2007/02/27(火)15:56
大阪・京都の旅(1) ~こども夜まわり
先週末の2月24~25日、また大阪方面へ旅に出ました♪
今回の目的はふたつ、
‘こども夜まわり’に参加することと
‘表現アートセラピー’のワークショップを体験することでした。
今日は夜まわりの報告をしたいと思います。
前回も書きましたが
こども夜まわりは「こどもの里」が毎冬、毎週土曜日の夜に行っています。
「こどもの里」は、大阪市西成区という
全国で最も野宿生活者の多い地区にある子どもの居場所です。
こども夜まわりは、こんな感じ↓で進みます。
15時から、夜まわりで配るおにぎり作り
夕食をはさみ、
20時から学習会
(初めての人に向けたものと、もう一歩踏み込んだもの、2つの学習会があります)
22時から深夜1時までグループに分かれて、おじさん達を訪ねてまわります
その後、すべてのグループが帰ってきたら
全体でシェアリング(どんなおじさんがいたか、何を感じたか話し合います)
終わるのは2時頃
この冬、私は2回目の参加です。
今回の学習会で私なりに感じとったテーマは
「自分はどの立場で生きていくか」ということでした。
おじさんと私は人として同じ価値があるし同じように尊重されなければならない
でも、社会において立っている位置が‘違う’
おじさんは外で寝て、食べるものは炊き出しかゴミを拾って食べる
おじさんは、階段で言えば、一番下。
私は寝る場所も食べるものもあり、拾って食べることはない
私は階段の真ん中くらいだろう。
夜まわりに参加しているからと言って
夜まわりに参加してない人や、野宿者を軽蔑したり無関心を装ったりしている人、
行動しようと思っていてもできない人と自分は違うとは思わない
だって、食べるものも寝る場所もある私が今立っている位置はそのような人たちと同じ。
決して、おじさんと同じ一番下ではない。
私たちは、野宿しなければならない人が出てきてしまう社会に生きている
同じ社会に生きているのに
十分食べられる人と、一日何も食べないで暮らす人がいる
私は自分がそういう社会に生きているということに対して
自分自身がその人たちと何の関係もないとは思えない
例えば、携帯電話を例に挙げてみましょう
一緒に夜まわりをした女性が、たまたま携帯の下請け会社で働いていて
次のような話を交わしたので簡単に紹介しますね
私たちは消費者として、よりサービスがよく、より安い携帯を求める
その安さを保つためには、もちろん人件費が削られている
誰が安い賃金で働くか?
それはおじさん達です
携帯会社から下請け会社に発注があり、さらに下請け会社が人を雇って働きます
部品を今以上安くすることはできないので
人件費を下げるしかありません
下請けの会社も経営が苦しい時は、給料の支払いも遅れます
でも、、、同じようなサービス内容なら
私もより安い携帯を求めると思います。。
大量消費・大量生産、安いものが売れる社会では
必ずどこかにしわ寄せが来ます
私は、それを知って知らぬふりはできない
そのしわ寄せを受けているおじさん達と向き合いたいと思う
おじさんと同じ位置に立つことはできないけれど
この‘違い’はおかしい!と声をあげたい
おじさん達が路上で亡くなったり、餓死することがなくなってほしい
2日目、京都へ行ってきた帰り
駅の通路を歩いていると駅員さんに声をかけられた。
「この通路、おかしいでしょ?」
その通路は、たくさんのおじさんたちが座ったり休んだりしている通路で
「こどもの里」へ行く時はそこを通らなければならない。
私は「いいえ・・・」と小さな声で答えた。
すると、さらに
「変なおっさん多いでしょ? 大丈夫??」と聞いてくる。
私は「はい」とうなづく。
駅員さんは、あぁ・・・そう。。という雰囲気。
なんか、いろんな気持ちが入り混じって、悲しくて悔しくて
その駅員さんにぶつけそうになった。。
昔、国鉄の線路や駅舎を一生懸命働いて作ったのは、このおっちゃん達なのに・・・
また学習会のテーマに戻りますね
「自分はどの立場で生きていくか」
私は、階段の真ん中くらいです
おじさんは一番下です
そこを変えることはできない
でも、、、
気持ちだけはおじさんに少しでも寄り添いたい
見て見ぬフリをしたくない
「寒いですね。。」と目線を合せて声をかけたい
おじさん達が寝れないようにフェンスや花壇を作って、見た目だけの美しさを求めるより
そのお金を本当におじさん達のためになるように使ってほしいという声をあげたい
こんなことを考えながら
夜まわりでたくさんのおじさんに声をかけてきました。
最後に、学習会で講師が紹介してくれた絵本を紹介します♪
『かさをささないシランさん』
アムネスティ・インターナショナル&谷川俊太郎/作、いせひでこ/絵
雨にぬれて歩くのが好きな男、ちょっと人と変わっているかもしれません。
でもそのせいで男はたいほされます。恐ろしい話です。
しかし似たようなことが今も、世界のどこかでおこっているのです。
こちらのページにとても詳しい解説が載っています
次回の日記は、2日目京都で体験した表現アートセラピーについて書こうと思います^^
寝る場所・食べるもの・生活保護・医療などの現実的な支援だけではなく
野宿している人々が自分の可能性を再発見し、あきらめず前向きに生きていけるような
目に見えないけれど大切な部分を支援するために
私は表現アートセラピーを学びはじめました。
もちろん、そのセラピーはおじさんたちだけでなく
私たちにもとっても有効で、初めて体験した私もとても満足しました^^
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!