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パワースポット@神の島「Okinawa」

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全119件 (119件中 1-10件目)

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2022.05.14
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カテゴリ:名護市

(ウイグシクのシーサー)

沖縄本島北部にある名護市の東海岸に「嘉陽(かよう)集落」があり「ハヨウ」とも呼ばれています。NHK連続ドラマ小説「ちむどんどん」で「山原高校」としてロケ地となった「美ら島自然学校/旧嘉陽小学校」の北側に「ウイグシク/上城」と呼ばれるグスクがあり「嘉陽集落」では、神が訪れる神聖な御嶽のグスクとして崇められています。「琉球国由来記(1713年)」には「嘉陽城嶽(神名:アカウズカサノ御イベ)」と記されており「嘉陽巫(ノロ)」が祭祀を司るグスクヤマとなっています。「ウイグシク/上城」の山麓にあるグスク入り口には石造りのシーサーが設けられ、神聖な御嶽の守り神として鎮座しています。


(ウイグシクを登る階段)

(キョウの岩礁)

(ウイグシク頂上に向かう山道)

「嘉陽集落」の北東部にある「ウイグシク/上城」にはニライカナイから神が訪れるとされ「嘉陽ノロ」をはじめとするカミンチュ(神人)や集落の住民の祈りの聖域として崇められています。「ウイグシク/上城」の南側に広がる「嘉陽海岸」の海中に突き出た「キョウ」と呼ばれる岩礁は「ウイグシク/上城」に神が訪う際に一休みする聖なる岩であると伝わります。「キョウ」の岩礁にはかつて「龍宮神」が祀られ「嘉陽ノロ」により海の航海安全や豊漁が祈願され、さらに「アブシバレー」と呼ばれる害虫駆除の儀式の際にノロが舟で渡り祭祀を行う聖地となっています。「ウイグシク/上城」の階段と山道はカミミチ(神道)として標高約60mの頂上に繋がっています。


(ウイグシク頂上の鳥居)

(ウイグシクのトゥン/殿)

「ウイグシク/上城」の頂上にある鳥居をくぐり抜けると「トゥン/殿」と呼ばれる広場があります。かつてこの場には「嘉陽ノロ」が祭祀を司る「神アサギ」がありましたが、台風により赤瓦屋根の「神アサギ」は倒壊してしまい、残念ながら現在は跡形も残されていません。その昔「嘉陽集落」は「ウイグシク/上城」の丘陵中腹から移動した伝承があり、このグスクは特に神聖な場所として木の伐採が禁じられるなど集落の住民に大切に崇められています。旧暦9月20日に行われる「ハツカミンナディ/二十日水撫でぃ」にはグスク頂上の「トゥン/殿」に住民が集まりウガン(御願)をして拝されています。


(嘉陽城嶽の社)

(御嶽の社内部)

(社内部の手水鉢)

「ウイグシク/上城」の頂上には「琉球国由来記(1713年)」に「嘉陽城嶽(神名:アカウズカサノ御イベ)」と記された御嶽があり「沖縄島諸祭神祝女類別表(明治15年頃)」には「城御嶽」と表記されています。この御嶽には「嘉陽城火神」と「嘉陽巫火神」が祀られていると伝わります。御嶽のイビである社の内部には3体のビジュル(霊石)と1基のウコール(香炉)が3組づつ祀られており、さらに前方に2基のウコール(香炉)も設置されています。そして社内部に向かって左端には「嘉陽ノロ」が祭祀を行う際に使用したと思われる石造りの手水鉢が現在も置かれています。旧暦9月20日に行われる「ハツカミンナディ/二十日水撫でぃ」の祭祀には、集落の「ヤマダガー」と呼ばれる川から水を汲んで御嶽に運んだと伝わっています。


(ミジガミ/水神の祠)

(ミジガミ/水神の祠内部)

(ニライカナイの神が髪を洗った池)

