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多様性を認め子供たちの可能性を広げる習い事「いとっこクラブ」(糸島学習塾YES 前原駅前校のキッズ部門として生まれました)

海上自衛隊

場所は、広島県の江田島
昔の海軍兵学校である。
そこは、防大よりも厳しいと噂される
ところであったが、やはり防大の1年時に受けた
カルチャーショックはなかった
しかし、防大4年の生活から江田島での生活に移ることは
それなりにハードではあったがあっという間に過ぎていった
このころには運動もだいぶできるようになり
結構体力にも自信が戻ってきていたので
ここでは体育系の競技に燃えていた。
カッターと言う船をこぐ競技をはじめ
私たちの分隊は一番の成績を残しました。
ここを卒業したらいよいよ遠洋航海です
遠洋航海は約半年かけて12カ国13の寄港地をめぐります。
まず、日本を一周しました。
知らないところに行くのは大好きなので胸が高鳴ります。
そこで、飲んで食べて騒いですごく楽しい時間をすごしました。
いろんなところで歓迎されほんとに親切にしていただきました。
特に、私たちは海上自衛隊の幹部として
身元もはっきりしているし
皆さんすごく好意的に迎えてくれる
方が多かったように思います。
それから遠洋航海です。
私たちが行くところは、港町です。
観光地ばかりじゃないので聞いたこともないような港町にも寄港しました。
さすがに、このために残ったというだけあって
見るもの聞くもの初めてのことばかりですごく刺激的な
半年を過ごしました。
それも船の中で
どこの国も印象的でしたが
私が感じたのは、国そのものの印象より
開発途上国のエネルギーでした
日本は裕福だなーと思うとともに
ハングリー精神にあふれ、泥臭く生きている
人々を見て、何か自分にもやれそうだ、やれるぞという
意味のない自信がみなぎった気がしました。
また、このころから人の話(講話等)真剣に聞けるようになりました。
それまでは、人の話を聞く=寝ることとおもっていたからです。
このころを境に偉い人の話はためになるんだ
という認識を持つようになりました。
そんなまたとない経験をしていよいよ就職です
最初の勤務地は横須賀です。
地方隊の「てしお」という船の通信士という仕事につきました。
この仕事がこれまたハード
幹部になりたての頃は
サムライ配置といって最初にハードな勤務を
ジョブローテイションするのが人材の育成過程でした。
その頃の私は、ジョブローテイションなど知る由もなく
ただの若手いじめぐらいの感覚しかなかったと思います。
今であれば当然と思えることがただやらされているだけ
押し付けられてると勘違いしていました。
それでも20数名の部下をを持った責任感だけで
過酷な勤務をそれなりにやり遂げました。
ほとんど船の中で泊り込みは当たり前
外に出るのも常に夜中で飲みにいくと夜の仕事の人ですか?
とよく聞かれてました。
でもこの頃の上司には、本当にお世話になって
すごく思い出深い1年でした。
ただその頃の私には、上司の教育を受け入れるだけの
器が備わっていなかったんだと思います。
部下とはとは仲良く上司には反発するこれが自分のやり方と信じていました。
理不尽さだけを捕らえ、人の優しさとか、自分が育てられてることを
理解できていませんでした。
そうこうするうちにラッキーなこととが訪れました。
なんと異動、それも補給の学校へ
そこは、京都の舞鶴というところにあります
そこでは、おもに物品の調達とうを学びました。
そこで非常に興味深い研修があったのです。
私が興味を持ったのはQC活動というものでした。
クオリティーコントロール(品質管理)活動というものでした。
企業ではこんなことをやってるのか
ボトムアップ?
スゲー
末端の意見を吸い上げるしくみ
防大以来ずーっと悩み続けていた上から下への命令
これだ!!
こんなことをやりたい!!
純粋にそう思っていました
QCの7つ道具忘れもしません
教育用ビデオをダビングしいつかこんな事を
実践、してみたいと思うようになりました
何をしたいのかがわからないままとにかく
外の世界に行ってみたい
これが本音だったと思います
そして、2等海尉という身分で自衛隊を後にしました


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