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偉大な牛

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猿楠

2008年07月21日
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カテゴリ:猿楠

上御堂を後にして、西院伽藍を出る。

そしてさらに西に向い、小高い丘にある八角造りの円堂(国宝)に向かう。

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奈良時代に橘夫人の発願によって行基菩薩が建立したと伝えられているが、現在の建物は鎌倉時代に再建されたものである。
梅原によれば、不比等の妻である橘三千代がこのような堂を建立していることが、
藤原氏が、上宮王家を滅ぼした根拠となるのである。

12時になったのか、お堂の前の係をしていた女性が、急いで走り出し、鐘を突いた。
おごそかな鐘の音が、あたりに響く。
柿食えば鐘がなるなり法隆寺という俳句があるが、ただしそうした愁いの雰囲気を許さぬのは、灼熱の太陽である。
鐘を突いた中年女性に話しかけてみたが、ひどく愛想が悪かった。

あまりの暑さに倒れそうだ。そのまま大宝蔵院に逃げ込む。と、そこは空調が効いていて非常に涼しい。よかった。あのまま炎天下を歩いていたら本当に倒れてしまうかもしれない。

大宝蔵院では有名な玉虫厨子を観た。
中学の時は、どこかお堂の中でみたような記憶だが、記憶違いかもしれない。

金具の下に玉虫の翅を敷きつめていたところから、この名前がついた。
かつてはさぞかし壮麗だったのだろうと夢想する。
宮殿部の扉および背面には、天部像、菩薩像、霊鷲山説法図が描かれており、
須弥座の腰板には仏舎利供養図、須弥山図が描かれている。
「捨身飼虎図」と「施身聞偈図」は、釈尊の前世を描いた、日本最古の仏教説話画とされている。
法隆寺は、日本最古づくしだ。

ここで、橘夫人の念持仏である阿弥陀三尊像が展示されている。
念持仏とは、読んで字の如く、橘三千代が拝んでいた仏である。
橘三千代は、先ほども書いたとおり、日本書紀の実質的著者であり、藤原氏千年の栄光の礎を築いた不比等の妻にして、光明皇后の母である、県犬養三千代である。
先ほどの西円堂と同じく、三千代の念持仏があることが、梅原の上宮太子怨霊説の根拠の一つである。

であるにもかかわらず、中年女性の集団がやってきて、
「これ聖徳太子の奥さんの仏さんやって」などと云っている。
ゆっくりと静かに鑑賞したいのに、面倒なことだ。
よほど、「この橘夫人というのは、不比等の妻であって、聖徳太子とは関係ないですよ」と云って遣りたくなったが、堪えた。

ついに来た。
百済観音(国宝)だ。

百済観音.gif

木造の観音菩薩像で、やはり飛鳥時代の特徴か、非常にすらりとした美しい仏像だ。これも、和辻哲郎や亀井勝一郎らが絶賛することによって、とても有名になった。
少し、和辻の記述を引用してみよう。

「しかしここで問題としたいのは、あの直線的な手法の担っている様式的な意義なのである。百済観音は確かにこの鋼の線条のような直線と、鋼の薄板を彎曲させたような、硬く鋭い曲線とによって貫かれている。そこには簡素と明晰とがある。同時に標渺とした含蓄がある。大ざっぱでありながら、微細な感覚を欠いているわけでもない。形の整合をひどく気にしながらも、形そのものの美を目ざすというよりは、形によって暗示せられる何か抽象的なものを目ざしている。従って「観音」という主題も、肉体の美しさをとおして表現せられるのである。垂れ下がる衣のひだの、永遠を思わせる静けさのために、下の感覚的な性質の内へ食い入って、そこから神秘的な美しさを取り出すというよりも、表面に漂う意味ありげな形を捕えて、その形をあくまでも追求していこうとするのである。そこに漢の様式の特質も現れてている」

しばし、時の経つのを忘れて百済観音の前に立ち尽くす。
いくら見ても見飽き足りない、すばらしい仏像だ。
その細身の流れるような体は、一瞬で観光客の視線を奪い、声を失わせる。
五角形の台座の像の後ろのところから、光背を支える棒が延びているが、木で造られているが、本当の竹のようだ。
昨日、高野山でみた慶派の四天王像などは、まさに「動」の仏像。
それに対して、この百済観音はすでに閲した千年以上のときを、そのままに閉じ込めた「静」の仏像。

ところで、この百済観音は、元々法隆寺にあった仏像ではなく、どこからどうやってこの寺に安置されたのかは不明なのである。
元禄11年(1698年)の『法隆寺諸堂仏躰数量記』に「虚空蔵立像 長七尺五分」とあるのが像高からみて百済観音に当たると推定され、これが百済観音の存在を記録する最古の文献とされている。

感動のままに宝物館を後にし、外に出ると、これまた非常に熱い。
休憩所のようなところでお茶を買おうとするとすべて売り切れている。
しかし何も飲まないわけにはいかないので、リアルゴールドを飲む。
休憩所で少し休んでから、次は法隆寺の東院へと向かう。







最終更新日  2008年08月10日 11時06分55秒
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カテゴリ:猿楠

