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カテゴリ:cancer
7日にばあちゃんが亡くなって、
10日にお通夜、11日が告別式。 喪主の挨拶で、じいちゃんの時には泣かなかった親父さんが、 「やっぱり母親っていうのは違いますね・・・」 と声を詰まらせて泣いた。 みんなで、もらい泣き・・・。 病院の呼吸器科の待合室で一緒に診察待ちをしていたとき、ばあちゃんが言ったんだ。 「好きなことさせてもらって、いろんなとこ連れてってもらって、 お友達もたくさんできて、おばあちゃんはほんとに幸せだったよ。 もう思い残すことは何もないよ。」 ばあちゃんは、その時にはもう、どうやら癌らしいと聞いていたみたい。 あたしはまだ、ばあちゃんが肺ガンだなんて聞いてなかった。 なんて答えたらいいのかわからなかった。 その2週間前、整形外科にかかってた頃には、 「じいちゃん(の仏壇)にね、じいちゃんと同じ年だけ生きるからって言ったんだよ」 「ばあちゃん、あと1年ちょっとで逝っちゃう気なの?」 なんて会話してたんだけど・・・。 呼吸器科にかかる頃にはもうかなり悪化していて、 車椅子に座っているのさえつらかったみたい。 「できればね、もう一回、自分の足で歩いてみんなとゲートボールしたかったなぁ。 もう、痛くて痛くてねぇ。 じいちゃんにね、早く迎えに来てちょうだいって、頼んだんだ」 「何言ってんの~。誕生日までまだ二ヶ月もあるじゃない。」 それから一ヶ月もたたないうちに、ばあちゃんは逝ってしまった。 ばあちゃんの子供や孫たち、かわいがっていた姪も御見舞いに来た土曜日の昼過ぎに、 そんな風にみんなが集まるのを待っていたみたいに、 みんなが見守る中、 「ばあちゃん」「おばさん」「かあちゃん」ってそれぞれに呼び続ける中で、 静かに、静かに、呼吸を止めた。 肺ガンから、肝臓や骨まで全身に転移してて治療のしようがなかった。 下手したら(死ぬまでに)1年くらいかかるかもなんて言われてたけど、 1年も痛い思いして苦しまなくてすんだのなら、良かったのかもしれない。 プライドの高い人だったから、他人にオムツ替えてもらうのも嫌だっただろうし。 何より自分で自由に動けないのは、ほんとに情けなかっただろうなぁ。 そういう意味では、ほとんど寝たきりの期間が一ヶ月ちょっとしかなかったのは、 喜んであげなきゃいけないのかな・・・。 残された方は、やっぱりどう考えても寂しいんだけれど・・・。 でも、最後にあたしとばあちゃんだけの思い出がつくれた。 待合室でいろんな話したこと。 ばあちゃん、忘れないよ(^^)v お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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