「嘉陽城嶽」がある「トゥン/殿」には、かつて広場周辺を左縄で張った「ピサインナー」という魔除けの儀式があったと伝わっています。現在「トゥン/殿」には「ミジガミ/水神」の祠が「ヤマダガー」の方角に向けて鎮座しており、祠内部には数体のビジュル(霊石)と、1基の石造りウコール(香炉)が祀られています。この「ミジガミ/水神」の祠の前方には、かつてニライカナイの神が御嶽に訪れた際に髪を洗ったと伝わる池があります。現在も芝生の中に存在する池には水が溜まっており「神の聖域」として集落の住民に崇められています。「嘉陽ノロ」が「嘉陽城嶽」の御嶽で祭祀を司る際に、この池に自分の姿を映して身を引き締めたとされています。


(紀元二千六百年祭記念碑)

(紀元二千六百年祭/寄付者芳名の碑)

(ウイグシク/上城中腹からの景色)

1940年(昭和15年)に「紀元二千六百年祭」を記念して「嘉陽城嶽」の本殿と鳥居が建立され、グスク頂上には「紀元二千六百年祭記念碑」と「寄付者芳名の碑」が設置されました。伝承によると「ウイグシク/上城」は「嘉陽大主(かよううふしゅ)」が現うるま市の「勝連」から移住して築き居住したグスクであると伝わります。名護市教育委員会によって「ウイグシク/上城」の発掘調査が行われ、11世紀後半から16世紀前半に掘られたとされる約500本分の柱などが見つかりました。さらに
中国産の青磁や白磁、徳之島のカムィヤキ、勾玉やガラス玉なども発掘されており「嘉陽集落」の発祥や歴史を研究する為に、現在も発掘調査が行われています。「ウイグシク/上城」からはNHK連続ドラマ小説「ちむどんどん」のロケ地となった「山原高校/美ら島自然学校/旧嘉陽小学校」や美しい東海岸の太平洋を見渡す絶景が広がっています。









最終更新日  2022.05.16 18:07:48
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2022.05.09
カテゴリ:名護市

(山原高校/美ら島自然学校/旧嘉陽小学校)

沖縄本島北部名護市の東海岸に太平洋を臨む「嘉陽(かよう)集落」があり、この集落の東側に「美ら島自然学校」があります。この学校は明治29年4月1日に「久志尋常小学校嘉陽分教場」として開校し、その後「嘉陽尋常小学校」から「嘉陽国民学校」と校名を変えて、昭和27年4月1日に「嘉陽小学校」と改称しました。そして平成21年3月31日に創立99年にて閉校し、現在の「美ら島自然学校」に生まれ変わりました。平成19年に角川映画「サウスバウンド」の撮影地に、平成21年にはTBSドラマ「今日も晴れ。異常なし」のロケ地となり、令和4年4月から放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」では「山原高校」としてロケ地に選ばれています。


(山原高校/旧嘉陽小学校のグランド)

(山原高校/旧嘉陽小学校の校舎)

(山原高校/旧嘉陽小学校のグランド)

「美ら島自然学校/旧嘉陽小学校」のグランドは「ちむどんどん」で比嘉暢子(黒島結菜)と陸上部キャプテンの新城正男(秋元龍太朗)がかけっこで競争するシーンで登場し、バックに映る特徴的な山と椰子の木が印象的です。劇中では就職活動が上手くいかずイライラする暢子に、正男がアドバイスするシーンでも登場します。この「美ら島自然学校」は"太平洋を望む豊かな環境で、誰もが学べる自然学校"をテーマにしており「一般の方・学校関係者の方・大学生や研究機関の方」を対象にした、誰でも無料で手軽に利用できる教育施設です。子供達に海の生き物を観察させたり、高校や大学の課題でヤンバルを調査したり、野外活動や調査研究の活動拠点として幅広く利用されています。


(山原高校/旧嘉陽小学校の校舎入り口)

(二宮金次郎の銅像)

(旧嘉陽小学校の校歌碑)

この「山原高校/旧嘉陽小学校」の校舎入り口も「ちむどんどん」に登場します。劇中ではBOSSの青い自動販売機と美ら島自然学校の表札は、木製の囲いで物置きとして隠されています。更に「嘉陽小学校」の校章である「嘉」の文字もCG処理されています。しかし、玄関脇のヤシの木は撮影当時と同じ枯れ具合のままでした。校舎入り口の近くにある木の下には沖縄では珍しい「二宮金次郎像」があり、銅像の脇には「旧嘉陽小学校」の校歌が刻まれた石碑が建立されています。校歌の作詞と作曲は沖縄県と鹿児島県で活躍した詩人・国文学者・教育者であった「新屋敷幸繁(しんやしきこうはん/ゆきしげ)」によるもので、歴史的かつ文化的にも価値がある校歌碑となっています。


