2005/03/25(金)22:14
Mの悲劇 7-最終回
借金苦で首を括る行為が、逃げであると同時に、”責任転嫁”であるという事実を再確認しました。
ラスト三話は黒”明”出現で、一気に飲まれちゃいました。
これが単なる根暗だったら、「予想範囲内じゃん」の一言で済んでしまうところ。しかし実際は”負の感情”炸裂・暴走する明の姿に、完全に圧倒され、最後まで引き摺られてしまいました。
この辺り、脚本と明役の俳優さんががっちりはまってくれました。
最初の頃の「視てるの辛い…(涙)」という自分の気持ちはどこへやら。
その一方で、衛もラストへ向けてかなり愛着を持てる青年へ成長しました。
昔の衛(特に最終回、明の回想シーン)は本当に『こいつ、いっぺん締めていいですか(怒)?』というぐらい嫌な奴でした(笑)。…稲垣君、この辺りの演じ分けはさすがです。
でも、彼はいろんなことをこの出来事から学びました。
最終話で部長に「辞めるのではなく、このプロジェクトを最後まで成功させるのが”本当の責任”」と諭す姿に、発言のもう一つの意味を感じたんです。
衛の父親は”生きること”を辞めることで、借金の責任を取ったように見えます。しかし、それは”借金の責任”を他人に押し付けるだけのことでした。
そして、上司も”仕事”を辞めることで、プロジェクトに関する不祥事の責任を取ろうとした。
だからこそ、父親の二の轍を踏もうとする部長を止めたのだと、そう思うんです。
苦しさから手放すこと、逃げ出すことが決して”責任”の取り方じゃない。
その意味を衛は、ちゃんと分かったんだと思います。
ツッコミを入れたのは明に対する美沙の説得の言葉ですね。
『これは絶対、説得失敗するだろ。おい』と思いました(ほんとに失敗したけれど)。
『「復讐を止めて、私には今、安らぎがある」
「あなたは昔の私と同じ目をしている。そんな苦しみだけの暗闇の中に、戻りたくは無い」
とか、その観点で説得しなきゃだめでしょうがっ!』
と、全力で突っ込みましたよ(←どこで夢中になってんだ、自分)。
ドラマを最後まで視て感じたのは、”復讐と不幸の輪廻を止めるのは、責任の取り方であり、それに対する自覚なのだ”ということでした。
”赦し”もまた、人としての”責任”の一つなのかなと感じました。
主人公親子に関しても『責任放棄』で巡り巡って不幸を生む辺り、因果な方々だと思います(おいっ)。
…自分も子供の頃、『被害者の振りして、しっかりあんたも人を傷つけてる』と言われました(…自分はそれから、少しは自覚するようになった)から、他人事では無いんですが(滝汗)。
でも最後に、衛はそれらの因果の糸を集め、多少なりとも受け止めることで、その輪廻を止めました。
衛や彼の行動に影響を受けた人々(美沙や部長、母親…etc.etc.)のように、一人一人が責任を持って、『悲劇』のきっかけを止めていくことこそ、重要なのだと思いました。
タイトルの『悲劇』は物語の分類ではなく、”人が自身の責任を手放すこと”で起こる出来事全てをさしていると今は思います。
私もまた、自らの『悲劇』を生み出さぬよう、このドラマのメッセージを心に刻んで生きていきたいと思います。
追記:
『ノベライズ読破推奨』
ドラマの感動冷めやらぬまま覗いた常連掲示板で、思いっきり釘を刺された自分。
ただ今、本屋を回ってノベライズを探している最中です。
(…ドラマを補完するだけの展開や複線がすごく楽しみ。)
手に入ったら、また『コメント』という形で追記しますね。