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最近思う。
日常生活の中にあるものに、何かしらの意味があるのではないかと。 私に出来る事・・・・。 私は、営業として仕事をしてきた。 こんな、性格でも(短気で、おっちょこちょいで、企画書が苦手で、見 積もりが嫌い・・・いろいろ。)営業はできる。 『白玉さんだから、仕事を頼むんだよ。』 仕事より飲みの数が多い、その大阪の代理店さんは真面目な顔をして私 に言った。 東京の代理店さんとも飲むが、そのおじさんが東京に来ると必ず飲んで いた。(^^;) そう言われると、心がざわざわとして、あったかくなって、くすぐった くなった。 『私はね、業者さんと飲むのは初めてなんですよ。白玉さんが辞めると 聞いて最後に飲みたいと思いましたよ。』 別のお客さんはそう言って、焼酎ロックをぐびっと飲んだ。 結局、二人で焼酎1本を短時間であけ、私は次の日も酔ってい た。(@_@) 帰りの電車は、お客様からの温かな言葉が心をゆさぶり、流れるでる涙 と、焼酎ロックが体内で良い具合でこなされて、ぐるぐる回る感覚と、 最終電車で無事家に帰る事が出来るかどうかを心配する気持ちが交差し ながら、異空間にトリップしていた。 ぐすっ(:_;) 私は、幸せ者だと思った。 少なくとも、私を認めてくれていたお客様がいて、そのお客さまに対し て真剣に向き合っていた自分がいたから。 そんな時間を持てた事が幸せだと思う。 後ろ髪を引かれる想い。 しかし、人生にはどこかで、決めなければならない事があるのだ。 私は自分がここで、仕事できた事を良かったと思っている。 社長と行きつけの赤提灯で喧嘩したりもした。 同僚と飲み屋で、仕事について熱く語った事もある。 ざわざわとしてホコリくさい体に悪そうな会場も、口の悪い大工とのや り取りも、徹夜も、好きだった。 現場が好きだった。 なのに、何故?この世界を離れるのだろう。 ・・・・・。 私は、これらの時間があったから、新しい世界に向かう事が出来るのかもしれない。 うまく、言葉にできなくて悔しいが、これらの時間があったから自分が一歩踏み出せるのかもしれない。 意味があったんだと思う。 無駄だと思う事は、なにもなかったんだと。 自分にとって必要なことだった。 それを気がつく事ができて良かったかもしれない。 私は、多くの人に見守られて幸せ者だ。(^^)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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