(旧嘉陽小学校の校門)

(旧嘉陽小学校の校門)

(旧嘉陽中学校の校門)

「美ら島自然学校」の校門には現在でも「嘉陽小学校」の銘板が遺産として残されています。ちなみに「ちむどんどん」の劇中ではこの銘板はCG処理で消えています。また、この校門の脇には「嘉陽中学校」と彫られた古い校門が文化財として大切に保存されており、美しいテッポウユリが咲き誇っています。昭和23年の学制改革により学校は6・3・3制度になり、初等学校6年と中等学校3年に変更されました。その後、昭和27年に初等学校は小学校に、中等学校は中学校と改称されました。さらに、昭和47年に「嘉陽中学校・久志中学校・三原中学校・天仁屋中学校」が統合されて「嘉陽集落」から西側にある「久志集落」に新たに「久志中学校」が創立された歴史があります。


(キョウ)

(竜宮神の石碑)

「美ら島自然学校/旧嘉陽小学校」の東側に隣接する海に「キョウ」と呼ばれる尖った岩があります。「
キョウ」は「嘉陽集落」では古より"聖なる岩"といわれており、海からやって来た神が集落北東にある「ウイグシク(上城)」に訪れる際、この岩で一息つくといわれています。また「アブシバレー」という田畑の害虫を駆除する祭祀の際に「嘉陽ノロ(祝女)」が「キョウ」に渡り、芭蕉(バナナの木)の茎で作った虫舟に害虫を乗せて海の南の方向に流して祈願したと伝わります。「キョウ」にはかつて海の航海安全と豊漁を祈願する「竜宮神」が祀られていましたが、現在は「美ら島自然学校/旧嘉陽小学校」の校門近くに移動しており「竜宮神」の石碑が海に向けて建立されています。


(聖火宿泊碑)

(聖火宿泊の記念碑)

(聖火台)

「美ら島自然学校/旧嘉陽小学校」の校門脇には「聖火宿泊碑」「聖火宿泊記念碑」「聖火台」が設置されています。昭和39年9月7日に台湾から那覇に渡った「オリンピック東京大会」の聖火は、翌日の8日に那覇を出発して聖火リレーにより「嘉陽小学校」に到着しました。当時、聖火が灯された聖火台は現在も記念物として残されており「東京オリンピック2020」の際、2021年5月1日に再び「嘉陽集落」に聖火が到着して「おかえりなさい!聖火」の掛け声と共に同じ聖火台に火が灯されました。なお、当時建立された「聖火宿泊記念碑」には「一九六四年九月七日 オリンピック東京大会の聖火 当地宿泊を記念する」と刻まれています。実は台風で聖火の到着が1日遅れた為、事前に造られた石碑の修復が出来なかったという秘話があるのです。


(ウミガメの繁殖場)

(ウミガメ/タイマイ)

「美ら島自然学校/旧嘉陽小学校」の西側にはウミガメの繁殖場があり「タイマイ・アオウミガメ・アカウミガメ」の3種が特別な水槽で飼育されています。繁殖されている全てのウミガメは本部町の「沖縄美ら海水族館」がある「海洋博公園」で産まれたウミガメで、孵化(ふか)してから約1年間「美ら島自然学校」で飼育されます。産まれたばかりのウミガメは体長5cm (30g)で、約1年で体長18cm (900g)まで成長し、標識を付けて海に放流されます。「タイマイ」と呼ばれるウミガメはクチバシが尖っており、甲羅のりん板は瓦のように重なっています。さらに、甲羅の形はシソの葉型をしているのが特徴です。このように「旧嘉陽小学校」は新しく「美ら島自然学校」に名を変えて、沖縄の海洋生物やヤンバルの大自然を学べる教育施設に生まれ変わり、新たな歴史を歩み始めています。








