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前回少し過激なことを書いたので、誤解を招いたかもしれません。私がいおうとしたのは、教育というと親や教師が子どもに何をしてやれるかという視点から論じられがちですが、子どもは上からだけではなく、横からも多くを学ぶのだ、ということです。
たとえば子どもは友人と遊んでいるとき、ただ遊んでいるだけではありません。大人の眼にはたわいもない遊びにしか見えないかもしれませんが、子どもはそこでさまざまな心理的動揺を経験し、政治的かけ引きを命がけで学んでいます。子どもの社会は大人の社会と同じほど厳しく、最悪の場合はいじめから殺人が起こることもあります。前回は、その厳しさを指して、「残酷な環境」といったわけです。もちろん学校では教師が監督するわけですが、干渉しすぎたのでは意味がなくなるのも事実です。実際、最近の教師はこうした不即不離というか、適度に放し飼いにする監督術が下手になっているように思います。教職ではこういう技術こそ教えるべきです。 子どもの数が減っています。一人っ子とか、核家族の家では、子どもは多様な人間関係を結ぶ訓練ができません。そして人間関係が苦手な子は、ますます一人でいることを選び、悪循環になっていきます。こういう時代だからこそ、学校で人間関係を学ぶ必要が、かえって昔以上に重要になっているともいえるのではないでしょうか。 以上、徳育(人間関係)について述べましたが、体育も同様です。体力の強化や特定のスポーツの熟達などは上から教えられるものですが、もっと基本的な体の動かし方などは、一人一人が能動的に体を動かすことでしか学べません。そしてこの場合も、大人が子ども目線になって遊んでやるのではなく、子ども自身が同世代の人間と遊び、競い、和することが効果的だと考えます。 今年もご笑覧ありがとうございました。皆さま、よいお年をお迎えください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.12.31 11:02:05
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