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トラウマは心的外傷とも訳されますが、私は要するに否定的感情を伴う経験ぐらいに理解しています。つまりトラウマとは経験の一種と考えているわけです。ときどきトラウマ否定論というのに出会いますが、人間は経験から学ぶ動物であることは否定しようもないことです。「火が怖い」とか、「闇が怖い」とか、そういうのも私は広い意味でトラウマだと考えるわけですが、これを否定するとなるとどういうことになるのか、よく分かりません。
フロイト流の精神分析はある症状の背後というか、「火が怖い」なら、そうインプットされた経験を思い出させようとしますが、それは別に悪者探しではありません。その経験を特定し、それをきちんと受け止め直すことを目指しているわけで、自分以外の悪者を見つけて攻撃するのでは、何の効果もありません。患者が記憶を捏造することの弊害を批判する人はたくさんいますが、私の理解では、精神分析は経験の解釈のかたよりを正そうとするものですから、他罰的に記憶を捏造したのでは結局患者が損をするだけです。
われわれれは誰でも、突然思い出して「ワーッ」と叫び出したくなるような恥ずかしいこと、今にも逃げ出したくなるような怖い思い出があるはずです。それを思い出さないように記憶の底に沈めるのは問題の先送りにしかなりません。精神分析の要諦は、抑圧せずに経験にきちんと向き合い、経験を人生の養分として深く受容するようにすることです。それが要するに解釈のかたよりを正すということ、別言すれば、現実を突き放して眺め、より大きな文脈の中でとらえ返すということです。火事を経験した結果、「火が怖い」という印象を植え付けられた人でも、この技に習熟すれば、「心頭滅却すれば火自ずから涼し」という境地にまで達することができるはずです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.09.03 16:20:14
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