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テーマ:サッカーあれこれ(19762)
カテゴリ:スポーツ
日本代表の戦いが終わって二週間。世の中は、オシム、オシムでジーコ日本代表の総括は、サッカージャーナリズムの世界だけに封印されてしまっている。
どうもこの川淵発言から始まった一連のオシム騒動の背景には、当初の期待を軽く裏切って勝ち点わずか1にとどまった責任追及の世論が、これから先協会トップへと及ぶことを、オシム人気で事前に回避しようとした匂いがぷんぷんとする。 善意に解釈しようとすれば、日本の終戦によってワールドカップへの関心がしぼんでしまうことを恐れた協会が、「オシム」という新しい話題を提供することで、サッカーへの関心を持続させようとの高等戦術を使ったということであろう。事実、オシムの人柄や言葉、動静を紹介することに多くの時間が費やされ、見事なまでに日本代表への関心に空白が生じることはなく、開幕直前に匹敵する露出度だ。 川渕氏とは仕事の関係で世話にもなり、現在の協会のみならずサッカー界を見渡しても稀有の人材であって、余人を持って変えがたいのは筆者も痛感しているのだが、今回の責任の取り方はいただけない。 先手先手で話題を提供し、総括を後回しにしているところなど、どうも小泉純一郎首相にダブって見えたりする。 さて、今回の日本代表については、やがて金子達仁氏なり、二宮清純氏なり、名だたる評論家が、「実はそんなことがあったのか」という衝撃の日本代表の姿をレポートしてくれることだろう。 そんな中、既に言い古された総括ではあるかもしれないが、できるだけ重複しないような観点を選び、私自身の今回の感想を、あらあらの骨子として示しておきたい。もちろん以下に書くことが全てではないので折に触れて補充していく。 1,解消されなかった「海外組」と「国内組」 ジーコは、「海外組」に多くの指定席をプレゼントした。結果的に海外組というブランドとなり、チームの統一性や戦術よりも優先されてしまうこととなった。ジーコ自身がそうしたネームバリューに拘束されて、戦術を見失っていた。今後の教訓として、試合出場のない海外組を代表のスタメンには起用しないなどのチーム内規が必要であろう。 2,柳沢へのこだわり ジーコは柳沢を偏重した。骨折からの回復待ちというリスクを犯して使い続けた。しかし、90分の試合、また長いリーグ戦とトーナメントに耐えられるほど回復していなかったのは明らかだった。その起用方法について、チーム内、スタッフ、協会と現場でどれほどの覚悟ができていたのか。 3,強化試合の編成 ジーコ代表時代は、膨大な数のAマッチが組まれた。バブル到来というほどの試合が組まれたが、その中で、例えば現地入りした後のドイツ戦などは本当に必要だったのだろうか。少なくとも、チームはあれで勘違いしてしまった。いや、勘違いしたとしても、それをたしなめ、総括することが行われていれば別の結果もあろうが、ジーコ日本代表は開幕前のドイツ戦がチーム状態のピークだったというお粗末な準備となた。 それ以外にも、集まっては同じことの繰り返しという試合があまりに多く、戦術の蓄積、オプションの増加といった、サポーターにわかる経験値の積み上げが全くないまま本番に突入した。 4,自由と規律 ジーコが創造性を重視したことは必ずしも間違いではない。確かにワールドカップ三大会目というのはそうした次の段階にチャレンジする好機であるとも言える。 しかし、三大会連続で選出されている選手は、中田、小野、川口ら少数である。日本代表全員にワールドカップの経験の蓄積があるわけではない。殆どが前回大会のホームでの雰囲気しか知らない。それを考えると日本代表はまだまだビギナーである。 どんなチームでもパニックに陥る時間帯や、足が止まることはある。しかしそうした時でもそれをやり過ごす「約束事」の意思統一がされていれば、チームを落ち着かせ、嵐の過ぎ去るのを耐えることはできる。ピッチにいた選手は、オーストラリア戦のラスト十分、自分たちの引き出しの少なさに気がついたはずだ。それはあまりにも遅すぎた。 5,代表カラーの未熟 ジーコ日本代表に限らず、過去も含めて、日本代表のスタイルというものはいまだその片鱗すら見えない。監督ごと、時に同一監督でもチームのスタイルが変わる。カラーを創出しないまま、結局90分間「相手に合わせる」ということが多々見られる。それでは親善試合では勝てても、本大会では勝ち残れない。これは日本らしさを否定する戦後教育、明治期以降の欧米追従教育とも関連する大きな問題である。 極端な物言いになるが、祭りで無心にみこしを担ぐとか、滝に打たれるとか、寒中禊をするとか、柔道の乱取りをするとか、そうしたどんな状況でも混沌としないための精神修養とあわせて、原点となる「共通意識」「リズム」をつくらないと、ずば抜けた個人の能力だけでは世界では勝てないだろう。これは他の球技スポーツにも言えることである。そうした点から言えばWBCの王監督は戦術だけでなく、選手の精神面でも見事にコントロールした。 ジーコ日本代表が解散し、パイオニアの中田が引退した。この中田の引退は極めて象徴的な例であるが、今後の日本代表は四年後を見据えて、「世代交代」が一つの鍵となるであろう。 今回の代表選手を今後も引っ張り続けるのか。新しい世代と融合するのか。それとも、新しい世代だけで挑むのか。 ジーコが新しい世代の発掘に失敗(?)もしくはそれを怠ったことだけは事実である。 日本代表を頂点とする日本のサッカー界は、こと代表に関する限り、98年、2002年の遺産を食い潰してしまった。しばらくは苦難の道が続くであろうが、代表の母体であるJリーグの財産として、ブッフバルト、リトバルスキー、ドゥンガ、ディアス、ストイコビッチらが指導者として、または各国とのパイプとなっていることはあげられよう。こうしたネットワークをもとにJリーグから日本サッカーを再建していくことも一つの方策として考慮してもらいたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年07月07日 22時35分57秒
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