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December 11, 2013
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テーマ:たわごと(27480)
カテゴリ:カテゴリ未分類
(12月9日バカリズムのオールナイトニッポンゴールドより)

スペシャルゲストはマセキ芸能社の宝、狩野英孝(狩野会会長)



・31歳、宮城の神社の39代目。ひとりっこではなく、ふたりっこだ(?)



《幼稚園時代》

・初恋の相手はカヨちゃん。みんなが好きだと言っていた人気の子だったため自分も好きなような気がして。



《小学校時代》

・小学校で担当した係は、ゲーム係。

・ゲーム係は自分で作った。みんな朝テンション低いから、3分間ゲームして身体をあっためてから授業に臨もう! という思いから。「トンネルを抜けるとその先に芸人がいました。誰でしょう?」といったなぞなぞ等、オリジナルのものを考え、月〜土の帯でやっていた。トンネルのなぞなぞの正解は「とんねるず」。クラスの正解率は100%だった。

・とんねるずが好きすぎて、記録に残しておきたくて、小学校時代はおこずかいをためてテレビデオを購入。小学生にとってテレビデオはかなり高額な買い物であった。狩野の世代でとんねるずにハマるのは早く、クラスの中で一歩リードしていた。

・芸人になりたいというより、とんねるずになりたかった。



(番組内の桜林デスクのニュースの時間、狩野は顔の皮を剥いていた)



《中学校時代》

・ピアノを習っており、合唱コンクールでは伴奏係。当時はドラマ『ロングバケーション』が流行っており、木村拓哉演じる瀬名のピアノを弾く姿がかっこよく、人気であった。栗駒中学一年四組では狩野がピアノを弾いていた。キムタクとかぶせてかどうかしらないが、女子からの狩野のあだ名は「インチキ」であった。

・狩野がバレンタインにもらったチョコは最高2個(お母さんを入れて3個)。ガチで手づくりだった。



《高校時代》

・仙台の別の高校の女の子が初めての彼女。タイタニックを観に行った。

・男子校で弓道部に在籍。

・総合運動場には様々な運動部が集まるが、中でも弓道部は袴姿がビシッとしていてかっこよかったため、バレー部や卓球部、バスケ部の女の子たちが集まって来ていた。狩野の高校の弓道部は特にもてた。

・バンド活動開始。バンド名は『ディスインフィクション』。狩野はリーダー兼ボーカル。オリジナル曲は『夕暮れ』『ブルーアブリージ』。『ブルーアブリージ』の意味は、青いそよ風。ラルクアンシエルが好きで、ラルクのコピーもやっていた。

・いじめられるっていうか、アンチはいた。クラスの中心に立って変わった事をやったりだとか、女子からチョコを2個もらったりなどの嫉みからくるものだった。相当な嫉妬、嫉みがあった。

・高校2年の時、8人のヤンキーから目をつけられ「ちょっとお前病院の屋上にこい」と言われた。連れて行かれて「お前か。最近調子乗ってんの」と言われ、「なにが」と返したところ、「お前あそこの弁当屋の前、女と歩いてたらしいな」と言われた。弁当屋の前を彼女と一緒に歩いたことは本当だったが、彼女のいないヤンキーの嫉妬だと気付いた狩野は認めたらこいつらに火をつけるな。と思い、「似てる人じゃないの」と言いかけたところ「似てる人じゃない…」のところで3年の先輩から思いっきりビンタくらった。その後は殴られるわ蹴られるわ投げられるわで結構ボコボコにされた。

・この経験が狩野の闘争心に火をつけた。「高校出たら東京に出て有名になろう」と思った。



《日本映画学校時代》

・ウッチャンナンチャンの母校であること、3ヶ月間『お笑い実習』があることが学校選択の決め手となった。

・学校のある新百合ケ丘ではなく祖師ケ谷大蔵に住んだ理由は木梨憲武の実家・木梨サイクルがあったから。ノリさんの育った環境で暮らしてみたかった。時々木梨サイクルに行き、作三(憲武の父)を見たりしていた。

・セリフの多い役を任されていた。

・映画学校の先輩であるバカリズムから見て、狩野の演技はちゃんとしている。基礎が出来ている。

・独自のトレーニングとして開始したストリートライブで、路上に100人以上のお客さんを集めた。

・映画学校では代々『岸和田少年愚連隊』をやるのだが、狩野の役はナイナイ矢部の役で、主役だった。そこで実力が認められ、自信がついた。



《初のお笑いコンビ結成》

・お笑い実習で作ったコンビ名は『れぼきゅう』。狩野はボケ担当。

・九州出身の俳優志望の男の子と組んでいたので、九州の「きゅう」と、レボリューションの「れぼ」を入れた。狩野の学生時代のあだ名が『レボリューション』だった。(レボリューションの由来は革命を起こすほど狩野の芝居が上手かったため)



《マセキ芸能社へ》

・お笑い芸人のかっこよさに衝撃を受けた狩野はソロでマセキのオーディションを受けるも、6ヶ月連続で落とされた。

・ピンでどうしたらいいかわからない狩野は、漫談、ショートコント、落語、様々なことをやったがすべてダメで、俳優のトレーニングを受けてきたことを思い出し演技なら、とコントをやったら合格した。

・マセキのシステムとはライブで高評価をとり続けないと所属にはなれないというもの。最初は5ヶ月間すべり続けストレスで血尿が出た。

・そして生まれたのが「ラーメン、つけ麺、僕イケメン」

・現在芸歴10年目。





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Last updated  December 11, 2013 08:00:17 PM
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