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偉大な牛

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ヒストリアイ

2009年07月17日
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カテゴリ:ヒストリアイ

金曜だけど特になんもしなかったなー。
なんか知らないけど、政所と坂本龍馬って誰に殺されたんだ的な話で盛り上がった。

俺は今まで、木村先生の本を読んだり、

なぞ.jpg 

新人物往来社の本を読んだりして、
あとこんなめちゃくちゃな本とか。

QED.jpg

ずーっと薩摩藩首謀者説とか思ってたが、
学会ではそもそも話になんねーよ的な扱いらしいね。


ちなみに黒鉄ヒロシのこのマンガはおもしろい。

龍馬を斬る.jpg







最終更新日  2009年07月24日 19時34分18秒
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2008年09月03日
カテゴリ:ヒストリアイ
ちょっと前に比べてだいぶひまになった。

最近は本を読むことに熱中している。
7月くらいまでは仏教関係の本を読むことが多かったが、
最近では、ていうか奈良から戻ってからは、古代史の本を読むことが多い。
特に聖徳太子とか大化の改新がらみの本ね。
あとは記紀にまつわる話とか。

でも、古代史ってなんていうか解釈とか新説をたてる範囲が比較的広いから、
みんなもういっていることがまったく違っていたりして、
中には単なるトンデモ本もあるし、
まぁそういう意味で、結局多くの本を読めば読むほど最終的に自分の中で結論があいまいになっていく。
そこが面白いんだけど。






最終更新日  2008年09月20日 15時02分13秒
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2008年06月12日
カテゴリ:ヒストリアイ
今の会社には、出向というかたちでいってんだけど、
一応なんか権限みたいなのがあって、
俺がみた書類には俺の決裁(みたいなもの)が必要なんだってさ。

そんで、いよいよ決裁の証としてのサインを指定してください、とかいわれてさ。

みんな外人みたいに、かっこいいサインを持ってるわけよ。

でも、俺そんなかっこよく英語でサインできないしさ。。。。


と悩んでたんだけど、そこではたと思いついた。

「花押を使ってはどうだろう?」と。

花押については、細かく説明はしないが、昔の偉い人のサインだと思ってくれればいい。
でも昔の人といっても総理大臣とか、今でも特定の人たちは花押を使っている。

で、いろいろ調べてみたら、

最初は、草書で崩して名前を書いていただけだったのが、
平安時代・鎌倉時代では、二文字を組み合わせた花押が多く、その多くは名前の字を花押にすることが多くなった。
室町に入ると、足利方式という、下に水平な線を描く形が流行り出し、
戦国武将は、好きな漢字一字を使うかたちとかになって、名前の漢字がなくなってきた。
たとえば信長は「麟」、秀吉は「悉」、政宗は鶺鴒をかたどったかたちなど。
さらに、徳川将軍家は、明朝体という様式を用い、上と下に水平な線を描いて、その間に図形を描いた。


なーんてなことがわかってきた。

ふーん、花押ってのもおもしろいな。


というわけで、花押を作ろうと思う。

花押を作って俺のサインとし、それを生涯用いるか。

どうしようかなー。
うまく作れないな。

草書体、二字合体、一字体、別用体、明朝体。

どれにするかも問題だけどな。

しばらく考えてみよう。

問題はそれを会社で使ったて「これ、なんですか?」と聞かれたとき、どう答えるかだな。






最終更新日  2008年06月15日 00時04分16秒
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2008年05月21日
カテゴリ:ヒストリアイ

前にも書いたが、姓と苗字は違う。

姓は天皇からもらうものだ。
だから天皇家には姓はない。
天皇家に姓を与えるものがいないから。

徳川家康は、苗字は徳川だが、姓は源である。
「とくがわいえやす」と呼ぶが、姓で呼ぶときは「みなもとのいえやす」である。

なので、「そがのうまこ」とか「ふじわらのかまたり」とはいうが、
「おだののぶなが」とか「たけだのはるのぶ」とはいわない。
いうなら、「たいらの(ふじわらの)のぶなが」、「みなもとのはるのぶ」である。


甲斐の武田家は、武家の棟梁といわれた八幡太郎義家の弟、新羅三郎義光の末裔とされているが、
一方で、織田家は、素性が確かではなく、藤原家でも平家でもなく、元をただせば越前の神官の家だという。

江戸300年の歴史を築いた、最大の武家である徳川家も、むろん源氏の嫡流などではなく、
三河に流れてきた願人坊主であるともいう。

清和源氏(最近の研究では陽成源氏という説も)といえば、六孫王経基の子である、多田満仲から武門となる。
満仲から、摂津源氏、大和源氏、河内源氏が出るが、有名なのは河内源氏である。
河内源氏の祖は、頼信であるが、頼義、義家と続く(この義家が日本一の兵、八幡太郎)。

義家の家は最終的には義親が継ぎ、そこから為義、義朝、頼朝と続く。
義家の三男義国は、新田足利の両祖であり、
義国の長男義重からは新田氏が、次男義康からは足利氏が、それぞれ生まれる。