ここからは、梅原猛の『隠された十字架』を抜きに語れない。
原が歴史において衝撃をもたらした同書による怨霊史観は、今でもなお多くの人を魅了する。
史学会ではすでに否定されつつも、やはり読んでいる最中の緊迫感、昂揚感は、何物にも代えがたい。
この本の結論としては、鎌足を祖とする藤原氏は、まず蘇我と組んで聖徳太子の上宮王家を滅ぼし、その後に蘇我家を滅ぼしたのだということだ。
その結果、藤原氏は、手厚く上宮王家を祭っているのである。
確かに日本書紀等における上宮太子の持ち上げ方は異様である。
まさに釈尊の生まれ変わりともいえる存在で、スーパーマンで、かつ篤実な聖者である。

もっとも疑問なのは、なぜ上宮太子だけを恐れたのか、蘇我家は恐れなかったのかというところがよくわからない。
わからないが、梅原氏の語る、法隆寺の数々のなぞ解きをしていくとともに、壮大な歴史を編んでいくその技は、まさに名著というほかない。
読んでいて、やめることができない、危険な書である。

西に塔を、東に金堂を配置する、この様式は、中学では法隆寺式として我々は学び、
仏舎利をおさめる塔を中心に据える四天王寺様式から、次第に金堂を中心にしていく様式への、橋渡しとされている。
しかし、法隆寺再建論紛争で明らかになったように、
かつては、この法隆寺も、中門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ壮大な四天王寺様式の伽藍配置だったようだ。

これが法隆寺の中門である。

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正面柱間が三間、五間の奇数をもって作られるのが通常であるところ、四間という変わった造りになっている。
梅原はここに着目し、間に柱があるのは門の態をなしていない。これは怨霊を封じ込めるものである、とした。
四は「死」に通じ、忌み嫌われる数字であることは、20世紀の今でも変わらない。
現在は、この中門は通ることができず、横の入口を通って西院伽藍に入る。

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まずは、五重塔だ。
木造塔として日本最古のものである。
初重から五重までの屋根の逓減率が高いことがこの塔の特色で、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分である。
東面は「維摩経」に登場する、文殊菩薩と維摩居士の問答の場面、
北面は釈迦の涅槃、
西面は分舎利の場面、
南面は弥勒の浄土を表わす。
北面の釈迦の入滅を悲しむ仏弟子の像が特に有名である。

上宮太子は、自分を維摩居士になぞらえていたのでは、とよく言われる。
『三経義疏』とは、仏典の王様である法華経と勝鬘経にあわせて、維摩経を注釈したものである。
維摩経は、知恵の仏とされる文殊菩薩と俗人である維摩居士との問答だが、なんと維摩は仏をやりこめるほど仏教の知識を有しているのである。
俗人でありながら仏教に強い関心を持っていた、上宮太子が、維摩経を重要と考えていたということと符合する。

梅原によれば、五重塔の四方向の図は、上宮太子を表しているのだそうだ。
確かに日本書紀によれば、太子がなくなった場面は、釈迦入滅に近いほどの書きぶりである。
そして、弥勒信仰とは、釈尊入滅後56億7000万年後に現れる、次なる如来である弥勒菩薩を尊崇することであるが、太子が弥勒菩薩そのもであるという信仰が、後の人にあったとしても不思議ではない。

続いて金堂。
現在の金堂は入ることができない。
以前は国宝である釈迦三尊像を金堂で見ることができたような記憶だ。
仏像は、堂内こそもっともふさわしい。
少し薄暗い古い建物の中でこそ、その気高さが際立つのである。
ガラスケースに展示された、仏像は保存状態はいくらよくとも、魅力を半減させ、何より、仏が持つその尊さを滅ぼし去るのである。
仏像を文化財や美術品と勘違いするから、保存云々という議論に落ち込むのである。
仏像は文化財や美術品などではなく、人々の思いがこもった宗教的価値が具現化されたものである。
保存を喋々する前に、信仰をこそ問うべきなのだ。

金堂を後にして講堂へ向かう。
ここで、我々は、本尊である薬師如来を見ることができる。
どうやら、末法思想が流行し、阿弥陀信仰が深まる平安時代と違って、奈良以前は薬師如来が非常に重くみられたようだ。

そのあと上御堂まで行って、国宝の釈迦三尊像を見る。
ツアー団体客がごっそりとたむろしており、なかなか見ることができない上に、暑くて眩暈がする。
やっと観ることができたが、金網越しなのが辛い。
やはり堂内にはいって、しんとした空気の中、ゆっくりと仏像と向かい合いたい。

釈迦三尊像.jpg

釈迦三尊は、日本仏教彫刻史の初頭を飾る名作である。
図式的な衣文の処理、杏仁形の眼、アルカイックスマイル、太い耳朶、首に三道(3つのくびれ)を刻まない点など、後世の日本の仏像と異なった様式を示し、大陸風が顕著である。
釈迦如来の脇持仏は、通常文殊菩薩・普賢菩薩であるが、ここでは薬上菩薩・薬王菩薩である。

