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偉大な牛

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2007年08月10日
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カテゴリ:読書日記

司馬遼太郎の対談集『八人の対話』を読んだ。
山本七平、大江健三郎、安岡章太郎、丸谷才一、永井路子、立花隆、西澤潤一、アルフォンス・デーケンとの対談である。
八人の対話.jpg


学生の頃は、司馬遼太郎の小説にやはり胸を躍らせたものだし、
対談集や講演集を読んで、広きにわたる知識に驚嘆したものだった。

しかし、やはり、巷間いわれるように、司馬氏の歴史に対する評価は独善と偏見に満ちているような気がする。

司馬氏は、「平安時代は外国みたいなもの」といい放ち、
鎌倉以降が日本とか勝手に決めつける。

かなり自分勝手な歴史の取捨選択である。

一方で、毛嫌いしている昭和時代を、「あれは日本ではない」とかいってのけるので、おもろい。

江戸時代が大嫌いで、戦国時代が好き。
それでもって、幕末が好きで、維新は日本史上の大事業で
日清・日露は、日本の栄光なのに、
昭和期・大東亜戦争は、唾棄すべき愚行なのだ。
ノモンハンも書けないとかいって死んでいった。
統帥権を「魔法の杖」と称し、昭和期を「魔法の森」と読んだ。

それらは正しいのだろうか。

少なくとも明治期以降に限って勉強しても、昭和だけが日本でないという結論は、俺には導き出せない。
昭和のあの敗戦も、また我々日本人に取って貴重な歩みであることに違いなどあろうはずがない。
司馬の個人的なルサンチマンを根源として、昭和を断罪されては敵わないのである。

司馬は江戸を暗黒期と決め付けた。
三世紀に渡り平和をもたらし、文化・経済の著しい発展をもたらした江戸時代は、日本史に燦然と輝く光である。
ご一新後、全国に満ちた怨嗟の声。
維新政府と徳川幕府のいずれが優れた政権であったかなどわからないのである。
個人的には江戸徳川政権の方が人材・制度いずれにおいても遥かに優れているといえると思うが。

加えてどうでもいいが、大西郷を愚鈍な聖人として賞賛しておきながら、
一方で、長州や昭和陸軍にリアリズムが欠落していると批判するのは、なかなか違和感がある。
明解な合理主義者であり、近代主義者の司馬が、ときおりまったく別のことを言い出すのは、疑問を感じる。

潮匡人の『司馬史観と太平洋戦争』を読んだ。
司馬史観と太平洋戦争.jpg

本自体は論壇誌に書いた評論をまとめたもので、はっきり言ってたいしたものではないが、
それでもなかなかおもしろいことも書いてあった。

たとえば、太平洋戦争と言っても何時始まって何時終わったかなかなか明確に定義できないこと。
始まりは、満州事変か、盧溝橋事件か、それとも真珠湾か(日本時間か現地時間か)。
終わりは、ポツダム宣言受諾決定時か、玉音放送を流したときか、ミズーリ号上での降伏文書調印時か、それとも昭和天皇による「戦争終熄」宣言時か、進駐軍の軍政開始時か。
わからないのである。


この本ではそれほど深く掘り下げられているわけではないが、
日清戦争における豊島沖海戦の方がよほど謀略的に始まったとされている。
また、軍部が暴走したのも実際には日清戦争終盤における直隷作戦に顕著であるという。
さらに、昭和天皇が開戦前の御前会議で用いた、

四方の海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらむ

という歌も、元はといえば、明治天皇の日清戦争開戦時の御製である。

つまり、日露戦争が自衛の戦争であって、軍部が巧く機能したのであって、
大東亜は、侵略戦争であって、軍部が暴走したなどという与太など、どこまでいっても与太である。
大東亜が侵略なのであれば、日清・日露も侵略である。
日清・日露に勝って、大東亜に負けただけのことである。


最後に、潮が引いた小林秀雄の言葉を丸写しする。
小林の著書自体はそれほど読んだことはないが、小林の言葉は好きだ。
小林の言葉は、気取っていて、キレがあって、それでいて骨がある印象を受ける。
小林の愛でた音楽や骨董などについては、まったく無知だが、
小林の思うところには、とても同感を覚えることが多い。


「戦に破れた事が、うまく思い出せないのである。その代り、過去の批判だとか清算だとかいう事が、盛んに言われる。これは思い出す事ではない。批判とか清算とかの名の下に、要するに過去は別様であり得たであろうという風に過去を扱っているのです。凡庸な歴史家なみに掛け替えのなかった過去を玩弄するのである。戦の日の自分は、今日の平和時と同じ自分だ。二度と生きてみる事は、決して出来ぬ命の持続がある筈である。無智は、知ってみれば幻であったか。誤りは、正してみれば無意味であったか。実に子供らしい考えである。軽薄な進歩主義を生む、かような考えは、私達がその日その日を取返しがつかず生きているという事に関する、大事な或る内的感覚の欠如から来ているのであります」

「戦争がただ一政治的事件として反省されるには、冷たい理知で事足りるであろうが、私達が演じた大きな悲劇として自覚されるには強い直感と想像力を要する。悲劇とは単なる失敗でもなければ、過誤でもないのだ。それは人間の生きてゆく悲しみだ。悲劇は、私達があたかも進んで悲劇を欲するかの如く現れるからこそ悲劇なのである。「東亜共栄圏」という言葉は成る程、詐欺師等によって使われた。だが、この言葉は日本人の悲劇的な運命を象徴してもいるのである。それを感じ取る人々だけが今日、この言葉の理想的根拠と現実的根拠が何処にあるかを見付け出すだろう」

「この大戦争は一部の無知と野心から起こったのか、それさえなければ起こらなかったのか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然というものを、もっと恐ろしいものと考えている。僕は無知だから反省などしない。利口な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」


少なくとも小林は、透徹した目で歴史を見ていると自分には思える。
司馬のような、浅はかな見方はしていないのだと。


金曜日 
丙子
六輝=先負 九星=九紫火星 中段十二直=定 二十八宿=鬼 旧暦六月二十八日





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最終更新日  2007年08月15日 01時59分17秒
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