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【消えぬ記憶と】 僕が詩を書いているのはけして誰かに強制されたものではない。 上京したことも将来を約束されたからそうしたのではない。 人生において安定だけを求めるなら勤めていたそれまでの会社に留まるという選択や他にももっと有効で効率の良い道選んだだろう。 けれど僕は人生のこのタイミングで自らの判断でこのような行動をとった。 今そうしないと後に後悔するのではないかという自分なりの確信に基づいての行動。 僕が小学六年の時、当時三十代の男性担任先生が十二歳の生徒を一年間見続けた後に教え伝えてくれた言葉、『おまえはやれば出来る人間なのだ』と、学業にこれっぽっちも興味を示さなかったこの僕への言葉。 当時、その言葉の意味や重さや思いをまったくもって理解できないでいて、けれどその後どんなに年月が過ぎても僕の頭の片隅から消えることはなかったのだった。 やがて僕は社会人四年目の二十二歳という年齢になり、向こう数十年の未来が手に取るように見えてきだすと、僕は僕の中で眠るなにかしらの能力をこのまま眠らせたままでいいのだろうかということを自問自答し始めみるのであった。 『やれば出来る・・・』。 自分に可能性があるとしたらいったいどのようなものなのだろう・・・と。 僕が詩人としての可能性に賭けるということ。 約束された将来を捨てて信じた才能に賭けるということ。 二十二歳という年齢でのこれらの行動は常に頭の片隅にあった言葉が少なからず背景にあったことは否定できないところかも知れない。 人生はタイミングであり、閃きである。 そして人生は、僕だけのものであり、僕だけのものではない。 二十二歳当時、もう子供の自分へは戻れないことに気付き始めた当時の僕の人生観である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.11.25 03:37:55
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