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2006.05.09
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カテゴリ:ダビンチ・コード
ダヴィンチ・コードやけに宣伝しておりますね
何やら、キリスト教において隠された真実を解き明かすと言う
ような雰囲気があるのだが
でもこの映画って、単純に殺人事件を解き明かす
サスペンス映画ではないの?

ダヴィンチの絵画に秘められた謎ってのは、本当の所
あんまり出てこなかったりして?
ところで、その映画の問題になっているいくつかの絵画のうち
”最後の晩餐”がありますが
イエスの左横にいる人物はヨハネと言われておりました
ところがこの人物がどうやら、イエスキリストが救った
娼婦、マグダラのマリアと言う事で、じつは結婚して
子供もいたのではないか?
という説があるようで、この事を題材にしているみたい・・・
イエスキリストと、この人物の間には、空間があり
そこをデジタルスキャンした結果、人物像が浮かび上って
それがどうも、イエスキリストの子供ではないか?
と言われているようです

この話のきっかけになったのが
ヨハネが一人だけ容姿端麗ということ
それで女性ではないか?
と言う話になったらしいのですが
復元した絵画を見ると確かに女性みたい
復元最後の晩餐
だけど、復元前の顔を見ていると、どうも・・・
顎が少し四角い感じがする
鼻の下はひげじゃないのかい?
と思うのは私だけか?
ちょっとだけイエスキリストに似てると思ってしまった・・・
復元前最後の晩餐
それで、イエスキリストと言えば、双子の弟がいると言う噂があり
(外典として認められていないらしい)
名前はユダ・トマス
そのトマスが磔刑に処されイエスは難を逃れたと言う逸話もあるようだ

ダヴィンチの”最後の晩餐”
においては指を上に上げている人物が
ユダ・トマスと言われていますが

本当にそう言う構図だったのかな?
なんて疑いのまなざし・・・
もしかして、イエスの左横の席が、本来トマスの席で
だから衣服が似ているのではないか?
それで、この時すでに、トマスとイエスが入れ替わっている
そんな内容のものを描いたのではないか?
と感じてしまう

あと、この絵について、もう一つ不思議な部分があり
ナイフを持っている腕は何処から伸びているのか?
というもの

身を乗り出し、イエスの隣に座るヨハネ
(本当はユダ・トマスと入れ替わったイエスじゃないのか?)
に何か耳打ちしているペトロがナイフを持っていたのでは?
と言う人もおりますが
そうなると、ペトロがナイフを取り出していたら
非常に不自然な格好になってしまい
人体解剖など得意だったダヴィンチが、
そんな不自然なポーズで何かを表現するのだろうか?
という考えの人もおり、私はこちらの意見に
賛同であります

ここからは、私の意見になりますが
最近、復元された絵は左手の指で何かを指しているけれど
本来は、指で何かを刺している手は右手で
左手は、テーブルの上に置かれていたのではないか?
その腕が、幾度となく行われた修復工事においてヨハネ
(?本当はユダ・トマスと入れ替わったイエスじゃないのか?)
の右腕と位置的にかぶっていたので、いつしか、
ヨハネが組んでいる腕とされてしまったのではないか?
なんてね
モナリザの微笑みが関係しているとしたら・・・
手は組んでいない
と言う表現だったのかもしれない?
しかし、そうするとペトロの親指の位置が逆では?
と言う事になってしまう

修復前の絵の拡大を見ていてふと思う
手のひらを差し出し、ヨハネ
(?本当はユダ・トマスと入れ替わったイエスじゃないのか?)
に何かをせびっているのではないか?

そう見えるのは私だけ?
と言う事で、こんな状態ではないか?
と適当にペイントで塗って見る
ユダをどかしたら?

かなり汚くなりましたが・・・
この絵の人物は全て、下に服を着て、
もう一枚上から布を羽織っているので
ペトロも上にもう1枚青い布を羽織っていると思われ
そうした布を巻き多少ごわついて肩幅が広くなっていたのではないか?
と思われますが・・・
ダヴィンチなら、そうした所を立体的に描けて
違和感がなかったのだろうけど
私の塗ったものでは肩幅がありかなり違和感あります


しかし、復元されたペトロのナイフをもった変な手首
衣服の感じを見ても、その体勢よりも、
左手でテーブルをつき右手の手のひらを差し出している
という、こっちの体勢の方が自然ではないかと思われますが?
どうでしょう?
わたしの画力では全然そう見えませんが

それと、ユダが金銭を持っているというのもダヴィンチ独特と思われ
そこに絡んで、イエスの裏の人格を表現しているのでは
と思ってしまい
そんな事から、ヨハネ(本当はユダ・トマスと入れ替わったイエスじゃないのか?)
の本当の腕はナイフを持っているのではないか?
と考えたわけです
試しに、こちらも不自然さがないか自分で色を塗ってみる・・・
フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、 わたしが分かっていないのか?
そうした見方の方が
人体の構造から見てとても自然であると思われますが
如何でしょう?
 (そうすると右手は手を組んでいたのではなく、
 白いカップの様な物を持っている構図になる・・・
 聖杯?)

