カテゴリ:その他、芝居(ドラマ・映画・舞台)
「ふわふわ水に漂って、死んだら溶けて無くなるなんてサイコーじゃん」
静謐な青い光の中、ふわりふわりと漂って、喜びも悲しみも感じずに生きられたら――と。 遅くなってごめんなさい。やっと観れましたーー!(泣) 引っ越し作業と並行して、流れ星のレビューに行きます。 ただし、『恋愛もの』『重くて酷い目にあう話』の感想を書くのは苦手なので、その辺りはご容赦を。 ◆ サイコパス、パラサイト 槇原修一、初登場の段階から鳥肌が立ちました。 私が彼に抱いたものは、『理解できない物への恐怖』です。 倫理感・道徳感を持ち合わせない行動、『自分は良い兄貴だ』と自己暗示を掛けるように嘯き。 その声音だけは舞台の役者のように涼やかに通り、抑揚も台詞も劇的で心地よく。されどその表情は能面のごとく無表情。 存在そのものが矛盾を秘めていて、『人として壊れている』ことが立ち振る舞いだけで強く伝わってくるのです。 おそらく彼は『通常の倫理観を持ち合わせない』、サイコパスという症状の持ち主なのでしょう。 彼の中では妹に寄生することも普通なのですから。 ……稲垣君の役者としての底力を思い知らされました。 見た目は何よりも自由に、奔放に振る舞う海月。 されど、本当は水流に依存し、縛られることで初めて生きられる。――喜びすら感じられぬままに。 それは本当に幸せな生き方とは言えないでしょう。少なくとも、健吾はそう思っているでしょう。 だけど梨沙にとって海月の生き方は幸せに見えるのでしょう。 どう抗っても振りほどけない水流のような兄がいても、何も感じずに流されて行き、そして自分さえも消してしまえたら。 それが彼女にとっての理想のように響くのでしょう。 その二人の考え方の対比とは別に、『脳が無い海月』という表現にドキッとしました。 それは『倫理観の無い人間』、または『脳死の人間』を隠喩しているように思えるのです。 ◆ 命を分け与えてもらうこと 体を弄る事は、自分の命の時間を考えることだと思います。 それが例え、他人の為に臓器を譲ることだとしても。 そのためにいるのは、相手と共有してきた時間と、これから共有したい時間の価値だと思うのです。 修一ならば、妹のマリアと共有してきた時間も、共有したい時間も濃密で、とても価値があるからためらいません。 ですがめったに合わない親戚や、まだ知りあって間もない婚約者となると、ためらって当たり前だと思うのです。 だからと言って『命をお金で買う』などと言うことは、本当は在ってはいけないこと。 医師は無論、それを止めます。いえ、様々な倫理観を持つ患者と向き合わなくてはいけない医師は、決して自分の倫理観を相手ごとに揺るがしてはいけないのです。 でも修一は、その言葉に逆に揺らぎます。 倫理観や道徳観と言うのは、人の育った環境で、そしておかれた状況で簡単に揺らいでしまうものなのかもしれませんね。 ラストの『借金の代わりに結婚してくれ』という言葉も、医師の説明で返って思いついてしまったのかもしれません。 ◆ 兄への凶刃を、振りきれずに どんなに憎くても、どんなに解放されたいと願っても、梨沙は兄を刺すことはできませんでした。 それは、彼女の心が壊れきれない――海月になれない、その証拠。 そんな彼女は自分に絶望し、心を壊せない代わりに、その器である体を壊そうとしたのですね。 観終わった後で、とことん心が痛いです。 この続きを見るのが苦しくなりそうですが、頑張りたいと思います。 けれど海月は、水の流れに縛られ、依存して生きる。 自由も無く、流されるままにしか生きられぬのだと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/11/07 10:56:42 PM
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