家康が、新田氏系の世良田氏の末裔と名乗ったのは、さかのぼれば足利将軍家の兄にあたるからである。
新田の高貴な血を家康は求めた。

昨今は、「戦国時代は実力主義であった」とかいう人も多いけど、
それはそういう一面もあったものの、あくまで出自というものは重要視されていたのであって、
上にのしあがろうと思えば、それなりの姓が必要だったのである。
当り前の話だ。

俺自身は、今でも家柄というものを重視したいと思う。

人間で大事なのは、能力とか性格とかそういうくだらないものでなしに、家柄に決まっている。
だから、結婚する相手とかは、家柄で選ばなければならない。

たとえば、畏くも天皇陛下であれば、頭がいいとか力が強いとか、お人柄がやさしいというのは、
それはそれであればいいが、重要なポイントではまったくないと、個人的には思う。

要は(実際はどうあれ)、2000年続いた家系という、ただその一点に価値があるのであって、個々人の能力などは二の次である。


ところで、羽柴秀吉は、そうした秩序の階段を飛び越えた、いわゆる国民的スーパースターであるが、それでも近衛家の猶子になった。
藤原の姓を有することによって、関白になろうとしたのである。

ちなみに、信長・秀吉たちが征夷大将軍になろうとしたが、源氏の嫡統ではないからなれなかった、というのは俗説、真っ赤な嘘である。
それは、江戸時代にできた嘘であって、彼らは、そんなものになろうとも思っていなかったと思われる。

前にも言ったが、征夷大将軍と関白とでは、はっきりいって重みが違いすぎる。比べること自体が間違い。


秀吉は、結局、天皇から源平藤橘とは異なる姓、「豊臣」の姓を下賜された。
爾来未来永劫、豊臣の名を継ぐ者はいかなる補任も受けられるという、この姓の創設自体がとてつもない偉業なのである。
家康が躍起になって、豊臣を滅亡させたのはここに理由があって、
要は豊臣の名を継ぐ者がいる以上は、徳川は安泰ではいられないのである。

ちなみに、源氏には、源氏長者というものがいる(藤原氏には藤原長者が、平氏には平氏長者がいるが)。
源氏長者は、源氏の中でももっとも地位の高い者が継ぎ、淳和・奨学両院の別当を務め、源氏一族の祭祀関係をも取り仕切る。
当初は嵯峨源氏から、次いで村上源氏がこれを務めている。
最も有名な清和源氏で、源氏長者となったのは、足利義満が最初であり、武家初の源氏長者である。
つまり、頼朝たちは源氏長者ではなかったのであり、そういう意味では源氏の嫡流ではない。

このことをもって、岡野という学者が「源氏長者=日本国王」という説を唱えているが、通説とまではいたっていない。
要は、足利義満は日本国王であったのであり、以降足利家が日本国王であったという説である。
この国王の地位は、家康に受け継がれ、以降秀忠を除く14人の将軍が源氏長者となっている。

そして大政奉還によって、慶喜から久我家へ源氏長者は返還されている。

もっとも、秀吉は、平氏長者となった後、藤原長者になっており、
一方で、家康は藤原長者になれず、諦めて源氏長者となっている。
そういう意味では、氏姓制度において、太政官の官位制度でも、家康は秀吉をまるで超えていない。


なお、新田氏の祖である、新田義重から、世良田氏が流れ、その結果、松平信光という男に至る。
ここから松平家康まで連なるのであるが、信光には光親という子がおり、そこから能見松平家が出ている。
能見松平家から、小沢氏という家系が生まれ、その小沢氏は茗荷を家紋として用いている。

そこから・・・・







最終更新日  2008年05月25日 23時17分11秒
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2007年07月03日
カテゴリ:ヒストリアイ

会社の英会話の先生が、靖国神社に行ったそうだ。
「銅像の人はだれ?」と聞かれたので、「大村益次郎」だと答える。

大村益次郎.jpg


「何をした人だ?」 というので、

もともと、オランダ医者(適当)だったけど、軍事的才能があったため、長州軍を率いて、幕府軍を討ち、日本陸軍を創設した。だけど、開明主義に反対するテロリストに暗殺されたんだ、だと説明した。

すると、なんで天皇と将軍が戦争するんだ、天皇は神じゃないのか、などと言い出したので、

いや、天皇は古来から神様だったけど、いわゆるゴッドみたいなものになったのは、明治以降だ。
明治元勲によって、現人神として創造されたんだ。
300年続いたウルトラピース、パクス・トクガワーナによって、庶民は、みな徳川将軍が一番偉い人だって思ってたらしいよ。
天皇の存在感は、とても弱いものになってたんだよ、
と説明。

いろいろと話しているうちに、明治日本を作ったのは、薩摩人と長州人だ、だから総理大臣が多い、とか、東北の方は賊軍扱いにされてしまったので、開発が遅れた。
つい最近まで、東北の人たちは不当に田舎者扱いされてた、などということを話した。