真実を捻じ曲げようとする人間の目を、いかにして反らし
長きにわたって、真実を伝えると言う、こうした物を残す時は
人に疑問を持たせるような事を描きつつも
意味を曖昧にしなくてはいけないわけだけど
それを描くと言って、本来の人物の構造を崩してまで
ダヴィンチと言う人はしないと思ったわけです
だとすると、このナイフを持っているのは、
ヨハネ(本当はユダ・トマスと入れ替わったイエスじゃないのか?)
が一番自然ではなかろうか?
と感じるのです

しかし度重なる修復工事においてもともとの姿からだいぶ
違う装いになってしまっていると言う事なので

ダヴィンチ・コードで
何を伝えたかったのかは神のみぞ知る
と言う所か・・・

ついでに裏切り者とされるユダが最近では
裏切り者ではないとされています
他の画家が”最後の晩餐”を描いた時に
ユダだけを切り離した構図で書いているのと違い
ダヴィンチだけがユダを同じ席につけております
しかも、修復前の”最後の晩餐”を見ているとユダ、ペトロ
ヨハネ(本当はユダ・トマスと入れ替わったイエスじゃないのか?)
の3人が座っている場所だけが明るく見えるのは私だけでしょうか?
イエスキリスト、マリアなど神に関係する人物は
光で照らされる図式で描かれるのが常識とされていた
この時代
そういたものを一切書いていないダヴィンチの
”最後の晩餐”でありますが
もし、ここが明るく照らされていたとするならば
このヨハネとされている人物は本当はユダ・トマスと入れ替わった
イエス・キリストで、だから、そこだけ明るく描いていたのではないか?
と感じ、
それを知っていたフィリポ(両手を上げているおっさん)
は脅されていたのではなかろうか?

なんて適当な解釈してみたりした

<復元前1>
修復前
修復後
修復後
技術的トラブルのために修復前よりも修復後のほうが色彩が暗くなり
ダヴィンチ本来の持ち味がなくなってしまったということであります

ところで、もう一つ修復前の”最後の晩餐”
拾ってきました
上の修復前と少し違う気がしますが、どちらが本物だろう?
<復元前2>
修復前2

今までの事は、上の<修復前1>の絵を見て思ったことを書いたのだけど
下にある<修復前2>の”最後の晩餐”の方が有名のようだ
<修復前1>の絵は検索してもあまりヒットしない

また<復元前2>のナイフの持っている部分を拡大すると
復元前2
<復元前1>では、ペトロの腕がフィリポ
(両手を上げているおっさん)の腕の後ろにあるのに対して、
<復元前2>ではフィリポの左腕のまえに
ペトロの腕がかかれているように見える
けれど、見ていてどうにも、
有名な<復元前2>のここの構図が人間の位置と
人体構造を考えた時におかしいのではないか?
と感じ
私としては、上の<復元前1>の絵の方が本来の
ダヴィンチ本来の絵ではなかったのだろうか?
と思ったのであります

あと、<復元前1>の絵では後ろの壁に白い紙が
張ってありますが
そこには文字が書かれていたとされ何かの暗号を
仄めかすような事があったのでは?
と言う人もおります
もう一つの<修復前2>のものを見ると、
ないので元々なかったのだろうか?
それとも誰かが意図的に消したのだろうか?

ダヴィンチコードもさることながら、修復前とされる
絵が2つあるのも不思議だ
誰かが意図的にヨハネ
(本当はユダ・トマスと入れ替わったイエスじゃないのか?)
を女性にしたがっている?

なんてね
また、イエスとヨハネの間には子供が描かれる
構図だったのではないか?
もしかしたら、マグダラのマリアをそこに描こうと
していたのではないか?
と私的に思ったりする
ダヴィンチが本当にイエスキリストが入れ替わっていたと
伝えたかったとしたならば
もし、そこにマグダラのマリアを書いた時に
厳粛なキリスト教徒にヨハネとイエスの服装が似ている事や
ナイフを持っていることに突っ込みいれられた時に、
イエスを双子と書いているのがばれてしまう?

イエスキリストの双子が磔刑に処されたと言う事になると
キリスト教にとってはこの上ない屈辱?
なのでしょうから
そうなった日には
異端者の書いた絵として裁かれかねない

ヨハネや、マグダラのマリアように見せる事で
反感を買わないようにし、その位置関係もあいまいにして
本当に伝えたかったのはイエスは入れ替わっていた?
のではないか?と考えてしまう
また、イエスキリストが、マグダラのマリアと結婚していて
子供がいたと言う事よりも
磔刑に処されたのがイエス本人ではないと言う事になると
”復活の奇跡”
から、ガウイス・カシウスが(後にロンギヌスといわれる人物)
イエスの体を槍でついた時にしたたった血が眼にはいり
白内障を治したと言う奇跡も全て、なかった事になってしまう

そちらの方がキリスト教として驚異的であるのだから
女性を、テーブルにつけていると言う見解の方が
断然ましだと言う事になり
そちらを強調して当然のことのように感じた
ヨハネと思しき人物を、マグダラのマリアに見せる
という事も、実は、ダヴィンチ・コードの見せ掛けの
部分に引っかかっている
のではないだろうか?
なんて思ってしまったわけですが

他の人はどう思うのでしょう?

ところで、
「イエスキリスト、神の子、救い主」のギリシャ語の頭文字をとった
「イクトゥス」が魚を意味する事に由来しイエスの象徴、洗礼の象徴
を意味した時代があるそうです
テーブルに置かれている食べ物は魚と言う事でありますが
何か意味があったのでしょうか?









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最終更新日  2007.03.22 03:24:56
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