高野山を後にした僕は一路、奈良を目指す。
橋本からJR関西本線に乗ればいいと聞いていたが、途中で南海で新今宮まで行った方が早いといわれる。
それに従って、新今宮へ。そしてJRで奈良へ向かおうとするが、ここではたと気づく。
天王寺ってここから近いのじゃなかろうか、と。
天王寺には弟が住んでいる。
思い荷物を持って奈良を歩き回るには、今日は少々暑すぎる。
思い切って弟に電話してみた。いずれにしろ、今夜は弟のところに泊まるつもりだったが、この時点で10時くらいだったので、いない可能性もあった。
が、弟はいた。
荷物を預けたいというと、渋々ながらも駅まで取りに来てくれた。
加えて、時間がかかるから俺がいったん家まで持っていく、という。僕にはそのまま奈良へ行け、とこういうのだ。
やさしい弟をもった僕はそのまま奈良へ。
大阪から奈良行きの列車でほんの10分もすると、商業ビルがひしめきあった大阪から一転して田園風景が広がる。
なんとのどかなことだろう。
奈良は、大阪はもちろん、京都ともまったく異なった顔を持つ街だ。
奈良も京都も古都と云われる。しかし、京都は、ついこないだまで日本の中心だった街だ。
それに引き替え、奈良はすでに平安京遷都から1200年以上を閲している。
奈良こそが古都なのだ。奈良には古都としての顔しかない。
奈良駅にたどり着く前に法隆寺駅で降りた。
駅からはタクシーで法隆寺に向かう予定だったが、タクシーがない。
仕方なしに法隆寺まで歩くことにした。
気持ちよく歩きだしたものの、いかんせん暑すぎる。
歩いているだけで体が溶けてしまいそうだ。
やっとの思いで法隆寺にたどり着く。
法隆寺に来るのは、中学のときの修学旅行以来だ。
心が沸き立つ。
古都に、奈良に来たのだ、という思いが、胸にあふれてくる。
和辻もこう云っている。
「南大門の前に立つと、もう古寺の気分が全身を浸してしまう。門を入って白い砂をふみながら古い中門を望んだ時には、また法隆寺独特の気分が力強く心を捕える。そろそろ陶酔が始まって、体が浮動しているような気持ちになる」
しかし、和辻が云っているような「法隆寺の停車場から村の方へ半里ばかりの野道」などは、今はない。
南大門を抜けると、そこは古いかたちの伽藍配置が並んでいる。
まさに飛鳥時代にやってきたような、不思議な感覚に襲われる(現存の法隆寺は再建されたものだが)。
法隆寺というのは、やはり別物だ。
どうして胸の高鳴りを抑えることができようか。