いや、よくわかった、ありがとう、なんていってたのまではよかったが、
その後の会話は、靖国神社の問題。

戦争犯罪者がいるんだろ、と聞かれて、返答に窮し、

「そりゃ、そうだけど、あんた、戦争犯罪者ってったって、ねぇ。」 などと答える。

だって、勝ったほうも負けた方もたくさん人殺してるし、そもそも戦争って殺し合いだし。
一方的に敗者が裁かれるってどうだよ
、と一応言ってみた。

靖国神社自体には、問題がかなりあるし、あれが本当の神道(そういうものがあったとして)からはかけ離れているとは思うが、でも、まぁよその国の人にごちゃごちゃ言われたくないね、などと攻撃してみた。

まぁ、いろいろと議論になったが、やっぱりこういうことを他国の人と話すっていうのは、大事だと思う。
当たり前だと思っている議論が通用しないし、一から説明するには、自分がよくわかってないとダメだし。

といって、議論するのを避けてると、どんどん日本に不利な状況になっちゃうからね。
そりゃ、まぁ日本軍もいろいろやらかしたんだろうが、なんだか、その先生が、

Tojo is often considered responsible for authorizing the murder of more than 8 million civilians in China, Korea, the Philippines, Indochina, and other Pacific island nations, as well tens of thousands of Allied POWs. Tojo is also implicated in government-sanctioned experiments on POWs and Chinese civilians (see Unit 731). Like his German colleagues, Tojo often claimed to be carrying out the orders of the Emperor, who was granted immunity from war crimes prosecution. The culpability of the Showa Emperor himself is a subject of some controversy.

みたいな文章をメールに貼り付けて送ってきて(どうも英語版ウィキみたい。)、
この800万ていう数字がどこから来たかわからないけど、なんかものすごい悪い感じになっちゃってるし。
東條と731部隊って関係あるの? ないよね? 関東軍つながり?

とりあえず勉強して、まずはこの先生と議論してみよう。

火曜日
戊戌
六輝=大安 九星=二黒土星 中段十二直=定 二十八宿=室 旧暦五月十九日






最終更新日  2007年07月05日 23時19分49秒
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2006年11月14日
カテゴリ:ヒストリアイ

日曜日に、羽田から帰ってきた後、彼女は研修に戻っちゃった。


やることないんで、とりあえず、久しぶりに『信長の野望』をやってみた。


日本六十六カ国の半数以上を制圧した長宗我部家だったが、まだまだまつろわぬ輩が諸国にいるような状況である。

しかし、すでに、諸国も小大名が滅ぼされ、勢力が大きくまとまってきた。
北から、南部家、北条家、上杉家、朝倉家、武田家、浦上家、毛利家、小早川家、大友家、龍造寺家、島津家しかいない。

○親率いる、長宗我部家の精鋭部隊は、中国征伐に余念がなく、浦上家の城を攻略していたが、なかなか落ちない。そこで仕方なく、浦上家城下町の武家屋敷や足軽長屋を次々と焼き払ってやった。こうして武家町を破壊すると、次のターンには、兵士数が減っているのだ。そうしておいて、次回に攻め込んだとき、少数の兵しか篭城できないことになり、圧倒的に有利になる。

そうして、一つ、二つと浦上家を滅ぼしていった。


一方で、わが、長宗我部家は、武田、北条、朝倉と同盟を結び、東の備えを万全にしてある。
しかし、朝倉家との同盟期間が終了した。以前は強大だった朝倉家だったが、今は上杉にじりじり押され、虫の息である。同盟期間の終了をもって、朝倉領内に攻め込み、終には、居城である一乗谷城まで攻め滅ぼしてしまった。昨日の友は今日の敵。戦国の世に情けは無用である。こうして名家、朝倉家は滅びた。

加えて、北陸で勢力を誇った上杉家も、武田北条連合軍によって駆逐されつつあった。
加えて、両家より、ともに上杉を討ちましょう、という申し入れがあった。
早速に、間諜を放って、上杉家の内情を探ると、すでに国力は微々たるものになっていたので、浦上家攻略の兵を一転して、越前、越後に攻め込ませ、一気に、上杉家も滅ぼしてしまった。
すでに当主は、景勝であったが、謙信公以来の戦国の雄である上杉家もこの世から滅失した。


北条、武田との巨大な三国同盟により、すでに天下の趨勢は決している。
元親は、天下に己の権勢を示さんがため、洛中にて馬揃えを行い、ひいては、天子様を自らの居城である二条城にお招きした。人々は、天子の行幸という空前絶後の事態に驚愕し、元親が天下人であることを改めて再認識した。

そんな、ある日、中国地方を攻略している○親は、兄元親からの招きにより至急上洛した。

元親は、なんと隠居するという。
天子様の行幸という大事業を達成した今、思い残すことはない。かねてよりの持病が重くなってきたこともある。息子信親は、いまだ若年であり甚だ心もとない。ここは実弟であるお主に長宗我部家、ひいてはこの日本国の仕置きを任せたい・・・・と、こう云った。

