週末には、また長宗我部家の全国制覇に向けて邁進した。
まず、前回までで織田家を滅ぼしていたので、清洲、那古屋などの旧織田領の整備から取り掛かった。
前線部隊である、俺やタニクン、ジュンペイ、などはみな一様に政治能力が高く設定してあるので、このあたりは問題ない。
また、合戦直後は感情のわだかまりからか、長宗我部家への帰参を拒んだ武将達も、その後浪人として生活を送ることの精神的空白を埋めるためか、はたまた生活の困窮ゆえか、次第に説得に応じ、戦乱の世に終止符を打つという長宗我部の野望に協力してくれる次第となった。旧織田家家臣団には、羽柴秀吉、明智光秀、柴田勝家など有能な武将が数多く居る。
こうして、尾張を完全に掌握すると、休むまもなく、三河、遠江、駿河進出していった。
開始当初は戦国最強と謳われた今川軍だったが、我等が土佐の精鋭、一領具足の前では児戯に等しい。鎧袖一触の下、薙ぎ倒すまでであった。
一方で、当主元親は、東方への制圧を実弟、俺に任せ、自らは、親恭や羽柴秀吉、細川忠興、村木貞勝らの側近(御側衆)を率いて、長宗我部家発祥の地である土佐岡豊城へと戻った。ここで領内全域の指揮をとる次第である。
四国西部は、マチャトとオチャムが統治し、希に見る産業の発展振りを見せている。
一方で近畿地方は、とらあたま、イトキン、ヒロニアスなどに任せている。
現状では、甲斐の武田信玄と同盟を結んでおり、また、畿内から中国地方の大部分にかけて広大な領土を有している浦上宗景とも同盟を結んでいる。
元親は、考えていた。
当初、四国を制圧した段階では、当面の的は三好家であり、三好家の残党を狩るべく、本州に上陸した。元亀から天正の初めに掛けてのころのことである。
かかる紀伊半島の制圧にあたっては、統一した四国の領土を脅かされぬよう、浦上家、毛利家とは同盟を結び、大友宗麟とも誼を通じていた。
そうこうするうちに、浦上家は勢力を伸ばし、なんと二条御所まで手に入れてしまった。
京都は日本の中心である。かかる京都に浦上家をのさばらしておくことは、長宗我部家の未来にとって禍根を残す。また勢いに任せて駿河まで制圧したのは、良いとしても、領土が不自然に間延びしきっており、補給網は細く、また防衛上も宜しからぬ。
此くなる上は、東方の仕置きが安定したのち、頃合を見計らって、浦上家と手切れし、一挙に京都から中国地方を切り取るべきである、と。
そうしたことを元親が構想し、俺やイトキン、師匠、ドバシらが今川の領土を荒らしまわっているある日のことであった。
ついに領国数が、一定の数に達し、天下の趨勢が決まったのである。
いつしか、長宗我部元親は、世の民から「天下人」と呼ばれるようになっていた。
暫くして、元親や俺、その他主要な家臣たちは、朝廷からの招きを受けて、上洛した。
なんと朝廷から、このたび、関白の宣下がなされたのだ。
このゲームでは、大名規模が天下人になると、関白か征夷大将軍かいずれかの官位を授かることになる。従前、このような発言をしていたので、関白宣下は有難き幸せである。繰り返すが、関白の方がはるかに官としては上である。関白は日本の主たる帝の代理人であるが、征夷大将軍は、元はといえば、帝の兵隊の前線司令官に過ぎぬ。室町時代においても単独では、精々が武門の棟梁である。
こうして、元親は従一位関白太政大臣となり、位人臣を極めた。
もはや元親が実質的に最高権力者となることは誰の目にも明らかであるように思われた。
しかし!
これが、途中から退屈すぎるコーエーゲームという批判を受けて改正された点なのだが、
なんと、将軍足利義昭が、浦上家を頼り、反長宗我部の狼煙をあげたとの報せが入ってきた。
あまりに強大に成りすぎた長宗我部家を見、驚愕し、己の地位を脅かされるものと思い込み、日本全国に号令を掛けたのだ。
痩せても枯れても征夷大将軍、特に地方の大名には有効であった。
浦上宗景を盟主とし、大友宗麟、毛利輝元、小早川隆佳、島津義重、上杉謙信、伊達政宗らが一挙に反長宗我部の包囲網を形成したのである。
俺は、今川家は即座に滅ぼし、駿河の仕置きを後続部隊に任せ、すかさず、北条氏政と協定を結び、東方の備えを十分にすると、畿内に戻り、トラアタマたちと合流した。
浦上と毛利、大友は、交互に無数に渡り、海を渡って四国領内を荒らし始めたが、かかる侵略については、元親、マチャト、イトキン、A次郎らがものともせず、追い払った。
一回一回はたいしたこともないが、回数を繰り返されると、うざいことこの上ない。
俺や師匠たちは、一気に若狭や京都、丹後に攻め入り、浦上家の城を次々と落としていった。
と、ここまでが現状である。
一時期は、火のような勢いの同盟軍であったが、各個撃破していくうちに現状では、少し鎮まっている。
当面は、中国地方を制圧し、その後、九州を征伐するか、それとも東方へ進んでいくかきめねば成るまい。
何れにせよ、すでに元親は関白太政大臣である。
元親は、畏くも帝より、この日の本の仕置きを関る身である。
かかる長宗我部家に抗うことは、すなわち、皇室に弓弾くことを意味する。
しかるに、浦上家を始めとする、諸大名との戦は、侵略ではなしに、征伐である。
これまでの私闘とは完全に性を異にするものであるのだ。
元親は、帝に成り代わって、賊どもを討ち果たすのである。
六輝=大安 九星=五黄土星 中段十二直=破 二十八宿=畢 旧暦九月九日