カテゴリ:その他、芝居(ドラマ・映画・舞台)
人生と言う桜の木が咲く。
時間の花が散ったのち、はなびらを受け止めるのは記憶と言う大地。 記憶と言う大地を失った時、人は立ち続けられるのだろうか。 生きるとは記憶を抱くことではないだろうか。 レビュー、お待たせて申し訳ありません。やっと観終わりました! 遅くなった理由には、実際の時間の無さと『不倫という題材への生理的嫌悪』、『医者が悪役』の3点です。 『ヒロインが腫瘍持ち』というのはそんなに重たい内容と思わなかったです。(演出と脚本次第ではあるのですが) 第六話辺りまでは本当に視聴そのものがきつかったです。こちらで弱音を吐いてしまったり、他のドラマを先に観てしまうほどに。 でも、あまりにぶつ切りで時間を掛けて見ていたからか、最後の方では大分落ち着いてみることができるようになりました。 肇の医師としてのぶれない視点も、感情移入できる数少ないポイントとしてとても助かりました。 そうして最後まで観ていて思ったのは、『記憶とは何だろう』という問いでした。 ◆ けじめの順番は 序盤、一番つらかったのは登場人物の殆どが、『自分の行動は間違ってる。でもこの状況や気持ちじゃ仕方ないよね』と自分に言い訳しながら、道徳や倫理を超えた行動をとるところでした。 確かに同情せざるを得ない設定ではあるのですが、『ヒロインの言い訳の為に酷い設定を用意した』と思わせてしまうんですよね。 その辺り、『記憶を失う恐怖』をもっと丁寧に描写した方がよかったんじゃないかなと思います。 また、どう繕っても不倫でしかない状況というのも観ていてきつかった。 どんなに酷い夫だとしても、どんな状況だとしても。順番を履き違えて、ケジメ後回しで下心のある男性に甘えて、それで不倫をしていい世の中じゃない。 だから祐と萌奈美が航一によって辛い目に遭うのは、自業自得と思えるし、その点はいっそ気楽に見れたのも事実。 それよりも祐が「自分でも何を~」という言い訳の方が、無理があります。だったら近づくな、とどキッパリとツッコミまくり。 そんな風にずっと思っていたからでしょうね。第八話での『気持ちに蓋をしていた』と航一に萌奈美が告白した辺りからすっと楽になりました。 聞き方によっては自己正当化の為の詭弁になってしまうような、そんな危うい言い方でしたけど。 それでも彼女は、『自分のけじめの付け方がめちゃくちゃで、酷い事をしている』と自覚し、彼女なりに詫びたのだと思えたんです。 ◆ 家族の支えは 序盤、航一にも「こいつ、しばいていいですか? と言う前に一発しばかせろ」と腹が立ちました。 腹が立ったのは、彼が不倫していることとか、祐と萌奈美に嫌がらせをすることに対してじゃありません。 例え妻であろうと、医療関係者が『死ねばいい』と言いきったり、誤誘導込みのムンテラ(症状や医療に関する説明)をすることは絶対に許せなかった。 確かに表面は完ぺきな医者であろうと、医療の立場に立つ人間が、そこで遵守されるべき医療倫理を踏みにじったことは、私の逆鱗に触るシーンでした。 そして医者ならば、第五話で大学病院医師が言っていたことは常識として知っているはず。 患者が精神的にきつい時、医者の言葉よりも、家族による支えが必要だと。 心を許している相手が話を聞く、それこそがカウンセリングであること。それは信頼関係を既に築いている家族が受け持つ方が良い事も。 だから航一がまず成すべきなのは、自分の診断を押し付けるムンテラではなく、カウンセリングであったのに。 『カウンセリング』を祐に求め、脱走するまでに萌奈美追い詰めたのは、航一の責任であるのは間違いありません。 萌奈美が治療を拒んだ、それこそが彼の『医師として失格』という事実を突き付けるものであり。彼の『存在理由の否定』に直結するものでした。 彼の萌奈美への執着は、一度は否定された『医師としての完璧な自分』を取り戻すための必死の足掻きでもあったのでしょうね。 技術はあれど最低な医師である彼を救ったのが、医師としての大切な気持ちである『誰かを救えるのなら嬉しい』という想いを抱いた肇であったこと。 それこそが彼の最後のプライドを打ち砕く事実であっただろうと想像します。 ◆ 航一の再生 「本当に人間的に壊れた人だったのか」 航一の人間像についての問い、そしてラストの彼の立ち振る舞い。 彼はどこから再生したのでしょうか。 ここからは自分の想像ですが、仮説を立てることはできます。 彼は幼いころから、親の理想を演じ続けてきました。それは形だけを必死に追いかける生き方だったのかもしれません。 ですが形だけであろうと、その理想を演じる間に彼の心にも変化が生まれたのだと思うんです。 『ロールプレイ(役割演技)』という言葉があります。役割を演じることで、その心理を追体験し、理解を深めていくことができるんです。これは心理療法にも用いられる方法だそうです。 彼は『理想の医師』について学び、心の仮面(ペルソナ)を被り、ロールプレイしながらその心理をなぞるうちに、自分の心と同化させていたのでしょう。 彼が医院で演じていた『理想の外科医』は、いつしか自分でも気付かないうちに、自分自身になっていたのだと思うのです。 今回の出来事を通じて、彼は自分の心の中の『理想の外科医像』にある矛盾に気づくことが出来たのでしょう。 その中から砕けた部分を振るい落とした後、残っていた『理想の外科医の心』。それが生死に一生を得た彼の中で再構築され――まさしく彼の再生につながったのだと思います。
草なぎ君のドラマは、木村君のドラマに次いで記憶ネタが多いです。 (『TEAM』での“記憶の改ざん”、『フードファイト』での“記憶喪失”、『僕の歩く道』での“飛び抜けた記憶能力”、『任侠ヘルパー』の“若年性アルツハイマー”など) 記憶ネタが大好きな自分にとっては、本当に嬉しい偶然です。 今回のドラマを見ながら思ったのは、『記憶とは何だろうか』と言うことでした。 例えるなら、『記憶』とは私達が生き続けるための土壌ではないでしょうか。 時間の中を私達は生きていく。そのための喜びや悲しみが咲いた『花』とするなら、その散った花弁を受けとめて記憶という土壌は豊かになり、その土壌に支えられることで私達は生きて行くのだろうと。 もしその隠喩として『サクラ』を選んだのだとしたら。このドラマのスタッフは本当に素晴らしいセンスに舌を巻かざるを得ません。 その土壌を失う恐怖と闘いながら生きた『任侠ヘルパー』のヒロインと。 その土壌を失わない為に生きた『冬のサクラ』のヒロインと。 同じように最期を主人公に看取られていながらも、その対象的な在り方は鮮烈に意識に残りました。 最後まで通して観て、やっと暖かな春にまで辿りついた気がします。 どうしても反発を受けやすい題材を前に、逃げずに頑張ったスタッフと出演者の皆様、お疲れ様でした。 またひとつ、記憶を題材にした大好きなドラマが増えました。ありがとうございました。 そして祐にも、萌奈美に関わった全ての人に、命のサクラは咲く。 そしてその花びらは降り積もり、春を刻んでいく。 ――全ての人が持つ、記憶と言う土壌に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/04/10 07:24:36 PM
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