑張ってますな。
現代書館
二冊の宣伝用惹句を引用しておくと、こうなってます。
『偽善への自由』
「戦争賛美につながった5W1H の新聞報道の論理を否定し、戦後の映画と結合し映像として広がりをもちを形成したTVドキュメンタリーを高く評論。その8・15報道は偽善への自由を獲得する。映像記者30年、TV、映画の評論集。」
『退廃への自由』
「ジャーナリズムの現場は腕力的で毒々しい。その現場で生きるジャーナリストもその毒性に冒されて暴力的だ。この退廃をいかに解毒するか。戦後の映像ジャーナリズムは自己をさらけだすことによってその退廃から自由を獲得していった。」
とてもわかりにくいですね。
1967年から1973年の毎日新聞に岡本さんが書いた映像時評をまとめてあるよということです。
その当時に映像、特にテレビのドキュメンタリー番組が持っていたパワーが感じられるということです。
もちろん本文はもっとわかりやすいですよ。