一旦は、固辞する○親だったが、元親の決意が固いのを見て取り、進んで、これを拝受した。


日本中がどよめきに包まれたが、宮中は、これを受けてすかさず、○親を、従一位関白太政大臣に任命。弟である△親は正二位左大臣に任命された。まさに、長宗我部家の春である。

他にも、イトキンは従五位上主税頭、トラアタマは従五位下宮内少輔、シショウは従五位下修理亮に任ぜられていた。また、イトキンおよびシショウは、ともに元親の娘を娶っており、長宗我部家の一門である。

イトキン、シショウ、トラアタマ、ヒロニアス、タニクンあたりは勲功も非常に多く、すでに宿老になっており、ジュンペイ、マチャト、ドバシ、タクロウ、イノタンといった面々も家老の地位を占めている。

まさに綺羅星の如く群れる有能な武将たちに囲まれ、○親は、長宗我部家の棟梁として、また日本国の関白として、仕置きに奔走しなければならぬ。


まず、武田家当主義信より、娘を差し出すとの申し入れがなされた。
家中においては、反対論もあったのだが、これを受けて、○親は迎え入れた。

さらに、○親は、元親の強硬路線とは一線を隔することとし、浦上家、毛利家に対し、長宗我部家に服従するよう迫ったところ、両家からは色よい返事がきた。一方で小早川家からは屈しない旨の返答がなされた。この小早川家を追討すれば、中国の制圧はなる。当面は、小早川家を始末することがこの新棟梁の急務である。

 

 

六輝=友引 九星=八白土星 中段十二直=成 二十八宿=尾 旧暦九月二十四日






最終更新日  2006年11月15日 20時27分54秒
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2006年10月31日
カテゴリ:ヒストリアイ

コンタ:よぉ、ボンタじゃないか。元気か?
ボンタ:ああ。まぁね。
コンタ:そうか、それは良かった。そういえばさ、最近俺信長の野望にはまってんだよ、コーエーの。ボンタはやったことある?
ボンタ:まぁあるな。中学生のときに。
コンタ:おもしろいよな。俺信長でプレーしてんだけどさ、やっぱ信長って天才だよな。時代を300年ぐらい先取りしてるぜ、マジで。
ボンタ:お前は痴呆か。たかだか戦国大名ごときが、時代を先取りなんぞできるか。
コンタ:何? 聞き捨てならないな。信長はすげーんだぞ、マジで。


ボンタ:ほう、じゃぁ聞くが。具体的に何がどうすごいんだ。
コンタ:え? そりゃ、まぁあれだよ。鉄砲を3000挺も集めてさ。武田騎馬隊を壊滅させたりさ。鉄砲の価値を見出したのは、信長だぜ。あの信玄だって鉄砲をつかってなかったんだ。
ボンタ:アホか。信長が3000挺も鉄砲を持っているわけがない。それに信玄だって鉄砲の重要性は十分に認識しきっていた。井沢元彦あたりの本を読んで、分かった気になってんじゃないぞ、この蛸助が。
コンタ:ええ!? 初耳だぞ。

ボンタ:よく聴け、コンタ。もちついてよく聴け。
コンタ:おお、もちついているともよ、兄弟。


ボンタ:従来伝わっている信長像は大体が虚構だ。すなわち、講談やTVドラマや、歴史小説の産物だ。
コンタ:そうなのか!?

ボンタ:当たり前だ。いいか、例えば桶狭間。永禄3年の。
コンタ:そんな年号までは覚えていないが。
ボンタ:おいおい、天文、弘治、永禄、元亀、天正、文禄、慶長だろうが。それくらい覚えて置けよ。普通みんな知ってるぞ。
コンダ:まじかよ!?

ボンタ:ノモンハン事変の時、日本軍の装備が元亀天正の装備かと思ったっていう話は有名だろ。
コンタ:なるほど。昭和にいたってもいまだ戦国時代並みの装備だったという揶揄か。そういった基本事項を知らないと、いちいち説明を受けなくちゃならないな。
ボンタ:そういうことだ。
コンタ:で?

ボンタ:ああ、うん。だから、桶狭間って普通、上洛を目指した今川軍に、数で圧倒的に劣る信長が奇襲をかけたっていうだろ? あと今川義元が無能の武将だとか。
コンタ:うん、違うのか?
ボンタ:違うさ。信長軍は数でそれほど劣ってなど居ないし、今川義元は大変有能な武将だし、信長は奇襲などせずに、正面からぶつかっていっている。常識だ。
コンタ:ええ!?