梅原の『隠された十字架』の後半では、この釈迦三尊像がいつ造られたものであるかにつき、多くの頁を割いている。
右隣りには薬師如来があり、また四方には四天王像がある。
本来ならば左に、慶派の仏師・康勝の作である阿弥陀如来があるのだが、現在は他の場所で展示されているらしい。

この釈迦如来と薬師如来は、推古年代(推古31年・623年)に作られたとされ、長らく我が国最古の金銅仏とされてきた。
その根拠は光背に作製の年が刻まれているからである。
だが、梅原がいうように、どうも怪しい。
その当時は存在しなかったはずの「天皇」なる用語がつかわれていることもあり、実際は製造年はもっと引き下げられるそうだ。
通常の釈迦如来は、偏袒右肩といって、薄い衣をまとっているだけであるが、
ここの釈迦如来は中国の天子の服を身に着け、装飾品をまとっている。
北魏様式たるゆえんである。

釈迦如来は異様である。
人を簡単に近寄らせることを許さぬ圧倒的な威圧感を有している。
アルカイックスマイルなどという用語では決して簡単に片づけられぬ力を持っているのだ。
梅原によれば、一つの光背で三つの仏であるかたちから、太子、太子の母である間人妃、太子妃の三人を祀った像ということになる。
そういう思いで仏像を眺めると、違った空気が僕を支配する。
 

やはり、法隆寺は別格である。







最終更新日  2008年08月10日 02時34分39秒
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カテゴリ:猿楠

高野山を後にした僕は一路、奈良を目指す。
橋本からJR関西本線に乗ればいいと聞いていたが、途中で南海で新今宮まで行った方が早いといわれる。

それに従って、新今宮へ。そしてJRで奈良へ向かおうとするが、ここではたと気づく。
天王寺ってここから近いのじゃなかろうか、と。

天王寺には弟が住んでいる。
思い荷物を持って奈良を歩き回るには、今日は少々暑すぎる。
思い切って弟に電話してみた。いずれにしろ、今夜は弟のところに泊まるつもりだったが、この時点で10時くらいだったので、いない可能性もあった。

が、弟はいた。
荷物を預けたいというと、渋々ながらも駅まで取りに来てくれた。
加えて、時間がかかるから俺がいったん家まで持っていく、という。僕にはそのまま奈良へ行け、とこういうのだ。

やさしい弟をもった僕はそのまま奈良へ。
大阪から奈良行きの列車でほんの10分もすると、商業ビルがひしめきあった大阪から一転して田園風景が広がる。
なんとのどかなことだろう。

奈良は、大阪はもちろん、京都ともまったく異なった顔を持つ街だ。
奈良も京都も古都と云われる。しかし、京都は、ついこないだまで日本の中心だった街だ。
それに引き替え、奈良はすでに平安京遷都から1200年以上を閲している。
奈良こそが古都なのだ。奈良には古都としての顔しかない。

奈良駅にたどり着く前に法隆寺駅で降りた。
駅からはタクシーで法隆寺に向かう予定だったが、タクシーがない。
仕方なしに法隆寺まで歩くことにした。

気持ちよく歩きだしたものの、いかんせん暑すぎる。
歩いているだけで体が溶けてしまいそうだ。

やっとの思いで法隆寺にたどり着く。
法隆寺に来るのは、中学のときの修学旅行以来だ。
心が沸き立つ。
古都に、奈良に来たのだ、という思いが、胸にあふれてくる。

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和辻もこう云っている。

「南大門の前に立つと、もう古寺の気分が全身を浸してしまう。門を入って白い砂をふみながら古い中門を望んだ時には、また法隆寺独特の気分が力強く心を捕える。そろそろ陶酔が始まって、体が浮動しているような気持ちになる」

しかし、和辻が云っているような「法隆寺の停車場から村の方へ半里ばかりの野道」などは、今はない。

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南大門を抜けると、そこは古いかたちの伽藍配置が並んでいる。
まさに飛鳥時代にやってきたような、不思議な感覚に襲われる(現存の法隆寺は再建されたものだが)。
法隆寺というのは、やはり別物だ。

どうして胸の高鳴りを抑えることができようか。







最終更新日  2008年08月10日 02時47分19秒
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2008年07月20日
カテゴリ:猿楠

早朝5時。
高野山。

すでに明るいがまだまだ涼しい。

僕は泊まっている宿坊を後にし、まだ活動を始めていない高野山の町を歩きだした。

目指す先は、高野山でもっとも神秘的な場所である奥の院。

弘法大師空海がそこでいまだ生きていると信じられている場所だ。

いくつもの寺院が立ち並ぶ中を歩く。
その下界とかけ離れた風景は、ここがやはり日本きっての霊場であることを教えてくれる。

そして奥の院へと続く山道に入った。

事前に調べていたとおり、ここには20万基を超える御廟、五輪塔、卒塔婆が並んでいる。

源満仲、豊臣秀吉、織田信長、明智光秀、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、石田光成、島津義弘、結城秀康などなど、著名な武将たちの墓がここに集結していることに改めて驚かされる。

加えて、法然房源空、親鸞などの僧侶の墓もある。
ともに日本における浄土宗・浄土真宗の開祖だが、他宗派の開祖の墓があるというのは、高野山が日本における総菩提所であることを表している。

