カテゴリ:その他、芝居(ドラマ・映画・舞台)
「約束する…も一回表彰台の上に上がってやる」
自分しか見えていなかった己の殻を、無理矢理押し入ってこじ開けた彼ら。 そんな”家族”のために、誇れる自分になりたい。 それは、彼が見出した矜持。
ラストの「約束」で泣きました。 そして某ドラマのタイトルではないですが、次郎に堕ちました(←「おちる」、じゃなくって堕ちるかいっ!)。 以前から日記を読まれている方はご存知だと思いますが(例えば、2003年日記夢と恋愛のベクトルが重なり合うとき の後半参照)、この猪(管理人)。 「仕事と”大切な人”を同じベクトルに向けて、突っ走れる人」 に萌え倒す習性があります(←野生化中につき、妄言に注意)。 言い換えると「家族と仕事への誇り、両方を手放さないのが男の甲斐性」となります。 ここ二年ほど、いろんなドラマでこれを叫んでは、ブラウン管の中で「仕事、もしくは家族を捨てる」という状況を目撃し続けていた(…一番ショックだったのは、『僕カノ』中盤で、銀行員を諦める下り)。 正直、疲れていました。 ですが、こんな中盤で、このドラマで、まさか次郎から、こんなシーンが見れるとは思わなかったのです。 次郎の成長っぷりに不意を突かれ、嬉しさのあまり、”転び”ました(←宗教かっ!)。 木村君のこれまでの役柄の中で、一番かっこいいとも思います(断言)。 某プログラマーにも、頑張って欲しいところです(「まだ、諦めてない」とは猪管理人の弁)。 前回の監督の言葉は、 ”メカニックの勉強をすることで、マシンの性能を知り、その性能を限界まで酷使するのではなく、生かせ” という意味だったのかな、と次郎と一緒に考えています。 その意味では、次郎は成長している気がするのです。 これまで丁寧に描かれていた次郎の”子供に対する複雑な感情”、対人関係の甘え、僅かな変化。 それらが積もり、大きく動き始めたのが今回です。 ”設定リアルより、感情リアル”とはある小説指南書の受け売りですが、この言葉がここまでしっくりくるドラマも本当に少ないと思います。 ここに来てようやく、レースと施設、二つの柱が交わりあいます。 次郎の心の円(パーソナル・スペースと言い換えてもいい)に、子供達が無理矢理押し入るのです。 もちろん最初は強烈な拒絶で追い返します。ですが子供達が次郎の価値観を認めることで、次郎も子供達の存在を認めるのです。 1-3話では、次郎が広げた心の円によって子供達が救われていました。ところが4-5話では、子供が広げた心の円によって、次郎が救われるのです。 それがすごく新鮮に感じました。 そして轟音の中、彼らは本当の家族になったんです。 彼が逆切れの後、嘘を認めて謝ったのは、”許してもらえる”と心のどこかで信じているからだと思いました。 同時に「めんどくさい」「苦手」といいつつ、真剣に向き合うことを恐れていた彼が、その姿勢を変えた瞬間でもあったと思います。 そして許しを請うた次郎に対し、追いかけてきた少女は”自らの秘密を明かし”ます。 少女が広げた心の円と、自分の心の円が重なり、その中に次郎は少女の魅力を見つけ、少女から見た”家族”の価値を教えられるのです。 >「お前、いい女になるよ」 少女に、一人の存在として魅力を見出したからこその言葉ですね。 >「家族にだって言えないこと」 次郎は子供達に責められ、その苦しみをぶちまけます。そして素直に謝罪します。 怒りの矛先が収まることで、残るのは僅かな引け目。 そして「家族にだって言えないこと」の存在に、はっとするのです。 次郎の苦しみと謝罪に、少年は後押しされて謝ります。 ですが、少年の苦しみを次郎の中に見出していた子供達は、それに理解を示すのです。 これまで次郎のことを非常識と思っていた朋美ですが、レース場では逆に自分が非常識だと思い知ります。 自分の価値観や理論がすべてでないことを、次郎を通して知り始めるのです。 視野を少しずつ広げているのは、彼女も同じなのです。 そして彼女もまた、視野を広げる中で次郎の存在を認め始めるのです。 施設を巡る事態はどんどん悪化している。 次郎はようやく施設と向き合うだけの素地ができたばかりだ。 彼はどう向き合い、何を学び、感じ取っていくのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/05/19 09:57:50 AM
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