ボンタ:豊臣秀次、堀尾吉晴、前田利常等に仕えた儒医の小瀬甫庵という男がいてな。その男が信長に関する記録として太田牛一の『信長公記』を参照しながら『信長記』(『甫庵信長記』)を書いてんだ。一級史料である『信長公記』と違って、こっちはまさに講談物だ。。『信長公記』にかかれている桶狭間合戦は上記のものだ。しかし、後世に広まったのはこっちのほうだったんだな。

コンタ:なんで?
ボンタ:おもしろいし、かっこいいからだろ。まぁそんなもんだ。陳寿の書いた歴史書『三国志』と羅貫中の書いた講談の『三国志演義』みたいなものか。『三国志演義』というのは、『西遊記』『水滸伝』『金瓶梅』と一緒に中国四大奇書と呼ばれているんだぞ。フィクションもいいところだ。お話だ。
コンタ:そうだったのか。。。
ボンタ:ここんところの、日本史過大評価人物として信長と一、二を争い、異常な人気を誇る坂本直柔がいるけど。。。
コンタ:知らないぞ、そんな奴。
ボンタ:知らないわけがない、またの名を坂本龍馬という御仁だ。
コンタ:なんだ、それならしってる。幕末の英雄だ。薩長同盟や大政奉還をやった日本史上奇跡の人物だ。司馬遼太郎がそういってた。
ボンタ:阿呆か。薩長同盟をやったのは、西郷隆盛や木戸孝允だし、大政奉還を行ったのは徳川慶喜だ。そもそも日本史に英雄なぞいるわけがない。英雄というのは、ダレイオス大王成吉思汗忽必烈汗ナポレオンのことを言うのだ。それに司馬が書いたのはあくまで龍馬でなく、竜馬だ。お話上の人物であって歴史上の人物ではない。

コンタ:ふぅ~ん。まぁいいけど、とにかく龍馬がどうしたんだよ。
ボンタ:過大評価されすぎて気持ちが悪い。
コンタ:今、伝えられている直柔の逸話のほとんどが後世の創作だ。坂崎紫瀾という作家が明治十六年から『土陽新聞』に連載された伝記小説が元ネタだ。何時の間にか、実際の歴史とごっちゃになってしまって、摩訶不思議な坂本龍馬なる人物が一人歩きしだしてしまった。まぁそれはいい。
ボンタ:うん。

コンタ:信長は、家康や秀吉に比べると合戦もうまくないし、あと極めて優柔不断だな。
ボンタ:なんでだよ。むちゃくちゃだな。信長が嫌いなのか。
コンタ:バカ言え。俺は信長も直柔もとても好きだ。だから世の中の逸話が嫌いなんだ。こいつらのファンは、こうした超人的逸話を否定されると、苛立ち不快感を露わにするが、それはおかしな話だ。彼らはそうした逸話に支えられずとも十分に偉人なのだからな。
ボンタ:うーん。。。。

ボンタ:桶狭間についていえば、今日我々が描いている信長像を作り上げたのは、明治35年当時の陸軍参謀本部が作成した『日本戦史 桶狭間役』によるところが大きい。陸軍参謀本部にとって桶狭間の戦いを奇襲攻撃とした方が、軍事の指導書として好都合であったからだ。この当たり軍部の作為的要素が見え隠れするな。歴史の利用とはおそろしいことだ。
コンタ:うむ。

ボンタ:俺はな、コンタ。よく友人と議論になるんだが、その友人は、歴史は今に役立つためにある、という。歴史を振り返って現代の知恵となすそうだ。俺は、この意見にまったくもって反対だ。
コンタ:というと?
ボンタ:歴史はそれ自体に価値が有る。歴史を顧みて、現代に利用しようなどというのは、現代人のおこがましさをあらわしているだけだ。現代人の思い上がりだ。人は決して歴史に学ぶことなどできやしない。ただ、歴史を学ぶだけだ。
コンタ:深いような気もするが、よくわからんな。

ボンタ:3000挺の鉄砲も信長公記によれば嘘だな。精々が1500挺程度で、それすらも近隣諸国に声を掛けて集めているくらいだ。大して持っていまい。しかし一方で雑賀・根来衆は3000挺ぐらい持っている。信長の特徴として鉄砲をあげるのは間違いだ。
コンタ:けど、三段構えで。。。
ボンタ:それも嘘だ。作り話だ。そのような史料はどこにもない。俗説だ。
コンタ:ホントかなぁ。

ボンタ:疑うのは自由だが、無知とはこわいな。大体、武田騎馬隊なるものが空想の産物だ。そんなものはないぞ。黒澤明の映画『影武者』は確かにいい映画だが、歴史的事実を語っているわけではないぞ。馬防柵に向かって騎馬隊が突進し、三段構えの鉄砲の下、崩れ落ちていく。。。長年映像化されたものだが、御伽噺の類いだな。

コンタ:。。。。。。。


ボンタ:このように信長は、多分に俗説まみれでこわいくらいだ。まぁこれは秀吉も、家康もいっしょだがな。いちいち上げてればキリがないので。今日は、疲れたからこのあたりにしておく。

コンタ:おう。じゃ、また続きは今度な。絶対だぜ!

