“ 苛立ちの訳 ”
これも逃げ、なんだろうけど怒りとまでは行かないまでも、いらだちは湧くことはある出来て居ない人間には、平常心は難しい未熟な年下が多い環境よりも、「歳だけとった愚か者」への呆れの方が消耗する「そうあるべき」考え方が根底にある・・・タダシイ事は個人が決める事だから、無関係なワタシは其処から離れて居たいでもそう云う邪魔な人間は不思議な事にお仲間が欲しいようで、素晴らしき公共精神からか「共有」しようとするのだ実に笑わせるどう観てもケチくさい性根の腐った人間が、自ら奮い立って何を一体共有しようと言うのか些細な罪悪感を微塵に粉砕するための「多数の正論派」「人より優れた人間であるだけだ」という免罪符だスグレれば、オトッタ者を利益享受の頭数から排除出来ると云う定義人より優れている人より選れている人より勝れている驚くほどの語感の豊かさがあるのに。現実に人よりスグレて生きている…らしい人間は、余りにも薄ペらだ怒りを覚えるのを許されるは他者の為―――自分の為に怒る事を得意としない人間は、只黙って思案模索するのみ自己の規範に副(ソ)って行くのみイライラが回り道をさせる様でも、実は堅実に道を踏み固める“足踏み”だったりする何故、いらつくのか?――――自分がそうできないから。これは本当に人間の病気だろう出来はしないことを羨む心問うてみよ、問いを正しく問うてみよ何故、いらつく―――本当にそうしたいと思っているのか?ふ・・・・息を吐いて、じっくりゆっくり考えてみなさい本当に其れが私にとって、必要なのかどうか。真摯に“ワタシ”に問うてみなさい痩せ我慢でなく、自身の基軸になるべきもの、外せないものなのか欲しがり続けるのは、それが得られないからじゃない (恐らく社会人2年生辺りか。退社の1年前?)既に得て居るのを知らない―――その幸福を味わう余裕、時間だけが無いそれ程馬鹿らしいことがあるだろうか (後年の追加?。紺色鉛筆の激しい殴り書き)