2006/10/27(金)21:47
実際
今、京極夏彦の『絡新婦の理』を読んでいるのだが、ふと気づかされたことが有る。
いや、普通のことなのだが。
木場修が、飲み屋でくだを巻いていて、そこでお姉さんにいわれて気づく当たり。
結局法や国家、価値、道徳などは恣意的なものだ。それはつとに指摘してきたことだ。もはや自明であろう。
ただ、そのことを主張するだけでは立ち行かぬ。
リアリズムというものがある。
そうでなければ生きていけぬ。 今思ったが、前にもこんなことを書いている。
一旦、括弧に入れた上で、なるたけのものを捨象して観察し、その上で、括弧を消して生活する。この括弧も外す作業も、やはり実際のためにはとりあえずという意味で必要なのだ。
特に警察や検察がここを疑いだすと碌なことにならない。
いちいち、法の正当性に懐疑を持っていたら、務まらぬ。
そんなことを思った。
『絡新婦の理』はかなり面白い。
六輝=友引 九星=八白土星 中段十二直=平 二十八宿=婁 旧暦九月六日