2016/12/17(土)10:08
教育についての雑感(1)-共同生活
日本の義務教育の特徴として、集団登校制、そうじ当番制や給食当番制、運動会や文化祭などの催しなどがよく挙げられます。日本の学校がなぜこういう制度になっているのかはよく知りませんが、仏教の僧堂生活に起源があるのかもしれません。
僧堂の共同生活の背後には、他人との生活から社会性を学ぶ、精神修養をする、という考え方が背後にあります。これは、家で家庭教師について勉強する、フリースクールに通う、ネットで知識を得る、などというだけではついに補えない部分です。私などはしろうと考えで、これを拡充して、義務教育の一年に数か月だけでも寝食をともにする無料の期間全寮制のような制度を導入すればさらによいのではないか、と思っています(もちろんいじめを助長する、脱落者が出る、などのマイナス面がすぐに思い浮かびますが、反面、母子家庭の子や一人っ子にとっては、プラス面もまた大きいのではないでしょうか)。
極貧から身を起こし、破天荒な生涯で知られた禅師・沢木興道は「獅子舞の太鼓たたかず笛吹かず、後ろ足となる人もあるなり」ということばを紹介して、共同生活の重要さを説いています。ことばの意味は、社会では全員に陽があたるわけもないのだから、共同生活でそれぞれの役割を自覚し、その役割を十全に果たすことが大事である、ということです。昨今では、学芸会などで、なぜうちの子が主役でないのか、と文句をいう親もいるそうですが、沢木禅師の教えは反時代的です。「外見にはどんなつまらぬことにせよ、力一ぱい働くところに本当の浄らかな悦びがあるのであります。この浄らかな悦びには敵するものなく、競争もなく、永遠に失望することもありません。これほど偉大な悦びは、またとあるまいと思います。こんなところに、本当の実物の仏法、正味の仏法があるのであります」(酒井得元『沢木興道聞き書き』)。