メッセージ 2
『成績を上げたい』 「塾に2年も通っているのに成績が上がらない」 先日、あるお母さんが訪ねてきた。 この春で中3になる男の子だという。 話を聞くと、そこは1クラス10名前後の補習主体の塾で、 本人は週2回休むことなく今でも真面目に通っているらしい。 宿題はしっかりこなしており、友達との目立った問題もなく、 先生の面倒見も悪くはないという。 教材やプリントなどの管理もそこそこ出来ているようだ。 なのにテストをするといつも半分ぐらいしか答えられない。 この前は20点を取ってきて、しかも隠していたので、 少し厳しく問いただしたという。 本人は次は頑張ると言うが、 どう頑張るのかと聞くと、はっきりとした答えが返ってこない。 親から見ると、どうもやる気が感じられず心配なのだという。 毎年、何人も似たような相談を受ける。 成績を上げたいと心底思っているのは、 男の子本人なのだろうか。 それとも母親なのだろうか。 もし本人がそう思っているのなら、方法論を説いてあげなくてはならない。 身の周りの道具をこう使えと。 だがこういったケースでは、往々にして親子間に意識のズレがあったりする。 親は、塾に通わせれば分かるものと思い込み、 子供は、何となく塾に通い、何となく分かった気になっている。 よくあるパターンだ。 行動を起こし成功させる上で大切なものは、 本人の考えに基づいた 「動機付け」 である。 目標もなく、ただシステムの流れを反芻していても結果は出ない。 仮に出たとしてもそれは慣れから来たもので、本物の力ではないだろう。 どうしたら我が子のモチベーションを上げることが出来るのか。 今回の相談ではその部分が曖昧であり、 親が管理しすぎているかなという印象を受けた。 スケジュール管理はすべて親が行い、 宿題やプリントなどもよく点検するというが、 その前にまずしてあげることがあるのではないか。 通塾目的の共有→役割の実践という、肝心なラインが希薄すぎる。 もう一つよくあるケースに、 机には時々向かっているが、何をしてるのかはよく分からない。 宿題もちゃんとやってるんだか。 プリントなどの管理もまったくできず、注意すれば文句を言う。 こういう相談がある。 典型的な親側のお手上げパターンで、女の子を中心に最近非常に多い。 家での様子をお母さんに詳しく聞くと、 「さあ、どうだったかしら」と、まるで他人事のようだったりする。 テストは親に見せないので、点数も知らない。 中には、前の学期の通知表の成績さえも覚えていない人がいる。 あれも知らない、これも分からない。 毎日長時間顔を合わせている家族にすら分からない課題を、 塾で勉強しながら探すことが出来るのだろうか。 部屋で何をしてるのか分からなかったら、せめて分かるまで追求して欲しい。 対策は、 現状が見えなければ立てようがない。 以前にも書いたが、テストやプリントをどんどん捨てる子供がいる。 テストは得点を競うゲームではない。 見直し、活用し、長期に渡って使い込むものだ。 何を間違えたかはもちろんだが、 何が出来てこの得点なのかも調べる必要がある。 何度も何度も見直す。 三歩進んで二歩さがる。 これは教科書やノートも同じで、 進級と同時にヒモでくくるのは間違いである。 少なくとも2学年は遡ってとっておくべきだ。 手垢で汚れたそれは自分の学んできた軌跡であり、 学習とは、学年を前後しつつ、 行ったり来たりしながらゆっくりと定着していくものだからだ。 学習は 「点」 ではなく 「線」 で捉えなくてはならない。 テストや教材を捨てるという行為は、 過去の記憶を頼りに、今の目の前の敵と実力勝負すること。 テストは常に満点、記憶は完璧なのだろうか。 成績を上げたい。 簡単に言うが、手順と方法が伴っていなければ、なかなか上がるものではない。 相談の例で動機付けについて触れたが、 まず《目的・目標》と《実践への代償》というものを、 本人と家族とでよく話し合うべきだ。 代償とは別にご褒美のことではない。 実践、努力することによって、何がどうプラスに動くかを明確にするということだ。 食卓などで、プラス要素を片っ端から列記してみるとよい。 普通そんなことはしないよと言いながら、 伸びずに堂々巡りをしている人はいないだろうか。 動機付けを鮮明にさせるということは、 成績推移の根幹につながる大切なことだと私は思っている。 鮮明であればあるほど、成績は伸びる。 なぜなら、そのための方法を自分で模索しようとするからだ。 親の言うことを聞かない。 勉強しないで遊んでばかりいる。 確かにこれでは成績は伸びない。 だが子供たちは、皆ひそかに好成績を取りたいと思っている。 親にも誉めてもらいたい。 力を認めてもらいたい。 友達にも自慢したい。 天狗になるそのきっかけがないのである。 組み立てが間違っているのなら、一度リセットしてみることだ。 塾には道具もマニュアルも揃っているが、そこは逃げ道ではない。 自分の歩んできた道を辿ることが結局近道になる。 成績についての相談を受けるたびに、 いつもそう呟いている気がする。 (初出 2006.04.09 一部加筆訂正)