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じいちゃんが亡くなってほぼ1ヶ月。
まだまだ忙しい日々が続いている。 でもちょっとPCに向かう時間も取れるようになってきた。 じいちゃんの最期は驚きだったけど、じいちゃんらしい、実に潔い最期だった。 亡くなる2日前、久しぶりの家族旅行に出掛けた。 生憎、その3日前に入院してしまった私は不参加だったけど。 実はその旅行、娘が1年前に泊まった旅館がとってもよかったので、私たち夫婦にプレゼントするつもりで予約してくれたのがそもそもの始まり。 そんなによい旅館なら、じいちゃんたちもいつ病気になるかも解からないし、なかなか結婚しない子供達も急に決まることもあるし・・・、家族6人揃って旅行にいける機会は最期になるかもしれないと計画したものだった。 全員が大満足で、珍しく男3人一緒に露天風呂にも入ってきたそうだ。 旅行の帰りには、「良かったよ~」とみんなで、私の病室に報告に寄ってくれた。 翌日、主治医の病状説明を主人とじいちゃんが聞きにきてくれた。 その後、大好きな「水戸黄門」の再放送を見て、いつも綺麗にしていた庭の掃除をして、 庭の片隅で突然死。腹部大動脈瘤破裂。 私の病室から帰ってわずか3時間後。 旅行の土産をその日の午前中、お世話になった方に届けにいったそうだ。 この方達も随分ショックをうけられたそうだけど、ちゃんとご挨拶を済ませたかったのかなと 感じた。 その日の朝、大好きな大りーグ松井がホームランを打ち、松井の試合もこの日が最期だったとか。息子が翌朝のこのホームランの新聞記事をお棺にいれてあげたそうだ。 亡くなったじいちゃんだけが、タンスの中の洋服もすべて秋物に入れ替えが済んでいた。 一週間前、娘が友人とグァム旅行に出掛ける際に、じいちゃんがセントレアには工事中に行ったきりで完成してから行っていないというので、みんなで送りがてら、空港見物。 夕食を食べてからオープンテラスを散歩。 100歳までがんばるといっていたじいちゃんには早すぎる最期だったかもしれないけど・・・、家族も突然のお別れはびっくりで、寂しいけど、 じいちゃんもやり残したことがないような気もする。 家族もじいちゃんに「ああしてあげればよかった」という後悔もほとんどない。 だから、毎日じいちゃんを話題に笑い話。いないのが嘘みたい。 こうして思い出しながら書いていると涙ぐんでしまうけど・・・ 家族揃ってメソメソと落ち込むことはない。 本当にあっぱれな最期だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年11月09日 00時01分32秒
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