最終更新日  2022.05.10 08:13:01
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2022.05.04
カテゴリ:名護市

(小浜の川神)

沖縄本島北部の東海岸沿いに名護市「天仁屋(てにや)集落」があります。この集落は貝塚時代から存在し、17世紀中頃の「琉球国絵図郷村帳」に「てぎな村」と記されています。「琉球国高究帳」(1635-1646年)では「てきな村」と記載されており、更に「琉球国由来記」(1713年)には「天仁屋村」と載せられています。この「琉球国高究帳」による当時の石高は28石余り(田24石余/うち永代荒地3石余含む畠3石余)であったと記録されています。「天仁屋集落」の東側に突き出た岬に「小浜の川神」と呼ばれる拝所があります。集落の北側にある農地の東側の森を約1キロほど進むと「小浜の川神」の祠が鎮座する岬に辿り着きます。


(小浜の川神の祠内部)

(小浜の川神の石碑)

(小浜の川神からの絶景)

東海岸の太平洋を臨む岬の崖縁に建立された祠内部には、神々が宿る3体のビジュルと呼ばれる霊石と3基のウコール(香炉)が祀られています。海の神、天の神、岬の神として「天仁屋集落」の東の守護神の役割があると考えられます。ヒラウコー(沖縄線香)を供えるウコールには賽銭が捧げられており、祠に向かって左側に隣接して「小浜の川神/天の川」と彫られた石碑が祀られています。この拝所の崖下には美しい絶景が広がっており、遥か彼方のニライカナイ(理想郷)を拝む事が出来ます。「天仁屋集落」に暮らす高齢の村人に挨拶した際に、この「小浜の川神」があるバンタ(岬)を訪れるよう紹介していただいた事に大変感謝しています。


(小浜の川神)

(小浜の川神から臨む天仁屋バン先)

「天仁屋集落」には「ユーヒナハナの洞窟」と呼ばれる伝説があります。「天仁屋公民館」から300mほど離れた場所に「ユーヒナハナ」と呼ばれる農地があり、そこには直径約3mの穴があります。その洞穴に那覇から来た「ジュリ」という人物が身を投げた事がありますが、その死体は遠く離れた「天仁屋岬」の浜に上がっていたと伝わります。「小浜の川神」の拝所は太陽が昇る東の水平線に向けられており、琉球における太陽信仰を象徴する場所として相応しい聖域となっています。この岬からは「天仁屋集落」の南側にある「天仁屋バン先」を眺める事が出来て、古から変わらぬ大自然の絶景が今でも広がっています。


(天仁屋竜宮神の石碑)

(天仁屋竜宮神の崖縁)

(天仁屋竜宮神の崖下にある滝)

「天仁屋集落」の南東側の崖に「天仁屋竜宮神」があり、大きなガジュマルの木の麓に「天仁屋竜宮神」と彫られた石碑が建立されています。石碑の前にはウコール(香炉)が祀られており、人々が拝する「イビ」となっています。「イビ」とは拝所や御嶽の最も重要な聖域で神が宿る場所を意味します。竜宮神には海の神様が祀られており、航海安全と豊漁を祈願する聖域として崇められています。「天仁屋竜宮神」の崖縁からはニライカナイがある東の海が広がっています。さらに「天仁屋竜宮神」の崖下には滝があり、滝壺に流れ込んだ聖水は「天仁屋の浜」から太平洋に注ぎ込まれます。この「天仁屋竜宮神」は「天仁屋集落」の南の守護神であると推測され、非常に神秘的な雰囲気に包まれています。


(天仁屋の浜の嘉陽層の褶曲)

(天仁屋の嘉陽層の褶曲)

「天仁屋集落」の南側にある「天仁屋の浜」に「嘉陽層の褶曲」と呼ばれる地層があります。褶曲(しゅうきょく)とは地層や岩体が長期間かけて力を受けて波のように曲がっている構造の事で、2012年に国指定天然記念物に登録されました。「嘉陽層」という地層は沖縄本島中部以北の東側に分布しており、砂岩・泥岩・層内礫岩および礫岩を伴い、それらが交互に重なっている地層の事です。約5400万年〜3700万年前に2000mを超える深海底に堆積したものと言われています。琉球列島の成り立ちを示す地層現象が保存された極めて重要な資料として、各教育機関で地学学習の場として利用されています。


