日本大好き、好きです早稲田日記

2007/05/26(土)18:54

大東塾の影山正治先生をお偲びして

愛国心(167)

 昭和五十四年五月二十五日、戦前からの民族派運動、新国学・日本浪漫派の重鎮、大東塾塾長の影山正治先生は、元号法制化の実現を祈念し、大東農場内で割腹自決されました。昨今、「元号法は成立秒読みだったのだから、自決はパフォーマンス」といった言説を聞きます。  しかし、それは当時の世情を余りにも知らな過ぎるといわざるを得ません。極左学生運動、爆弾テロなどがはなやかなりし頃です。  私自身はご指導いただく機会には恵まれませんでしたが、御著書やご遺影を拝し、楠木正成という武将はこのような人物ではなかったのかと何度も考えたことがあります。 辞世     影山正治 民族の本ついのちのふるさとへはやはやかへれ戦後日本よ 身一つをみづ玉串とささげまつり御代を祈らむみたまらとともに  影山正治先生のご尊父、影山庄平氏も、敗戦後の八月二十五日、代々木練兵場で同志達と輪になり自決されています。 大東塾十四烈士共同遺書 清く捧ぐる吾等十四柱の皇魂誓って無窮に皇城を守らむ 昭和二十年八月二十五日 辞世     影山庄平 こんとんをひらきて今や天地の始発の時と祈り行くなり 国うれふやたけ心のきはまりて静かなるかも神あがるとき 神ながら己が祈りの身ごもりて天の御柱国の御柱  現在、代々木公園には、大東塾十四烈士を顕彰する碑があります。(西門、参宮橋門から三分ほど)  影山正治先生の辞世の「みたまらとともに」は道友十四烈士や、国史の中に脈々と流れる先人、志士の道統の列に自ら加わる決意と悲しみの思いの言葉です。

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