『釣りと自分』遠い記憶・・・ 77 気がつくと彼も同じ照明を見上げていた。 そして
『だからね、どこか連れて行ってもらえるとしたら いつも釣りなんですよ。』
僕もしばらく照明を眺めていたからか、目が眩んで彼の表情が 良く分からなかったが、なんとなく複雑に感じた。
『だからか、分からないけど、古い写真が実家に残っていて、笑っちゃうんですよ。だって母親が言うには、3歳頃なのにリール竿持ってましたからね。鯉のぶっこみでもやってたんでしょうね。』
『3歳?うちの子なんてやらせて見たけど、見てらんないし、 自分の釣りは出来ないからで、もうずっと一緒に行ってないな。』
『放って置かれたから、勝手にやってたんでしょうね。 だって真夏の炎天下で子供を置いてどっか見えないところまで 行ってしまうんですからね・・・自然に覚えますよね』
彼は他にも、実家には釣り専用の部屋があって、色んな道具が有った事も 話していた。特に、親父さんが仕掛けを真剣に作っている時にその部屋に 入ると、何故か凄く怒られたという話が印象的だった。 その部屋で仕掛けを作ったり、道具を触って良くなったのは小学生の高学年 になった頃だったという。 道具に関しても親父さんがこれを使えという物を黙って使っていたようだ。 道具や釣りに関する考えはまた後日に彼から聞くことになるのだが、 驚いたのが、鮎の仕掛けに関しては、まったく教わったことが無く、
『それこそ、記憶が無いくらい小さい頃は、当然親父のを使っていたけど、 小学生の5年生位からは、仕掛けも全部自分で作れって言われてたな。』
そう彼は言っていた。
彼の家には独特の釣りへのルールというものが有ったのかも知れないなと 僕は考えながら、また1組のお客さんの会計を済ました。 |