高野山のほかの場所も神聖であることは確かだが、ここだけは他とはさらに空気が違う。

食膳を運ぶ6時にはまだ時間があったので、奥の院のお堂を観て、さらに奥の廟を観る。
双方ともに壮観であり、ただならない雰囲気が漂っている。
やはりここを観ずして高野山に来たとはいえない。

奥の院では、一人の老女が一心不乱に真言を唱えていた。
僕も手を合わせて拝む。
そうせずにはいられない空気がここを支配しているのだ。

時間になりそうだったので、戻って食膳を運び出すのを待つ。

午前6時。
黄色の袈裟を着たお坊さんたちが3人出てきて、何やら木箱のようなものを持ってきた。
そしてそのうちの2人がそれを担いで運び出し、橋を渡って奥の院へと向かっていく。

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この御廟橋を越えたら一切撮影は禁止されている。

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ゆっくりと食膳を運んでいく僧侶の姿を観ていると言葉が出てこない。
1200年もの間、高野山ではこうやって空海が生きていると信じられてきたのだ。
その悠久の歴史の流れの前には、僕の存在など本当にちっぽけである。

 921年。時の帝、醍醐天皇の夢枕に空海が現れ、一首の歌を詠む。

たかの山むすぶ庵の袖朽ちて苔の下にぞ有明の月

驚いた帝は「弘法大師」の諡号を宣下。
勅使の観賢は奥の院を訪れ、御廟の石室を開いて仰天した。

なんとそこには生きているとまったく変わらず空海がそこに端座し、髪が膝まで伸びて居たのである。

爾来、空海はいまも生きているという大師入定信仰が広まり出した。

「大師」は、朝廷から僧侶に与えられる中で最高の位であり、史上多くの大師が存在するが、
単に「大師」といった場合、それは空海を指す。
今でも「お大師さん」として民衆に広く親しまれている。

再び奥の院までいって、お堂と霊廟を拝んでくる。

すがすがしい気持ちで再び森の墓地の中を抜け、次第に光が強くなる朝の中を僕は歩いた。

戻ると朝食の支度がされており、「どうでしたか」とお坊さんに訊かれた。
すばらしかった旨を伝え、しかしバスの時間が迫っているので、急いで朝食をとる。

とるものとりあえず御礼を云って宿坊を後にし、バスに駆け込んだ。

ケーブルカーに乗って高野山を降りるとき、いつかまた再びここへ来ようと思った。







最終更新日  2008年08月04日 00時31分19秒
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2008年07月19日
カテゴリ:猿楠

宿に戻ってすぐに風呂に入り、食事の用意をしてもらった。

食事は専用の広間で食べるのだが、僕はひとり旅なので一人で食べることになった。
となりの間には中年4人の集団、そのまた隣には若いカップル。

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庭を見ながらひとりで食べる。

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「泡般若」は格別です、とお坊さんがいうので、ビールを出してもらった。
これがなんと精進料理に合う。

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肉が入っていないので物足りないかなとも思っていたが、そんなこともない。
天婦羅も非常に美味しいし、なんといっても高野どうふが格別である。
また本当にこれが「泡般若」とよく合う。
とても美味しく夕飯を楽しみ、なんとお茶碗3杯もご飯を食べてしまった。

早起きした上に歩き回って疲れたせいか、ビールがよく回る。
どうにもこうにも酔っぱらってしまったようだ。

寺の中をふらふらしていると、お坊さんがいたので話しかけてみる。
どうしてお坊さんになったのか、どうして真言宗を選んだのか、真言宗と他の宗派はどこが一番違うと思うか、などと、素人的な質問を投げかけてみた。
お坊さんはかなり丁寧に答えてくれたし、明日の奥の院へ行く時間も奈良に最も早く行くためにはどういったらいいか、などについても詳しく教えてくれた。

部屋に戻ると少し眠くなってしまい、明日の計画を立てたり、仏教関係の本を読んでいるうちにどうやらうたた寝をしてしまったようだ。

高野山のお寺で一人。
超絶の天才空海が開山した根本道場で一人。

宿坊に泊まるのは1泊1万円と別段安くもないが、ここまできて寺に泊まらない手はない。
やはり来てみてよかった。
はるか古の昔、空海の元多くの僧侶たちが修行に励んでいたという風を感じる。
そして今も、俊英たちがここで仏の道を学んでいるのだ。

夜中に起きて、お堂のほうにいってみたりすると、非常にがらんとした感じで肌がひりひりする。
古い建物の暗闇の中を歩き回るというのは、どうしても少しだけ脈が増し心が躍動する。







最終更新日  2008年08月03日 23時49分09秒
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カテゴリ:猿楠

バスで、僕は今夜泊まる予定の宿坊の近くまで行った。
警察前とかいうバス亭だ。
高野山行きを決めていくつか本を見て驚いたのだが、高野山はそれ自体が一つの町だ。
警察署があり、役場があり、学校があり、商店街がある。
単に寺だけがあるのだろうと高をくくっていた僕は軽く打ちのめされた。

