2012/05/28(月)20:57
闘魂サバイバル(沢田研二vs坂本龍一)脱原発物語 その1
総務人事本部の人事部人事グループとのやりとりを聴いている。満身の怒りを込めて、暴行に抗議する。
刑法にいう、暴行罪、脅迫罪というのは、わかるだろうか。ぼくは96年の夏のある日、新宿紀伊国屋書店で、偶然、上智大学教授の先輩に出くわした。
ぼくは司法試験を受験しようかするまいか、法律の書籍コーナーをうろうろしていたのだ。先輩に受けるべきか、やめておくべきか、とりあえず、なつかしいので、フルーツパーラーのあった、中村屋のカレー店に誘ってくれた。
美味しいカレーだった。のちに「中村屋のボース」という作品として、結実した、あの中村屋である。先輩からはっきりとした口調ではないが、ぼくはポジティブにとらまえて、受験を決断した。
そして、6年の歳月と200万円を投じて、当時、事業開発室のとなりに、コンピュータ事業推進室という大部屋で、失敗作の先輩たちと並んで、仲人を引き受けてくれた先輩もいたのだが、そうしたリスクを引き受ける会社に黙って、試験勉強をやった。
ところが、憲法学の泰斗である、近大の佐藤幸治京都大学名誉教授の委員会が、米国の年次改革要望書に応じて、多分、法務官僚にかなわなかったのだろうと推察するが、司法試験を廃止することになった。
しかしながら、「和をもって尊しとなす大和」にあって、訴訟が増えるはずもなく、おまけに島国の和やかさも禍いして、現在の状況以上のことは語れない。ぼくは6年であきらめた。一回は受験した。手帳に書いてある。
若干、論理は飛躍するが、それもこれも、財務省に行った、サークルの先輩が冷たかったために、ぼくはこういう境遇に陥った。
先輩は、モスクワで、スチュワーデスと合コンして、奥さんを見初めて、ロスアンゼルスでぼくが新婚旅行で、家内といっしょに、訪問したとき、食事を出してくれた。「これがアメリカンドリームや」と豪語していた。
本省と行ったり来たりを繰り返し、ロンドンのシティ、これはぼくではなく、家内が行っただけだが、そして、ワシントンで、国際開発銀行で、仕事をする。そして、現在、国際局の総務課長で、先日電話したら、「昇級しすぎで、役職がなくなった、いまどこにいる。一回、遊びに来いや」とおっしゃった。
長州出身の先輩である。
先輩に宗教の話をすると「ミドルネームは普通聴くもんやない。欧米ではそれがマナーなんや」と幼児洗礼(カソリック)なのに、まったくあきれたもので、自分自身で「堕落や」と言っていた。
カソリックは堕落なのだそうだ。
どうして、ぼくが2年のとき、部長になって、体制を固めなければならなかったあのときに、つぶやきや伝聞で混乱させるばかりで、要するに、もっと直接的に、手と手が届く、あるいは、口と口が届く、リアルな相対(あいたい)で、丁寧にアドバイスしてくれなかったのか、ぼくは、そこに彼の不信仰、つまり、堕落を見た。
檄文を書いて、日本興業銀行に行った、親切な、灘高校出身の帰国子女、日本通訳コンテスト優勝で、英国への航空券とビールだったか、半年分か、何だったかを獲得した、英語オタクの先輩のように、対応してくれなかったのだろう。
確かに、ぼくは大きくて、かっこよくて、手に汗をかく、高校で睾丸をけられて、野球部を休んだ、そして、浪人をして、公務員の子息として、親の年収は、1千万円以上あったので、しかも、彼らは3階立ての年金で、悠々自適の生活をしているし、毎日、スポーツクラブに通って、水泳をしていて、120年くらい、生存しそうで、実際、してほしいし、いま倒れられると実に困るのだ。
崩れた。
新聞を読まなければ。ならないので、今日は、ここまでで許してやるが、会社はふざけてたらあかん。基本的なローテーションのポリシーがなってない。それがこうなった理由である。大幅に端折るけれども、明日は、人事部付けを経験した、先輩にアドバイスをしてもらう。
年齢が高いと再就職はそんな容易ではない。
気をつけて水分を摂取しなければ、脳梗塞になるとテレビがほざいている。メディアにつとめる友人にも言いたいことがあった。伝えたいことを伝えたいひとに、伝わるように伝えたい。コミュニケーション能力に問題のある、ぼくのことだから、そして、IT部門のことだから、うまくアピールをしながら、折れない。
絶対に折れない。
頑固であるけれども、ぼくの体力が尽きるまで、怨念が晴れるまで、そして、深く、待つ生活者である、ぼくの半生をこれから、そして、ここに収められた、一連の文章から、何か成果としてつかんでほしいと思う。
妥協はしてはならないのだ。日本の屋台骨をものづくりにこだわって、再建して行く。IT部門の一員として。そして、地球を照らす、太陽の光を浴びながら、けれども、先生の言うように、遠藤勇先生がぼくに向かって、与えてくれたことば、ケセラセラを最後にここで引用して、この中途半端な一文を一端終える。
大江健三郎のことが取り上げられていた、三田誠弘「実存と構造」(集英社新書)。そして、夏目漱石「現代日本文学館・坊ちゃん/こころ」(文春文庫)が面白い。さらに、祝ご受洗 2011年ペンテコステの日 詩篇23篇を贈りますと書かれた、本田哲郎「小さくされた人々のための福音―四福音および使徒言行録―」(新世社)を読む。
さらに、明日、帰りに、SAPの授業を聴く。全部録音した。さあ、時間だ。