(盗賊の洞窟)

(盗賊の洞窟)

「天仁屋の嘉陽層の褶曲」に隣接して「天仁屋の浜」には洞窟があり、この洞窟にまつわる「天仁屋集落」に伝わる「狩人と牛盗人」という民話があります。「
天仁屋」の集落がまだ無く一帯が深い森林だった頃、海岸の洞窟を住処にしている3〜4人の盗賊がいました。盗賊たちは近くの村から牛を盗み村人たちを困らせていました。ある日「嘉陽集落」の狩人が犬を連れて狩りをしていましたが、道に迷っているうちに「天仁屋」の海岸に出たのです。すると海岸の洞窟で盗賊たちが牛鍋を前にして酒を飲んでいるのが見えました。村人を困らせている盗賊はこいつらだと思った狩人は、犬をつかって盗賊たちを捕らえたのです。その時、狩人は辺りの地形や水利の良さを見て気に入り、村に帰ってそのことを話しました。それから「天仁屋」の開墾が始まり今の集落が始まったと伝わります。


(カムイ外伝のロケ地/天仁屋の浜)

(ちむどんどんのロケ地/天仁屋集落)

(ちむどんどんロケ地/有津川)

「天仁屋集落」は映画やドラマのロケ地としても知られています。「天仁屋の浜」は
白土三平の漫画を崔洋一監督が松山ケンイチ主演で実写映画化したアクション時代劇映画「カムイ外伝」(2009年)のロケ地になりました。2022年のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」のロケ地にもなりました。「天仁屋集落」北側の農道は小学校で熱を出して早退する、比嘉歌子(布施愛織)をおんぶして帰宅する比嘉優子(仲間由紀恵)が描かれています。更に「天仁屋集落」の北側の山の中に流れる「有津川」に架かる特徴のある橋もロケ地として使われました。沖縄が本土復帰する以前の設定であるドラマの舞台として、現在も沖縄の美しい原風景が「天仁屋」には残っているのです。








最終更新日  2022.05.09 14:43:11
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2022.04.30
カテゴリ:名護市

(天仁屋御嶽/天仁屋の宮)

沖縄本島北部の「名護市」北東部の東海岸沿いに「天仁屋(てにや)集落」があり、沖縄の方言で「ティンナ」とも呼ばれています。「天仁屋集落」の西側で天仁屋公民館の南側に「天仁屋原(てにやばる)遺跡」があります。この遺跡は「天仁屋」が発祥した初期集落と考えられており、グスク時代の土器片や中国製の青磁や青花、更に近世から近代に沖縄で作られた陶器などが発掘されている事から「天仁屋集落」の歴史や当時の人々の生活様式を知る上で重要な遺跡となっています。「天仁屋原遺跡」には「天仁屋御嶽」があり「天仁屋の宮」とも呼ばれており、集落の住民により拝まれています。


(天仁屋御嶽/天仁屋の宮の鳥居)

(天仁屋御嶽のイビ)

「天仁屋御嶽/天仁屋の宮」は「琉球国由来記(1713年)」に「アフラヤマ嶽/神名:コパヅカサノ御イベ」と記されており、ニガミ(根神)の崇み所であったと伝わります。ニガミ(根神)とは集落発祥のニーヤ(根家)から出たノロ(祝女)を意味します。「天仁屋集落」にはかつてニガミ(根神)、ウドゥイガミ(踊神)、サンナンモー(神人の小使い)、ニーブガミ(男神)と呼ばれる神役が存在していました。「天仁屋御嶽/天仁屋の宮」の鳥居を抜けた先には「天仁屋御嶽」のイビが鎮座しており、御嶽で最も重要な聖域であると崇められています。この御嶽は「天仁屋集落」の南西側にある「嘉陽ウイグシク(上城)」へのウトゥーシ(遥拝所)であるとされています。


(神アシアゲ/神アサギ)

(神アシアゲ/神アサギのウコール)

