続 寿留女の夏
何はともあれ、二人でどぶろくを飲むことになった。「抜内君、君は今何所に住んで居るのだったっけね」漂漉堂はいう。「目黒だよ。何回言ったら覚えて貰えるんだい」「ああ其うか、秋刀魚で有名な目黒か」「落語のあれかい? 然し目黒で秋刀魚が採れる訳も無いのになぁ」「だから君と来たら駄目だと云うんだ。君も文学者の端くれならば目黒で秋刀魚が採れる話の一つでも書いたら如何だい。君は文士の癖に想像力がまるで欠如している」「重ね重ね失礼なやつだな。僕の想像力と来たら、湧くこと泉の如し、だぜ」「ほう。ならば抜内先生、お伺いしましょう」「いいよ」「君は仏舎利がどれくらいこの世にあるか知っているかい?」ははぁん。なるほど、漂漉堂の奴。私をからかう気だ。こんな途方も無い質問にまともに答えても此方が莫迦を見るだけだ。「仏舎利というのはお釈迦さんのお骨のことだね。仏舎利塔なんで全国に在るし、東南アジアとかにも在るだろう。一寸見当が付かないなぁ。うーん、でもそうだな。仏舎利って云うんだから、丁度人一人分じゃないのかい」私は漂漉堂が如何切り返してくるか、わくわくしながら適当に答えてみた。「全部の塔に納まっている骨片を集めると、丁度象一頭分くらいの骨の量になるそうだ。さぁ、そこで大先生、この話を如何お考えかい?」「如何って莫迦莫迦しい話だ。其処迄して嘘を吐いて寺院は権威付けをしたかったのか、それとも分骨の際に水増しした不逞の輩でもいるのか――」「ほら、それだ。だから想像力が無いと云うんだよ、抜内君。如何して、へぇ、お釈迦様はそんなに大きな人だったのか、と考えないんだい」漂漉堂は実に愉快そうに、子供のように笑った。私も釣られて笑った。私はコップに注がれたどぶろくを飲みながら云った。「処で、漂漉堂。秋刀魚は未だ季節じゃないから無いにしても、何かアテが無いと酒も飲めないぜ」「おっと、其うか。御免よ」「此れで良いかい?」と云って、漂漉堂は、壺を出して来た。徐に開けると何か薄い茶色係った白い柔らかいものが入って居る。「何だい? 此れは」と云い乍らもぞんざいな私は既に口に放り込んで居た。すると、漂漉堂はとんでもないことを云い出した。「其れは骨壺さ。今君が食べたのは仏舎利だよ」「何だって!? 気でも狂れたのかい!」私は動転した。すると漂漉堂は、涼やかに、そう、まるで芥川龍之介のポォトレェトのように、笑った。「君って奴は如何して此う何でも引っ掛かるのかな。注意力が無いのかね。これは・・・・・・」どぶろくが急に回り出したのか、私の意識は突如として遠退いて行った。嗚呼、漂漉堂が何か云っている。「寿留女だよ。そう、つまり・・・・・」そして、私の意識は奈落の底深く、ゆっくりと落下していった。りん、と風鈴が鳴る。其のとき、漂漉堂が何を云ったのか、私は遂に聞き取ることが出来なかった。「寿留女の ――― 夏だ ―――」夜半ごろに強い雨が降り出したらしく、次の日の朝、漂漉堂の家の庭を見ると、しっとりと濡れそぼっていた。「暑いな、真夏だな」私はたっぷりと汗をかいていた。漂漉堂は例によって怒ったような顔で、「そりゃあそうさ。寿留女は夏にしゃぶるものだと相場が決まっている」「寿留女の ――― 夏だ ―――」見上げると雲ひとつない抜ける様な青空である。そして私は、坂のたぶん七分目辺りで、大きく溜め息を吐いた。「寿留女の夏」 終