 

六輝=赤口 九星=四緑木星 中段十二直=危 二十八宿=觜 旧暦九月十日






最終更新日  2006年11月01日 22時22分58秒
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2006年10月30日
カテゴリ:ヒストリアイ

週末には、また長宗我部家の全国制覇に向けて邁進した。

まず、前回までで織田家を滅ぼしていたので、清洲、那古屋などの旧織田領の整備から取り掛かった。

前線部隊である、俺やタニクン、ジュンペイ、などはみな一様に政治能力が高く設定してあるので、このあたりは問題ない。

また、合戦直後は感情のわだかまりからか、長宗我部家への帰参を拒んだ武将達も、その後浪人として生活を送ることの精神的空白を埋めるためか、はたまた生活の困窮ゆえか、次第に説得に応じ、戦乱の世に終止符を打つという長宗我部の野望に協力してくれる次第となった。旧織田家家臣団には、羽柴秀吉、明智光秀、柴田勝家など有能な武将が数多く居る。


こうして、尾張を完全に掌握すると、休むまもなく、三河、遠江、駿河進出していった。
開始当初は戦国最強と謳われた今川軍だったが、我等が土佐の精鋭、一領具足の前では児戯に等しい。鎧袖一触の下、薙ぎ倒すまでであった。

一方で、当主元親は、東方への制圧を実弟、俺に任せ、自らは、親恭や羽柴秀吉、細川忠興、村木貞勝らの側近(御側衆)を率いて、長宗我部家発祥の地である土佐岡豊城へと戻った。ここで領内全域の指揮をとる次第である。

四国西部は、マチャトとオチャムが統治し、希に見る産業の発展振りを見せている。

一方で近畿地方は、とらあたま、イトキン、ヒロニアスなどに任せている。
現状では、甲斐の武田信玄と同盟を結んでおり、また、畿内から中国地方の大部分にかけて広大な領土を有している浦上宗景とも同盟を結んでいる。


元親は、考えていた。

当初、四国を制圧した段階では、当面の的は三好家であり、三好家の残党を狩るべく、本州に上陸した。元亀から天正の初めに掛けてのころのことである。
かかる紀伊半島の制圧にあたっては、統一した四国の領土を脅かされぬよう、浦上家、毛利家とは同盟を結び、大友宗麟とも誼を通じていた。


そうこうするうちに、浦上家は勢力を伸ばし、なんと二条御所まで手に入れてしまった。
京都は日本の中心である。かかる京都に浦上家をのさばらしておくことは、長宗我部家の未来にとって禍根を残す。また勢いに任せて駿河まで制圧したのは、良いとしても、領土が不自然に間延びしきっており、補給網は細く、また防衛上も宜しからぬ。

此くなる上は、東方の仕置きが安定したのち、頃合を見計らって、浦上家と手切れし、一挙に京都から中国地方を切り取るべきである、と。


そうしたことを元親が構想し、俺やイトキン、師匠、ドバシらが今川の領土を荒らしまわっているある日のことであった。

ついに領国数が、一定の数に達し、天下の趨勢が決まったのである。
いつしか、長宗我部元親は、世の民から「天下人」と呼ばれるようになっていた。


暫くして、元親や俺、その他主要な家臣たちは、朝廷からの招きを受けて、上洛した。
なんと朝廷から、このたび、関白の宣下がなされたのだ。

このゲームでは、大名規模が天下人になると、関白か征夷大将軍かいずれかの官位を授かることになる。従前、このような発言をしていたので、関白宣下は有難き幸せである。繰り返すが、関白の方がはるかに官としては上である。関白は日本の主たる帝の代理人であるが、征夷大将軍は、元はといえば、帝の兵隊の前線司令官に過ぎぬ。室町時代においても単独では、精々が武門の棟梁である。


こうして、元親は従一位関白太政大臣となり、位人臣を極めた。

もはや元親が実質的に最高権力者となることは誰の目にも明らかであるように思われた。


しかし!
これが、途中から退屈すぎるコーエーゲームという批判を受けて改正された点なのだが、


なんと、将軍足利義昭が、浦上家を頼り、反長宗我部の狼煙をあげたとの報せが入ってきた。
あまりに強大に成りすぎた長宗我部家を見、驚愕し、己の地位を脅かされるものと思い込み、日本全国に号令を掛けたのだ。

痩せても枯れても征夷大将軍、特に地方の大名には有効であった。

浦上宗景を盟主とし、大友宗麟、毛利輝元、小早川隆佳、島津義重、上杉謙信、伊達政宗らが一挙に反長宗我部の包囲網を形成したのである。


俺は、今川家は即座に滅ぼし、駿河の仕置きを後続部隊に任せ、すかさず、北条氏政と協定を結び、東方の備えを十分にすると、畿内に戻り、トラアタマたちと合流した。

浦上と毛利、大友は、交互に無数に渡り、海を渡って四国領内を荒らし始めたが、かかる侵略については、元親、マチャト、イトキン、A次郎らがものともせず、追い払った。

一回一回はたいしたこともないが、回数を繰り返されると、うざいことこの上ない。

俺や師匠たちは、一気に若狭や京都、丹後に攻め入り、浦上家の城を次々と落としていった。

と、ここまでが現状である。



一時期は、火のような勢いの同盟軍であったが、各個撃破していくうちに現状では、少し鎮まっている。

当面は、中国地方を制圧し、その後、九州を征伐するか、それとも東方へ進んでいくかきめねば成るまい。


何れにせよ、すでに元親は関白太政大臣である。
元親は、畏くも帝より、この日の本の仕置きを関る身である。
かかる長宗我部家に抗うことは、すなわち、皇室に弓弾くことを意味する。
しかるに、浦上家を始めとする、諸大名との戦は、侵略ではなしに、征伐である。
これまでの私闘とは完全に性を異にするものであるのだ。
元親は、帝に成り代わって、賊どもを討ち果たすのである。

