時空の流離人(さすらいびと) (風と雲の郷本館)

2010/03/01(月)07:12

論理の方法

日々の読書(学術・教養)(249)

 小室直樹氏による「論理の方法」(東洋経済新報社)、非常に示唆に富む書である。 ○「論理の方法」(小室直樹:東洋経済新報社 )  小室氏は、元々数学を専攻していたが、大学院から経済学に転じ、更には政治学までも学んだ非常に幅の広い学者である。以前は、テレビでも時折見かけ、そのユニークな言動でも知られていたのだが、最近はまったく見かけないので残念に思っている。  この「論理の方法」は、副題に「社会科学のためのモデル」とあるように、論理を自由自在に使いこなすためには、モデルをつくってみることが重要だということを、社会科学の様々な分野について、事例を示しながら解き明かしたものである。モデルとは、著者が述べているように、「本質的なものだけを強調して抜き出し、あとは捨て去ったもの」だ。すなわち、現実の世界から「抽象」と「捨象」をして作りだしたものなのである。現実はそのまま扱うには、あまりにも複雑すぎる。だから多くの先賢たちは、現実から「抽象」と「捨象」の結果であるモデルを抜き出して、論理を構築してきたのだ。  しかし、ひとつ気をつけなければいけないのは、モデルは万能ではないということである。論理を展開するために、本質的なところを抜き出しているのだから、当然適用限界がある。本来の目的以外のところに、同じモデルを使っても、有用な結論は出てこない。  このことは、理工系の人間は直感的に理解している。例えば、電気回路では、高周波領域の等価回路と低周波領域の等価回路は全く異なっており、これを入れ替えて使えば、まったくナンセンスな結論しか出てこないことは常識と言って良い。また、物理学における数学モデルについても、方程式を解くと、物理的に意味のない解が出てくる場合があることも知っているのだ。しかし、社会科学においては、必ずしもそのことが十分に理解されているとは言い難いだろう。モデルとはひとつの仮説なのである。そのことを理解せずに、宗教的帰依感を持って、モデルを絶対視する、そんな傾向はないだろうか。  この本で紹介されているモデルは、古典派からケインズに至る経済学モデル、マクス・ヴェーバーによる宗教モデルと資本主義に関するモデル、丸山正男の日本政治モデル、平泉澄の日本歴史モデルと非常に幅広い。内容については、私も専門外と言うこともあり、必ずしも十分に理解できたとは言い難いのであるが、モデルを使った論理構築というものの有用性を再認識すると共に、著者の学問の幅広さ、奥深さもうかがえるような一冊である。 ○ランキング今何位?      ○姉妹ブログ ・文理両道 ・本の宇宙(そら) (本記事は、姉妹ブログ3館共通掲載です。)  

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