このところ、ずいぶんと息子への愛情も安定してきたなぁ、と自分では思っていたのですが。
痴呆の始まった母と、初めての出産、育児でこちらの都合や思いに関係なく泣き叫んで自己主張する息子に神経が参って虐待に近い扱いをしていた頃の事は、もうとっくに卒業したと思っていたのですが。
また息子に当たってしまった。
理由は何だろう・・・出産が近いのに、その準備や買い物どころか家の中を片づけたり掃除することすらままならず、逆にそこらじゅうを散らかし汚しまくる息子にいらいらしてしまった、と言えるのだけど、元はといえばそこまで悲惨な状態にしてしまったのは私なのだし。
自分の時間が無いことにいらいらしてしまう?
そんなの、育児中の人なら誰だって同じ。
体調がイマイチだから?
もっとしんどい闘病中の人はどうなる。
やるべきことがたくさんあるのに、何一つ片づかないから?
それも自分の処理能力の問題が大きいはずだ。
そう、理屈ではわかっているのである。
だのに、感情の糸はたやすく切れる。
きっかけは些細なこと。
息子にマグに入れた牛乳を与えて、大人しく飲んでいると思い目を離していたら、全部口から噴き出して畳に牛乳をすりこんでいた(涙)。
「いつもお母ちゃんがそれやっちゃダメって言ってるでしょ?」
最初は冷静に、普段通りに叱っていた。
「飲みたくないなら飲まないで置いておけばいいのに、どうしていつも叱られることを繰り返すの?」
そう言っているうちに、いつか私の感情は激高してしまい、3発も平手でぶってしまった。
さすがに泣き出した息子に追い打ちをかけるように怒鳴り続ける自分。
・・・30年以上も昔に、母に叱られている時がこうだった。
最初は何か私のしでかしたミスについて叱られていて、そのことについては叱られている自分も反省し納得している。
だが、いつの間にか母は叱っている行為自体に普段の生活の鬱積を重ね合わせて感情を爆発させ、冷静だった声は激情に駆られた怒鳴り声に変わり、私の行為ではなく私自身をしつこくなじり続けた。
ああはなりたくない、あの母と同じし叱り方だけはしない、と心に誓った筈なのに。
全くおんなじだ・・・息子が泣けば泣くほど憎らしく思え、感情の暴走を制御するはずの愛情は断ち切れてしまっている。
断ち切れた愛情の糸はなかなかつながらず、私は息子に対して冷酷にふるまった。
風呂に入れたときも、わざとざばざば顔に水をかけてしまっていた。
息子がむせて泣いてもかわいそうとも思わなかった。
この私の人間性の暗さ、残酷さはどこから来るのだろうか。
相棒や義実家の人たちには決して無い部分である。
それなのに、息子は私を求めて抱っこをねだる。
ようやく息子に対して後悔と愛情を感じたのは寝床に入ってからだった。
横になって、私の腕にすがりついてきて嬉しそうにニコニコしている息子を、強く抱きしめた。
息子ははしゃぎまわって喜んだ。何事も無かったかのように・・・。