 

六輝=大安 九星=五黄土星 中段十二直=破 二十八宿=畢 旧暦九月九日






最終更新日  2006年10月30日 20時49分28秒
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2006年10月24日
カテゴリ:ヒストリアイ

関白と、太政大臣と、征夷大将軍
どれになりたいか、みたいな議論をしてた。ちょっとね。

でもね。これね、もう明々白々なのね。
だって、どれが偉いかってもう圧倒的に関白でしょ。
関(あずかり)白(もうす)んだから。
政権を担当していいってことなんだよ。この国の。

そこへ行くと太政大臣て言うのは、まぁ太政官における最高職で、常設されない、「則闕(そっけつ)の官」なんだけど。でも関白の方が上。


征夷大将軍ていうのは、官位相当でいうとせいぜいが正三位。江戸時代で一位から二位になったけど。


けどね、たぶん一般的にいったら将軍がえらいって思う人多いと思うの。
これってやっぱ江戸時代の影響なんだろうね。
江戸時代にあまりに将軍の治世が安定して長かったから、そうなった。
そういう意味では、官位が低い者が政権を担当した意味で歪な構造にあったんだよね。それをもとに戻したのがご一新、だからご一新は革命じゃなくて、あくまで王政復古なんですよ。

まぁ明治政府は、結局律令以来の太政官制度を廃止したけど(そういえば、大蔵っていう由緒正しい名前も近来消えたね)。


ネットで調べた、席次はこんなもの。

摂関 → 准三宮 → 三公(太政・左・右大臣) → 親王 → 
前摂関 →

摂家の前三公 → 諸親王(三世以下の親王。宮家の親王)→

清華家の前官大臣(左・右大臣) → 内大臣 → 前内大臣 → 准大臣 →

従一位 → 本座宣下 → 権大納言 → 前権大納言

 
摂関および太政大臣は、親王よりも上なんだよ。
そこへ行くと、征夷大将軍なんてのは、単なる前線指揮官だからね。
もう吹けば飛ぶようなもんですよ。


こないだも書いたけど、信長も秀吉も将軍なんていつでもなろうと思えばなれたからね。将軍は源氏の嫡流しかなれないから、信長も秀吉もなれなかったっていうのは、江戸時代にでっち上げられた創作ですよ。鎌倉時代の公家将軍、宮家将軍はどうなるんだっていう話。


そういう意味では、武家で官位上、最高地点まで登りつめたのは、なんつっても豊臣秀吉なんだよね。正一位関白太政大臣だから(正一位については追贈。生前一位は、橘諸兄と三条実美だけだとか)。空前絶後の権力を誇った、清盛、義満も関白にはなってないからね。
この点、豊臣秀次は関白になっても正二位(内大臣~左大臣)のままで、従一位太政大臣の秀吉の下におかれたままだったので、かなり格が落ちる。要はとりあえずの関白であって、官位が上の人間がほかにいたってことね。

それが土民上がりの男だというところにとんでもない痛快さを感じる。

いや、ホントすごいよ。


話が横にそれるが、そもそも織田信長なぞは豊臣秀吉の元上司ということで、歴史に名が残ったようなもんだ。少なくとも戦前はそのような認識が大半だった。

土民から頂点まで昇りつめ、朝鮮まで出兵した秀吉、戦乱の世に終止符を打ち、260年の泰平の世の礎を築いた家康に比べて、もうかなり下のランクになっていたんだ。

その後、秀吉は戦後においてイメージが悪化し(大陸侵略者ということで)、結局、秀吉、家康が天下を取ったから信長もすごかったみたいに戦後なっただけであって、これが毛利あたりが天下を取っていれば、信長は三好長慶程度の扱いであったことは想像に難くない。



まぁとにかく脈絡なくて相済まぬが、
関白>>>太政大臣>>>>>>>>>>>>>>>>>征夷大将軍

ぐらいの開きはある。これマジで。

今で言えば、

関白・太政大臣が、総理大臣で、征夷大将軍は自衛隊の統合幕僚長くらいか。いや、海自だったら、海自幕僚長か横須賀(別に佐世保でも呉でもなんでもいいけど)艦隊司令ぐらいかもしれない。
これはあくまで、元々の制度上の話ね。実際の権力とは違うからね。
横須賀艦隊指令が、俺が一番偉いっていってクーデター起こしたような状態が長く続いたっていってもいいか。ちょっと乱暴かな。


