自分の中の弱さと向き合う映画 『ジャーニー 神の小屋』
心の中に“澱となっているもの”の扱いに困惑している私に
向き合うべきものは“自分”であり
孤独だと思い込んでる私に
“大きな存在”、“見えざるもの”を思い出させた映画。
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宗教的な映画なのでキリスト教がベースにないと意味不明だし、多分、違う解釈やメッセージを受けとると思います。
仏教とは違うので日本人には受け入れ難いかもしれない。
『愛』がベースなんだけど
自己満足な愛ではなくて広義の愛。
普通の人には受け入れられない広い大きな愛。
悲しみや怒りや憎しみ等を手放すことがいかに難しいのか?
最近の私には響いた映画でした。
突然、死別してしまった未亡人と私とでは同じ未亡人でも
1つだけ大きな違いがあるとは感じていて…。
それは運命を呪うとか、神様なんていない!とか
思うようには成らなかった理不尽な出来事に対しての怒り?が
ずーっと存在しているか?どうか?
話をしていると根底にあるのが感じられる時もある。
何年経っても消えてないもの。
どんなに強く願えば望みが叶う、なんてことはないし
キリスト教じゃなくても
神社で御賽銭を
例えば
10000円入れて祈っても、
5円で祈っても同じな訳で
御利益主義って
単なる金儲けの道具に利用されてる。
見返りを求めてる?
この世は矛盾だらけに見えるし
理不尽な出来事に溢れてるし
「私がなにか悪いことしましたか?」って思いたくもなるくらいの悲しみや怒りを抱いてもきたでしょう。
死別に関しては、良かったなんて全く思えないけど
夫はもう苦しんでもいないし、穏やかにいると思う。
悲しいよ!苦しいよ!助けて!なんて1つも思ってなくて、昔のまま明るくケロッとしていると思う。
「あの人が一番悔しかったはず!」
ってずーっと引き摺っていたり、悔やんだり、悲しんだりするのは亡くなった方の本意ではないと思ってる。
うちの夫に関しては、そんな風には思ってない。
今は大好きなおばあちゃんも一緒だしね。
心が慰められるなら、一時はそんな考えも仕方ないけど
大切な人が、これからの人生を前向きに生きてくれることを願ってるはず。
そして待っていてくれる。
その旅路の果てに再会するわけ。
だから怖くない。
でも生きていくことの方が大変で
一人だけ重い荷物を背負ってると思ってしまう。
そうではないよ、って言われても
全て一人で背負ってると思って余計に悲しくなる。
心のありかたによって、生き方もかわるもの。
長女も一緒に観られて、良かった。