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これまではまったくと言っていいほど宗教というものに興味は無かったのだけれど、 宗教は生涯必要とはしない人生送ることだろうと考えていたのだけれど、 家族揃って自己破産した数年前から今日に至るまでの間、あんなに人に迷惑をかけてきて、あんなにも多くの教訓を体験してきて、けれどあれからまったくと言っていいほど進歩、成長していないことに今日あらためて気づかされた。 もうさすがに宗教という選択しかないのかなと・・・。 本来ならローンが組めないところを僕の人柄と人間性を見込んで例外中の例外で分割払いを認めてくださった個人経営の自動車販売、修理会社の社長さんの行為を支払い滞納という形で裏切ってしまっていたということを今夜になって初めて知らされた。 この社長さんが分割払いという配慮をしてくれなければ車を所有することや車検を通していくことはきわめて困難だった状況であったので本来なら三人とも自転車や電車での移動手段しか選択できず行動範囲はかなり制限されるところだった家族を救ってくれた社長さんに対してまさかの失態。 僕の車の車検代ではなかったが僕が支払いに行くべきだったと後悔するばかりだ。 親の車で、しかももういい歳の大人だからそのあたりの常識は十分理解しているものと思っていた のだけれど・・・。 もう誰を責めるとかの問題ではなくそれこそまたしてもの家族の連帯責任である。 「もうここまで信用を失ってしまったなら誰にどう思われようともどうだっていいや」という心境だ。 空しさ悲しさを通り過ぎて涙も出てこない。 弟が入信している宗教を何十年も前から薦められていてその弟家族はいろいろと苦しい家庭状況でありながらも誰一人世間の人に迷惑をかけることなく今日まで生活を送っている。 今更親と対立したところでこれまでの繰り返しでしかならないのは明白であるのでここはもう宗教の力を借りてでも自分を変えるしかないところへ来ているのだろうと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.08.11 02:53:29
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