ついでに家格っていうのもあって、
公家だと

摂関家(摂政関白になれる。五摂家=近衛、九条、一条、二条、鷹司)
清華家(太政大臣までいける。久我、三条、西園寺、徳大寺、花山院、大炊御門、今出川。+2で醍醐、広幡)

※ちなみに、摂関家と清華家をあわせて「公達」という。

その下、
大臣家(大納言から内大臣までいける。嵯峨家、三条西家、中院家)
羽林家(近衛少将、中将、中納言、大納言までいける。40家ほど)
名家(中納言、大納言までいける。30家ほど)
半家(最下位)

と序列が続く。

無論、下位っつったって、公家ですから。人とみなされる。

そこへ行くと、百姓なんぞは人じゃないって思われてたんだからね。


こないだ、一条家の当主の方とお会いする機会があったけど、世が世なれば、俺なんぞ御目もじかなわぬ方なんだよね。俺の先祖は99%百姓だろうからね。


そんな感じで。

ちなみに俺がなりたいのは、聖徳太子で有名な摂政ね。ついでに言うと、昭和天皇も摂政になってる。
実は摂政って今でもあって、憲法5条、皇室典範の第3章(16条~21条)に規定がある。まぁ皇族しかなれないようになってるけど。なってみたいね、摂政に。

 

皇室典範変えて、初の民間人から摂政へ就任。いいね。これ。やりたい。

総理大臣より上でしょ、はるかに。上は天皇陛下しかいないからね。

 

 

六輝=大安 九星=二黒土星 中段十二直=建 二十八宿=室 旧暦九月三日






最終更新日  2006年10月25日 18時44分41秒
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2006年10月16日
カテゴリ:ヒストリアイ

週末にまた『信長の野望 天下創世』をやった。

四国を手中にした長宗我部元親は、そのまま淡路島を越えて、本州に上陸。

三好の領土を次々と侵略した。

すでに四国の土地から上がってくる、金と兵糧で国力は十分。
本州のへなちょこ三好どもを薙ぎ倒すだけである。

俺、ドバシ、イトキン、シショウ、イノタン、タクロウといった連中が大暴れ。
あたるをこれ幸いと敵の武将を撫で斬りにする。

トラアタマは、内政にも合戦にも活躍。鉄砲の連射がすごい。

ヒロニアス、マチャトも鉄砲を撃ちまくったり、民忠誠度を上げてくれたりする。

一方で、この天下創世は、シリーズ中もっともといっていいほど、COM大名が好戦的。まごまごしていると、他の各地でも合戦に次ぐ合戦で、次々と弱小大名が滅亡していく。

九州はすでに大友が手中にしようとしているし(島津と龍造寺がいるが)、中国西部は毛利(しかし、その毛利からヨシヲが謀反して独立してしまった。激しい競り合いが続いているが、今のところ一進一退だ。ヨシヲはカドタニとともに毛利家を守り立ててくれるよう設定したつもりだったが、満足できなかったらしい)だ。

中国東部は、浦上家。この浦上家。俺としては中国地方から攻められないように毛利・浦上と三国同盟を締結していたのだが、次々と肥大化し、ついに京都を攻め落とし、覇者に昇りつめてしまった。今のところ親密な関係にあるが、いずれ滅ぼさねば成らぬ。しかも勢いを増して、朝倉家を撃破しだした。同盟関係にあるため、しょっしゅう援軍を要請され、うざい。今のところは生かしておいてやるが、いずれ滅ぼす。

今川・武田・北条の関東三国同盟は健在。特に北条は、わが長宗我部家に匹敵する領土を持つ。北陸は上杉。奥州は伊達、蠣崎とほぼ有力大名が出揃った。


長宗我部家は、当主元親を伊予におき、ここで領土全体を見渡し、俺達は先陣を切って東へ東へ登っていく。浦上家が京都を落としてしまったので、ここには侵入できない。しかたなしに、紀伊半島に蔓延る、本願寺や三好の残党を各個撃破していく。無数の鉄砲と騎馬、大筒をそろえた、精鋭部隊はほぼ無敵で、三好家を滅ぼすのに2年もかからなかった。


ここで浦上家と手を切ってもよかったのだが、とりあえず織田を滅ぼすことを決意。織田家にいる有能な武将を手に入れるためだ。

まず、元親の娘をイトキンに嫁す。これで一門衆が増えた。結束も固まる。
美濃まで進出している武田ととりあえず同盟。

そのまま尾張になだれ込む。

ゲームの主人公、信長は奮闘したが、あえなく、清洲も那古屋も陥落した。
打ち首にしても良かったのだが、とりあえず解放。

A次郎はなぜか織田の配下にいた。強力だったが、捕縛して説得したところ、仲間になる気はないようだ。これも解放。いつかまた見えるときもこよう。

こうして、四国から紀伊半島、尾張までを支配下においた。

今後は官位を頂き、征夷大将軍か関白にでもなって、残りの大名を滅ぼしてくれん。

 

 

六輝=友引 九星=一白水星 中段十二直=定 二十八宿=心 旧暦八月二十五日






最終更新日  2006年10月19日 00時09分31秒
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