偉大な牛

2006/11/06(月)14:27

絡新婦の巣に絡め取られて

読書日記(74)

 ものすごい小説を読んでしまった。。。 『絡新婦の理』  俺は意外とミステリとかを読まないので、当てにならないが、京極夏彦が只者でないことはわかる。京極夏彦作品を読んでいない人がいるとすれば、それは本当に不幸なことだ。すぐに京極堂シリーズ全作とその他の百鬼徒然袋だの巷説百物語だのを買って読むことを薦める。これより面白いことが世の中にそうあるとは思えない。 実は、俺は京極ファンとか言っている割には、順番に読んできてるからこれで5冊目だ。塗仏とか陰摩羅鬼だとかは未読である。でも5冊目にして最も完成度が高いことに疑いはない。 シリーズ第1作目の『姑獲鳥の夏』の衝撃は勿論すごかったし、誰もが傑作と謳う『魍魎の匣』もすごかった。『狂骨の夢』と『鉄鼠の檻』は、心理学やキリスト教、禅哲学というテーマ自体は面白かったが、上記2作に比べるとパワー不足という感じが否めなかったが、それにしてもシリーズ5作目はすごかった。 テーマというと、ジェンダー論やフェミニズムなのだろうか。 以下、ネタバレを含むので、未読の方は要注意。 お馴染み豪腕刑事の木場修が連続して起きる東京四谷の目潰し事件を追っているとかと思えば、第2章はうって変わって千葉の片田舎の聖ベルナール女学院での不可解な事件が突如として現れてくる。学園内に暗躍する「蜘蛛の僕」という黒弥撒集団。学園で次々と起きる、呪いの絞殺事件。 次第に、釣り堀屋伊佐間が骨董屋今川と連れ立って当地の名家で聖ベルナール女学院の創立者でもある織作家、別名蜘蛛の巣館を訪れる。と思えば、益田元刑事が榎木津探偵に弟子入りを志願。人捜しの依頼から京極堂の元を訪れ蜘蛛の糸の一端に触れる。 このように複雑怪奇な事件があちこちでおきるかと思えば、次第にその事件たちは、絡み出していく。そう、まるで張り巡らされた蜘蛛の巣のように。 俺ごときでは、あらすじを語るのも力不足で、口惜しい限りなのだが、本当にすごいストーリーだ。驚愕する他ない。どうやってこのようなストーリーを構築するのか、一度作者の頭の中をCTスキャンして確認してみたいという欲望にかられる。 無敵の陰陽師、京極堂をして、この事件は不可能だとかなんだとかいう。すべて蜘蛛の巣の上で踊らされているだけだ。 分冊版の文庫の4巻においてようやく、謎解きが始まるのだが、ここからがもう超絶。京極堂と織作家三女、葵との議論は、まさに知的興奮。京極堂がどのようにフェミニズムを語るかと思えば、もう本当にとんでもない彼方から議論を構築するので、読むのをやめられなかった。 あまりに壮大な犯人の設計図の前には、京極堂も結局なす術がないようにまで思えるる。一体誰が犯人。誰が蜘蛛なのだと、自分の中でもこいつか? こいつか? とクルクル変わってしまって大変でした。 そしてエピローグ。 ああ、犯人もわかってすっきりしたぜ。。と思った俺。 「あなたが――――蜘蛛だったのですね」 うん? これって冒頭でも見たぞ? ええええ!? なんで、こいつなの? もうわけわかんねーーー!? と、思い、1巻の最初を取りにいった。 「あなたが――――蜘蛛だったのですね」 ああ、もう完敗。 すごいよ、京極夏彦。あんたはエラい!! なんていうか、3343ページも読んでさ。もう数え切れない登場人物と、膨大な事件、伏線。しかも他の作品も読んでないと完璧には理解できないし。 でもね、俺も細部まで完璧に把握しているとはいいがたいけど、でもね。 感動したよ。 土占いとかユダヤとかもよかったけど、このストーリーに感動したよ。 関口がちょい役なのはちょっと残念だけど、良かった。 さぁ、次は塗仏か。いやその前に魍魎をもう1回読んどこうかな。  六輝=友引 九星=二黒土星 中段十二直=収 二十八宿=井 旧暦九月十二日

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