そのまま泊まるはずの宿坊を探す。
誰もいないようなので少しまわりを見渡してから声をかけると、お坊さんが出てきて、僕を通してくれた。
そこで、宿坊についての説明を受ける。
蒲団をしいてくれること、風呂の時間、夕飯と朝飯に精進料理が出ること、お酒も飲めること、朝は任意参加の勤行があること。

朝の勤行にはもともと出るつもりだった。
でも、僕には、高野山に来たら絶対見ようと心に決めているものがあった。

それは奥の院で今も生きていると信じられている弘法大師へ一日2回、食膳を運ぶ光景を観たいと思っていたのだ。
問い合わせてみると、朝何時かわからないので調べておくという。
場合によってはそれを見に行きたいので、勤行は参加できない旨を伝えた。

荷物を降ろしてすぐに宿坊を飛び出す。

とりあえず宿坊を降りていくといくつかの店が並んでいたので、そこでカメラのフィルムを買った。
久しぶりに愛機キャノンEOS5を持ってきたのだ。
さらに本屋があったので少しだけ覗いてみると、さすがに高野山だけあって宗教関係、特に仏教・密教系の本が置いてあるので、帰りに寄ることにした。

まずは、金剛峯寺だ。

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空海が816年に開山した、高野山全体を統括する中枢にして、高野山真言宗約4000か寺の頂点に君臨する根本道場だ。
『金剛峯楼閣一切瑜伽義祇経』
襖絵を見たり、途中で日本最大級といわれる枯山水の庭園を見たりした。
あの殺生関白の名前で知られる(これはやはり「摂政関白」とかけているのだろうか)豊臣秀次が自刃したと伝えられている間もあった。
ここで自刃したといわれても、畳も新しいし、あまり臨場感は伝わらない。

豊臣秀次といえば、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』では、陣内孝則が演じていたが、夕焼けが差し込む高野山で最後自刃するシーンを覚えている。

あとは最後に観た、井戸や台所がある広間がちょっとおもしろかったが、襖絵などに知見の無い僕にはあまりおもしろい場所でもなかった。
もっといろんなことを覚えてからまた見てみればおもしろいと思うようになるのだろうか。
もっとも全体的に、人がちょっと多すぎた。
ひとりで風景や歴史の中に埋没できるのであれば感慨深いが、
周囲でおじさんやおばさんがあれやこれやとしゃべっているのでは、それを望むべくもない。

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しかし、外から見た金剛峯寺はやはりそれなりに趣があるというか格好よいのであって、
下の門からの登っていく道はそれなりに風情があってよい。

山門.jpg

金剛峯寺を観た後、どうしようかと思い、奥の院まで行こうかとも思ったが、明日の朝も行くことだし、
とりあえずは壇上伽藍と呼ばれるところに行った。

この時点で4時くらいになっていたので、徳川家霊廟、大門、刈萱堂などを見ることはあきらめていた。
出だしが遅かったのと、少々高野山を軽く見ていたようだ。
完全に計画が誤っていた。


壇上伽藍を見て周った。

根本大塔.jpg

根本大塔と呼ばれる塔があるが、朱が新しすぎて趣にかける。
もっともこのように思うのは日本人だけなのだろう。
宗教的建築に歴史的価値やさびれた風情に趣を見出すのは、真に宗教的真摯さに欠ける。
本当に宗教的崇敬を持っているのであれば、いつまでも建築物や仏像を新しく保つべきであって、
現に東南アジア諸国などを周ると、寺院や仏像はきらきらしている。
日本人から見るとどうもありがたみを感じないのだが、本来仏像や寺院はきらきらしていてしかるべきなのだ。

根本大塔と同様、東塔は新しすぎてどうも浮いている感じがあるのに対し、
西塔は古びていてちょうどいい趣を感じる。
空海の跡を継いだ、伝灯国師真然が建てたと伝えられる。

西塔.jpg

根本大塔に入るには200円の拝観料を要する。
中では、大日如来像を中心とする立体曼陀羅が展示してあった。
とりあえず中で仏像を見ていると、お遍路の格好に身を包んだ夫婦が現れ、慣れた様子で真言や般若心経を唱えていた。
興味深かったので、一緒に拝ませていただいた。

他に空海が唐で投げた松が流れ着いて引っ掛かっていたという伝説の三鈷の松などを見る。

三鈷の松.jpg

三鈷の松周辺では、お遍路衣装に身を包んだ一行をみた。

さらに、伽藍の隅には、丹生都比売神社がある。
空海が開山する前に、現地に住んでいた「山の民」が祭っていた神社である。
主祭神は、丹生都比売大神であり、「丹
」は朱砂(辰砂-朱色の硫化水銀)のことであり、その鉱脈のある所のことを「丹生」という。朱砂はそのまま朱色の顔料となり、精製すると水銀がとれる。丹生都比売大神は、朱砂を採掘する一族が祀る神であると考えられている。

空海がなぜ高野山を選んだか?
それはここが水銀の鉱床であり、古来より不老不死の妙薬として知られる水銀を求めたからだという説がある。
空海が伝える密教の教えは、「即身成仏」をめざすものである。
それはこの俗身のまま、宇宙の根源仏である大日如来と一体化するというものであり、空海はミイラ化したという説がある。
しかし、空海はの身体はいまだみずみずしく、生きていると信じられている。
それは水銀を飲みつづけてミイラ化したからだという本を読んだのだ。

