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暇な人、よっトイレ~♪

一休禅師

一休禅師、幼名は千菊丸で修行名は周建
そうだよ、一休さんという名前じゃ無かった
有名な足利義満との謁見では、周建だったんだよ
父親は後小松天皇であり、母親は伊予の局か藤侍従
ここは定かではないんだけど・・・

天皇家の血筋なのに何で坊さん?
当時は南北朝を統一したばかりで、南朝の復活を怖がった
母は、実は南朝の血筋であったから
彼を擁立する可能性があって、本来なら殺されていた
だから、安国寺に6歳で入ったんだ
上に書いたが、足利義満との屏風の虎事件は本当のこと
門答は幾つか残されているけど・・・
ここを膨らませて現在の一休さんになったと言う訳だよ

将軍も殺すべき人間と考えたが、この門答で解消した
彼は利発であったから、11歳で遊学に入る
そして、西金寺の宗為から名前を宗純と付けられる
ここで、始めて一休の名前が与えられた
だから、一休と言う名前は20代になってからの話なんだよね

宗為の死後、彼は放浪の旅に出る
彼の悟りとは、一切の者の執着を捨て去ること
権威の否定、そして悟りをも否定
反骨精神十分の人物で「女犯・飲酒・肉食」をも行う
当時としては大変な破戒僧だよ
当時の僧は、女も酒も肉も・・誘惑全てが御法度
厳しい修行で己の悟りを開くのが坊さんなんだもん
これが、酒を飲んで女とHをしてる
なにせ、愛人を連れていた
まあ、変わった人物

???
勿論、僕が生きていたら殺されてる(((爆)))
でも、庶民はそんな破戒僧をひいきにする
有名なのは、正月に骸骨を持ち歩きしたこと
この歌は有名な歌で彼の心を現している

元旦は冥土の旅の一里塚
めでたくもあり、めでたくもなし

まあ、こんな感じだよね
テレビアニメの一休さんと大分違う
唯一、トンチをクローズアップして皆に親しまれるけど
実際は、反骨精神旺盛の奇特な人だった
彼は最後に大徳寺再建のために住職になる
でも、そこには住まず自分の小屋にいた

知らない方が良かったかな???
子供の夢を壊したかも^^;
禅宗の坊さんで、愛人を持つなんて普通は考えられなかった時代

最後に、八十七歳で死に旅立つ時の言葉

濛々淡々として六十年
末期の糞をさらして梵天に捧ぐ
借用申す昨日・昨日、
返済申す今日・今日
借りおきし五つのもの(地水火風空)を四つ(地水火風)返し
本来空に、いまぞもとづく




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