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2006年08月24日
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カテゴリ:教育
保守国民運動における教育再建運動の重鎮、石井公一郎氏のことを述べたい。

石井公一郎氏を語る場合、実父の石井光次郎に触れなければならない。
石井光次郎は戦前警視庁や台湾総督府に勤務し、昭和21年、鳩山自由党から総選挙に立候補し、当選するがGHQの公職追放を受ける。鳩山一郎の追放解除を受け政財界人が既成をあげる会合を開いた際、鳩山は脳卒中で倒れるが、トイレで発作を起している鳩山を見つけたのが石井とされている。(余談だが、このとき鳩山番をしていた読売の記者が渡辺恒雄で、鳩山の昏倒を見逃しスクープを逸したため、上司から手厳しく叱られたといわれている。)
この石井光次郎、保守合同の際、自由党幹事長として手腕を発揮した。言うまでもなく、この保守合同は55年体制と呼ばれる戦後政治のフレームを作ったものであり、当時のメインキャストは民主党の岸信介幹事長、「誠心誠意嘘をつく」三木武吉総務会長、自由党の石井と大野伴睦総務会長である。
石井光次郎は、自由民主党の初代総務会長となり、その後二度の総裁選に立候補するが落選、通産大臣、法務大臣、衆議院議長を歴任し、八十二歳で政界を引退、その後日本体育協会の会長を務めた。

さて、メインキャストの石井公一郎である。石井は昭和18年、慶應義塾大学を繰り上げ卒業して学徒出陣、本土決戦に備える部隊に従事し、内地の甲府で終戦を迎える。「回想 学徒出陣」を上梓しているが、当時の戦友との座談会で、神宮外苑の学徒出陣壮行会を雨のためか欠席したエピソードが紹介され、仲間たちから「なんだ、石井君はサボりか」とからかわれている。小田村四郎元拓殖大学総長は、昭和18年出陣組みの戦友だと話す。

石井公一郎氏は、ブリヂストンタイヤ、後にブリヂストンサイクルで国内での自転車販売で実績を上げ社長に就任。中曽根内閣の下に設置された臨時教育審議会の委員や文部省の大学設置審議会の委員を務め、その後東京都の教育委員を二期四年務める。

氏は、教育委員会制度見直しを主張しているが、自身の体験から、日本の政治風土、教育環境にこの制度が不適当だと感じている。例えば、教育委員会は月一~二回しか会合が開かれず、事務局が提出した案件を承認する機関となっている。審議事項も人事や懲戒にわたるものに多くの時間が費やされ、地域の教育の中身が真剣に議論されることは少ない。というか、事務方が全て牛耳り、そうした議論ができないのが実情という。そのような空洞化した組織にもかかわらず、都道府県の場合だと報償が30~60万円も支払われ、地域住民を馬鹿にしたような額の手当ての支給となっている。委員の人事も実質議会の政党推薦や、首長選挙の論功行賞が多い。議会での答弁も事務方の教育長が答弁に立ち、教育委員一人一人の顔が見えない。
こうした実態を垣間見た石井氏は、特に都道府県の自治体首長が教育行政に責任を持つべきだと語るが、この案には説得力がある。

氏は、その後日本会議や、日本の教育改革を進める会、民間教育臨調の要職を務めているが、三浦朱門氏の後を受けて教科書改善連絡協議会の会長となり、偏向教科書の是正運動や、教科書検定基準から「近隣諸国条項」を削除することを求める国民運動を進めている。
現在の石井氏の関心は、国語教育、道徳教育の再建にある。既に明成社からは「嵐の中の灯台」を発刊、ある席で美智子皇后陛下からもお言葉を賜ったとされる。現在の国語ブーム、感じブームが起こる十年以上前から国語問題に警鐘を鳴らしていた。

石井氏の人脈は、臨教審時代の屋山太郎、曽野綾子。東京都教育委員時代の三浦朱門。将棋の先生である米長邦雄、作家の阿川弘之。政界には中曽根康弘、鳩山由紀夫、鳩山邦夫兄弟、慶応大学つながりで鳥居泰彦中教審会長、保利耕輔、中曽根弘文。教育運動のつながりで西澤潤一首都大学東京学長、「国家の品格」著者の藤原正彦氏、小林正つくる会会長、高橋史朗明星大学教授など幅広い。

鳩山由紀夫、鳩山邦夫兄弟は、血のつながらない甥っ子に当たる。以前鳩山由紀夫議員は、ある席上「肉親よりも、血のつながらない叔父のほうが…」と漏らしたことがある。

なお日本の教育裁判の中でも最も教育界に影響を与えたのが「家永教科書裁判」である。家永訴訟は第一次訴訟から、第三次訴訟まであるが、その第一次訴訟の際、被告とされたのが当時の法務大臣、石井光次郎氏であった。

石井家は、親子二代で偏向教科書と戦ったことになる。






最終更新日  2006年08月24日 11時43分53秒
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