(神アシアゲ/神アサギ脇の拝所)

「天仁屋御嶽/天仁屋の宮」の敷地に琉球赤瓦屋根造りの「神アシアゲ/神アサギ」があります。「天仁屋集落」の祭祀は「天仁屋ニガミ(根神)」ではなく、集落の南西側にある「嘉陽(かよう)集落」の「嘉陽ノロ」の管轄で執り行われていました。祝女による祭祀は「神アシアゲ/神アサギ」で拝され、稲穂祭・稲作事始めの儀礼の年浴・祭りの物忌である柴指・芋祭のヲンナイ折目などの年中祭祀が司られていました。ノロによる祭祀において最も重要な聖域である「神アシアゲ/神アサギ」の内部にはウコール(香炉)が祀られ、更に脇にもウコールが設置された拝所があります。それぞれのウコールは「天仁屋」の浜に向けられて設置されています。


(ニガミヤー/根神屋)

(ニガミヤー/根神屋のヒヌカン)

「天仁屋御嶽/天仁屋の宮」の東側に道を挟んだ場所に「ニガミヤー/根神屋」があります。この建物は「天仁屋集落」の祝女である「ニガミ(根神)」が暮らした屋敷があった場所であると考えられ、建物内部には「ニガミ(根神)」のヒヌカン(火の神)が祀られています。ヒヌカンのは神が宿る三体の霊石と陶器のウコール(香炉)が設置されています。沖縄では古より家のかまどの神(火の神)を拝んだ風習があり、やがてかまどを模った3つの石を神体として拝むようになりました。ヒヌカンの霊石は人が普段立ち入らない場所から持ち帰り、その時に決して他人と会話をしてはいけない決まりがありました。更に、現在でもヒヌカンが祀られた拝所では絶対に文句を言ってはいけないと伝承されています。


(天仁屋ウッカーヌビジュル)

(ビジュルの神体)

「ウッカーヌビジュル」の霊石は「天仁屋集落」の東側を流れる「ウッカー」と呼ばれる川の中に鎮座しています。幅82センチ、高さ40センチのなだらかな山形の砂岩が川の中央に突き出ています。このビジュルは土手側にあった石が一晩で川の真ん中に移動したと伝わっています。ビジュルの前には3つのヒヌカン(火の神)石とウコール(香炉)が祀られており、このヒヌカン石は古老が人の踏んでいない海岸で拾い、竹篭で運んできたものを安置したと言われています。ビジュルを洪水などから守る為に造られた囲いは昭和3年10月18日に建てられ、当時のコンクリート建築を知る上で貴重な資料となっています。


(ウッカーヌビジュルへの階段)

(ウッカー)

「ウッカー」の清水は今日も懇々と流れており「天仁屋ウッカーヌビジュル」は旧暦1月3日のハチウクシ(初起こし)の行事で行われる、水の神様に感謝して水の恵みを祈願するカーウガンの時に住民により拝されています。その際に各家庭から供物を持ち寄り、子孫繁栄・雨乞い・五穀豊穣・海の航海安全などが祈願されます。また「天仁屋集落」の住民が旅に出る際にもビジュルが拝まれています。かつては天仁屋ニガミ(根神)やカミンチュ(神人)により拝されていましたが、現在では集落の長老女性が中心になり拝まれています。なお「天仁屋ウッカーヌビジュル」は名護市指定文化財/民族文化財に指定されています。


(ちむどんどん/ロケ地/西山原バス停)

(ちむどんどん/ロケ地/バスが名護に向かう道)

(ちむどんどん/ロケ地/4兄妹が抱き合う場所)

「天仁屋集落」の南側はサトウキビ畑や農地が広がってえり、NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」のロケ地として知られるようになりました。劇中ではヒロインの比嘉暢子(稲垣来泉)が東京に旅立つシーンで登場し「西山原」バス停、バスが名護に向かう道、去って行くバスを必死に追いかける兄妹、バスを停めて4兄妹が抱き合う家族の絆が描かれています。「ちむどんどん」の子供時代の最後を締め括る重要なシーンに「天仁屋集落」が使われており、沖縄本土復帰の7年前を描くシーンとして撮影されました。当時の沖縄の美しい原風景が「天仁屋集落」には現在でもそのまま残されているのです。