そうすると丹生都比売神社は高野山において非常に重要な場所となってくる。
高野山に赴いた折にはぜひ訪れたい場所である。

伽藍を後にし、時間を見る。
ちょうど4時半を周ったあたり。
実はいまから向かえば奥の院もみられるのではないだろうか。そう思った。
明日の朝行く予定だが、場合によっては寝過ごすかもしれない。
とりあえず今行っておいて、明日も起きられたらもう一度行くということでいいのではないか、と思い、向かうことにした。

途中霊宝館があり、多くの展示物があるということで多少惹かれたのだが、700円もすることと、
ゆっくり博物館を見ている時間はないので、通り過ぎた。

先ほどの本屋があったので、本を買ってから行こうと思って入り、店の人に今から奥の院まで歩いて行くとどれくらいかかるか訊いた。
そうすると1時間近くかかるということだし、実は奥の院は4時半までだということを知らされた。
そうなると、今から向かったところですでに閉まっているのだから、まったくの徒労に終わってしまうことになる。

仕方ないので、空海に関係する本を4、5冊購入し、まだ時間もあるので、霊宝館へと引き返した。

霊宝館では、阿弥陀如来と大日如来が多かったように記憶している。
如来像というものは、非常にありがたいものではあるが、あまり目を引くようなものはないように思う。
こういうことをいうと、亀井勝一郎に叱られてしまうのだが。

面白いとおもったのはやはり多面多臂のインドの神様たち。
「瑜祇経」に根拠があるとされる愛染明王などを見ていると多少わくわくする。

加えて、重要文化財、快慶作とされる孔雀明王像。
孔雀は毒をもったサソリなどを食べることから、孔雀がインドで神格化されたのが孔雀明王だ。
非常に妖しくも力強い雰囲気をもった仏像で、やはり目を引く。

孔雀明王.jpg

亀井は、仏像のリアリズムというものは人間の尺度で測るべきではない、というようなことをいったが、
やはり慶派の仏像はそのダイナミックなリアリティが、一味違う。
同じ霊宝館内にあった四天王像でもやはり古いものはいまいち動きが伝わってこないのに対し、
慶派が作ると、今にも動き出しそうな躍動感にあふれたものとなる。
腹部に顔が付いている深沙大将や執金剛神なども非常に目を引く。

霊宝館内には、四天王像や深沙大将象(腹部に顔がついていたのが印象的であった)などの仏像に、どうしても目を奪われる。

最後は国宝の八大童子像。
八大童子とは不動明王に使える童子で(眷属・脇侍)、中国で撰述された「聖無動尊一字出生八大童子秘要法品」(略して「秘要法品」)という経軌をよりどころとしているらしい。

面白いのは恵喜(えき)童子など。説明文では、口元に微笑みがある、などと書かれているが、どうみてもキレる寸前の中学生のような顔をしている。

エキ.jpg

また、制多迦(せいたか)童子などは、頭の上にお団子が5つあって面白い髪形をしているし、

セイタカ.jpg 

スーパーサイヤ人のような烏倶婆ガ(うばぐが)童子や

ウバグガ.jpg

ほたほた顔の矜羯羅(こんがら)童子などもいる。

コンガラ.jpg

童子は、ただ単に子供という意味ではなく、酒呑童子のような鬼を示す。
これを王朝にまつろわぬ「山の民」や選民などの被差別民とする話はよくあるものだ。
いずれにせよ、八大童子がすべてそろっていないこともよくあるというので、八体すべてを拝めたのは非常に幸福なことだった。

そういうわけで、思ったより楽しめた霊宝館だったが、奈何せん足が疲れたので宿に戻ることにする。







最終更新日  2008年08月01日 23時03分26秒
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カテゴリ:猿楠

今日から僕は旅に出る。

それはかつて僕が歩いた道。
かつて感じた行き交う風。
その中に今一度、身を置こうと思う。
それはたかだか3日の、しかもそう遠くないところへ向かうだけのことだけど、
僕は、今、久しぶりに胸を高鳴らせている。

本当はもっと早くに家を出るつもりだったが、
妻がいないということもあり、入念に戸締り等々に時間を取られてしまった。
かつて東北を回ったときと同じように、登山用のバックパックを背負って家を出た。

品川について一番近い時間の新幹線に乗る。
7:54分発の新大阪行きのぞみ207号。
弁当を買う暇がなかったので、そのまま乗り込んで、割り当てられたシートに身を滑り込ませる。
本当は新幹線なんぞに乗りたくはないのだが、今は金より時間が惜しい。
本当は、こういうのは「旅」っていわないんだよ。
僕は自分に言い聞かせる。

あまりにおなかが空いたので、車内販売の弁当を買う。
最初はサンドイッチなんかにしようかとも思ったが、幕の内弁当みたいのを買ったらとても美味しかった。

『空海の思想』や『大和古寺風物誌』を読み耽り、時おり浅い眠りに落ちる。
とてつもない速さで流れていく景色は、乱暴に切り取られているが、それでも僕の胸を躍らせるのには十分だ。

