カテゴリ:分類不能系
私の通っていた中学は公立ではあったが、寄付をする生徒を優遇するし、有名高校への進学率をアップさせようと躍起になったりと、妙な学校だった。
たいてい「オール5」タイプの優等生は、体育が苦手な運動音痴が多い。そして有名高校への進学率を上げるには、これら「オール5」タイプを、本当にオール5に仕立てるのが、最も手っ取り早い。 と言うわけで、私の中学では、プールに入ればおぼれて沈む、マラソンをしているのか、脇腹が痛くて泣いているのか分からない、短距離走をやらせれば、お散歩でもしていると見まごうような優等生が、体育で軒並み好成績をとる、という有様だった。 私が受験で申請される最後の成績で、体育「1」を付けられたのも、教師に嫌われていたのが主要な原因ではあるが、学校全体のそういう風潮が、意地悪をしやすくしたという事情もあったと思う。 私が「1」にされたのと同様の理由で、「2」にされていた友達がいた。我が家は諦めてその成績を受け入れたが、その友達のお母さんは学校に怒鳴り込んだ。その時、激怒して教師たちを威嚇したセリフがイカしている。 「ウチの子はねぇ、アタマはバカだけど、体育だけは小学校の頃からずっと5だったんだ。唯一の取り柄を取り上げて、2を付けるなんてアンタ方、一体どういうつもりですか!」 で、結局その子の体育の成績は「4」というところで落ち着いたと聞いたが、それだってお母さんにとっては無念だったことだろう。とは言うものの、彼女はまだ運が良かった。両親がちゃんと、揃っていたからだ。 同じクラスになったことは無いが、同学年に小さい頃に孤児になって、おじさんだかおばさん夫婦に引き取られたという男の子がいた。成績は悪かったけど、明るくて優しくて、とっても良い性格の子で、みんなに好かれていた。その彼も、運動だけは得意で小学校からずっと「5」を通してきた。ところが、その学校はそーゆー方針であったから、彼もまた、中3になってから体育の成績が「4」だか「3」だかに下げられた。 私の友人が「2」になったよりも、下がり幅が小さかったのは、彼が先生方からも好かれていた証拠だろうと思うのだが、その程度の好意では、彼の悲劇は防げなかった。 彼は孤児で、親戚の世話になっていたから、公立高校以外は進学できなかった。公立に行けないなら、中学を出て就職、と、おじさん夫婦にかねてから引導を渡されていたのだ。彼はとにかく成績が悪かったから、公立を受験して、合格できるかどうかギリギリの瀬戸際だった。そこへ体育の成績を減らされたものだからたまらない。 結局、内申書の点数が足りなくて、彼は高校進学を断念した。あの当時は「えー、気の毒ぅ~~~」なんて、みんなで軽薄な同情の仕方をしていたが、大人になってから振り返ると、それでもニコニコ笑っていた彼の心中が察せられて、自分自身の思いやりの無さに、ウンザリする私なのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年08月25日 23時02分47秒
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