新大阪に着いて、降りる。
非常に暑い。
この暑さが僕に微妙な緊張を与える。

うまく乗り継ぐのを間違えて、なんば駅で迷う。
関東から来た人間には、大阪の駅はどうにも複雑だ。

結局、高野山行きの特急に乗ることができず、30分くらい後の急行で行くのが一番早い方法だということになった。
しかたないので、本を読みながら電車を待つ。

高野山行きの電車(南海電鉄高野線)でまた本を読む。
途中の橋本というところからは、ボックスシートの列車に変わった。
そして景色も大きく変わった。
さっきまでの大阪の喧騒から離れて、ここはまるで別世界だ。
弘法大師が都から離れたところに霊場を設けたあの頃とそう変わってないんじゃないだろうか、とさえ思う。
いくつか途中で降りたくなるような駅があった。

極楽橋というところからは、ケーブルカーに乗る。
ケーブルカーはわずか5分ほどで、僕を高野山の入口まで連れて行ってくれた。
結構な数の観光客がおり、中には外人も結構いた。
老夫婦の白人が、非常に大きなスーツケースを持って階段をふぅふぅ云いながら登っているのは非常に滑稽だった。

ケーブルカーを降りるとそこは高野山駅。
そういえば、結局昼御飯を食べ損ねていたのを思い出し、売店で饅頭を買って、バスの中で頬張った。
バスの中にも若い外人が結構いる。
高野山まで外国から来る人がこんなにいるという事態に軽い眩暈を憶える。
外国ではどんな風に紹介されているのだろうか。







最終更新日  2008年08月01日 22時59分25秒
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2008年07月13日
カテゴリ:猿楠
昨日は遅くまで酒を飲んでいたが、朝からイトキンと川に行く約束をしていた。

だが、起きるとすでに11時すぎ。
なんだ、ダメか。
まぁいいか、とか思いながらも、電話。
なんだかイトキンも頭がいてーとかいってる。

でも、イトキンはもう午前中じゃなきゃいけないとかいってたのに、
今からお使い行ってくるけど、戻ってきたら行こうとかいう。

いいね。

つーわけで、昼飯を食って、小説読みながらダラダラしてた。
暑い。

イトキンがようやく2時過ぎくらいに来たので、途中で子供神輿をかつぎにいってた甥っ子のタツキを拾って、川へ。
今日は時間もないし、近くの馬渡っていうところに行ってみた。

行くと、やっぱ。もううじゃうじゃバカがたくさんいる。
なんだか体中に画だの字だのが書き込まれた、やたら威勢のいいバカが。

バカを尻目に、俺らは川に入る。
すでに日も陰っていて、異様に寒い。

しかもあんまきれいじゃないし、こらだめだ。

ちょっと泳いで、岩から飛び込んだところで雨が降ってきたので、すぐに帰った。
まぁ今日は初回だし、こんなもんか。
そもそもいけないと思ってたところだから、これくらいでちょうどいいや。

いやー、毎年のことだけど、
夏になると、仕事もバンドもサッカーもなんだかちょっとおろそかにしちゃうね。
毎週実家に戻って、山だの川だのに遊びに行ってしまう。

家に戻って、ワーニャと散歩へ。
あー、のんびりしてて楽しいなぁ。
山も田んぼも青々としているし、夕焼けもきれい。
最近とみに思うのだが、やっぱ東京に住むのはつらいし、子供も生まれるし、そろそろ田舎に引っ込もうか知らん。

てなことを考えながら、家に帰ってメシを食う。
畳の上でこうやって蚊取り線香たいてTV見ながら食うのっていい。
スイカ食って。

大河ドラマ見て、家に帰りましたとさ。
1時間で帰れた。
やっぱ夜に帰ると早いなぁ。







最終更新日  2008年07月17日 23時23分57秒
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2008年07月12日
カテゴリ:猿楠
今日は忙しいぞ~

まず、午前中は部屋を片付けたり、ギターの練習したり、ビデオ観たり、本を読んだり。

4時からギター教室に行って、買い物も済ませて戻る。

そのまま用意をして、インプレッサで実家のある荻野へGO!

今日は地元の神社でお祭りがあるのだ。

家について、母親のこしらえたメシを食う。
この時点で8時半くらい。

早くお祭りに行きたいなーと思い、朋友のイトキンに連絡を取ると、
「もう行って帰って来て、家族でホルモン焼き食ってる」とかぬかす。

アホなこというな、お祭りやど、こら、おいどれなめとんのか、とか言って、
ほな、もうおわってまうから一人で行ってこまそ、と呟いて、とるものとりあえず、神社へ向かった。
まだ太鼓はどんどこ鳴ってたし。

あー、お祭り、子供のころ、小学校のころ、中学校のころ、、、
かなりドキドキワクワクしたなぁ。

荻野神社っていう本当に小さい地元の神社で、大したことないっちゃ大したことないのだが、なんだかひどく楽しかった。
例年、盂蘭盆のころにやるから、まだ夏休みじゃないんだけど、気分は半分夏休みのこの時期。

往々にして、6時の鐘がなったら家に帰らなくっちゃいかんのやけど、この日だけは特別。
9時だろうが、10時だろうが、ほっつき歩いとってOK。
親に1000円だの1500円だのをもらって、遊びに行く。

中学生くらいになると、お互い異性を意識しだすから、でもほら、普段は学校の外とかでしゃべる機会もない。
けど、お祭りの日はなんか特別。
なんだか薄暗い怪しい場所で、お互い普通じゃ考えられない時間に会うから、なんだかドキドキする。
しかも浴衣とか着てるし。
今考えると、ただの田舎のガキなんだが。

普段はなんてことない、ただの神社が、
この日ばかりは、妖しい光に包まれて、なんだか特別な異空間になってるのだ。

てなことを思いながら、向かった。
ドンドコドンドコ。
太鼓は夜のしじまに鳴る。
この俺の胸もたかなる。

でも、行ったらほぼ終わってたね。ハイ、終了。
夜店も片付け始めてたし。

しょーがないから、お参りだけして、フラフラして、帰った。
そーいえば、最近までずっと知らなかったが、荻野神社のご神体ってでかい自然石なんだって。
ふつうは、八幡だの稲荷だの、天照大神だの大国主だのじゃん?
なになにのみこと、みたいな。

それが、でかい自然石
受けるね。
でも素朴でいいよ。
明治のくだらない神道にあまり影響されなかったんだろうな。

昔のこのあたりの百姓たちが、
「すげー、この石、チョーでかくね?」
「おお、マジだ」
「これ、ちょっとやべーべ。ガチでネ申じゃね?」
「マジやべー。これサベー」
「確かに。てか、これって降臨だべ、マジ」
「祀らね? てか俺らでマジ祀っちゃわね?」
「だな、祀らないとかありえないから、マジ」
とか言いながら、祀ったのかなぁとか思うと、ほのぼのしててちょっと笑える。

太鼓のための櫓の横を見ると、大きく、
『巌祭儀』
とある。
へー、なるほどね、岩だから。へー。ほー。

とか思いながら、戻る。

イトキンに電話して
「てか、おめーがノロノロしてっから、終わっちゃったじゃねーかよ、タコスケ。後で行くから待ってろ」
という。

帰り道に、中学生らしき女の子の集団が、祭りのあとのけだるさで、
どーしよ、てな感じでいる。
そう、わかるよ、帰りたくないよなー、こーゆー日って。

「てか、花火しない?」
「いいねー」

とかやってる。

いいなー、あれくらいの制限された自由が、一番自由なんだよね。
やりなさい花火。

と考えながら、俺もやりたくなったので、帰りにスーパーで花火セットを購入。

12時くらいになったので、クルマでイトキンの家に。
イトキンと甥っ子とカブトムシを捕りに行った。
去年、降るようにわさわさ居たところ。

今年はいねーな、さすがにはえーか、とかいいながら、帰ろうとしたら、
だらだらと見つかった。
オス3匹、メス2匹。
相変わらずクワガタがいない。

家に戻って、カゴに入れようとしたら、このガキ去年のまんま。
水がたまりまくって、カブトムシの死骸と昆虫ゼリーのカラが浮いてる。
異様に臭い。
ひどいな、お前。

そんでもって、田んぼの方へいって、花火。
楽しかったなぁ。

さらに子供を返して、俺とイトキンは、コンビニで酒とつまみを買いこんで、俺ん家の近くの公園へ。
なんだかんだで3時過ぎまでだらだら飲んではくだらないことしゃべってた。

あー、いいなぁ夏休み、ってまだ夏休みじゃないか。







最終更新日  2008年07月17日 23時10分35秒
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2008年07月05日
カテゴリ:猿楠

いやー、1人きりの週末ってどれくらいぶりだろ。

地元に遊びに行っちゃおうかな、とも思ったが、天気予報では雨降るっていうし、
とりあえずいろいろ部屋を片付けた。

掃除機かけたり、洗濯したり。
普段は何もしないと罵倒されている俺だが、政所がいなけりゃ自分でやるんだ、当たり前だろ。

午後から友人の陰陽師である中禅寺がやってきた。
こいつとも長い付き合いだなー。

ダビングした『魍魎の匣』のDVDを渡して、妖怪クイズとか出し合って遊んだ。
この陰陽師、さすがに妖怪に詳しい。

そんでもってゲームをやりまくってたら、ドバシがやってきたので、みんなで近くの和民にいって気炎を上げた。
あー、たのし。

戻ってみんなでひたすら『戦国無双』。
なんでこんな燃えるんだ。

中禅寺は帰ったので、俺はドバシと2人で、戦国無双の続きをやったり、Wiiで遊んだりした。

そんでゲームに飽きるたので、またビールを飲んだ。
ドバシは『はだしのゲン』を読み始めたので、俺は『火の鳥』を読んでたのだが、いつの間にかソファで寝てた。


いやー、久しぶりに人が泊まりに来るって楽しいな。わくわくしたよ。







最終更新日  2008年07月12日 14時47分02秒
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