最終更新日  2022.05.01 10:37:07
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2022.04.24
カテゴリ:うるま市

(アクナ浜)

沖縄県中部のうるま市に「宮城島(みやぎじま)」と呼ばれる車で行ける離島があります。この島は「平安座島(ハナリ)」と「伊計島(イチハナリ)」に挟まれており「高離島(タカハナリ)」とも呼ばれています。また、地元では「ミヤグスクジマ」とも言われています。「宮城島」の東側の崖下に「アクナ浜」と呼ばれる天然の浜があり、2022年4月から放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」のロケ地として知られており、ドラマでは物語の重要な場面で登場する「シークワーサーの木」がある場所として有名になりました。この「シークワーサーの木」は撮影用に植樹されましたが、周辺のソテツの木、琉球石灰岩、亜熱帯植物は原風景のまま使われました。


(シークワーサーの木の場所)

(シークワーサーから右に進む道)

(シークワーサーの木から左に進む道)

「ちむどんどん」の第3話ではこの場所で「比嘉暢子」が必死に飛び跳ねてシークワーサーの実を取ろうとするシーンが特徴的です。そして「シークワーサーの木」から右に進む道は、東京から来た「青柳和彦」の父親である「青柳史彦」に「暢子」が始めて作った沖縄そばを食べに来るように誘う場面でも使われ「史彦」がこの道を進んで行くシーンがあります。更に「シークワーサーの木」から左に進む道は、第10話で「ねえ、手繋いで帰ろう」と「和彦」が「暢子」に手を繋がれて恥ずかしがり走り抜ける道です。撮影用に植えられた「シークワーサーの木」は現在は存在していなく、緑豊かな雑草でこんもり覆われています。


(シークワーサーの木の場所)

(暢子が男子生徒に馬鹿にされる場所)

(暢子が荷物を置き忘れた小岩)

「ちむどんどん」第5話でもこの「アクナ浜」が登場します。「シークワーサーの木」の左側をバックに「暢子」が学校の男子生徒2人に「おてんばは結婚できないってよ!おてんば暢子〜!」と馬鹿にされる場所でも有名です。その直後「暢子」は初めて自分でシークワーサーの木の枝から実を取る事が出来て「お父ちゃ〜ん!自分で取れたよ〜!」と海に向かって叫ぶ場面も印象に残るシーンです。そして「暢子」は嬉しさと共に急いで学校に行こうと走り出すのですが、自分の荷物を忘れた事に気付き戻って来ます。その時に「暢子」の青い荷物が置かれていた小岩は今でもこの場所に現存しています。


(4兄妹が走ってくる道)

(シークワーサーの木の場所)

(4兄妹が走り抜ける道)

「ちむどんどん」第5話では父親の「比嘉賢三」が倒れてた知らせを聞き、4兄妹が学校から家まで懸命に走り抜けるシーンで使われた道があります。「シークワーサーの木」を通り過ぎる時に長女の「良子」が足が遅い三女の「歌子」に「歌子、早く!」と叫んでいます。ドラマではドローンにより空撮されていましたが、画像は必死に走る4兄妹の目線に映っていた風景です。ドラマの舞台は沖縄本島北部のヤンバル(山原)ですが、沖縄本島中部うるま市の離島にも「アクナ浜」のような大自然が、今でも残っている事は美しい沖縄を象徴しています。それまで「アクナ浜」は地元住民のみが知る浜でした。しかし今回ドラマのロケ地に採用された事は非常に素晴らしい事で、魅力的な沖縄の美しい原風景が残っている証拠です。


(シークワーサーの木の下の岩)

(岩に置かれた4つの貝殻)

(アクナ浜)

「ちむどんどん」のドラマで最も重要な場面の一つである「シークワーサーの木」の下には一際目立つ琉球石灰岩があり、ドラマでもその岩を確認する事が出来ます。現在、この岩塊は生い茂る雑草の中に埋もれていますが、岩の上に4つの貝殻が置かれているのを偶然発見しました。ドラマの「比嘉家」は長男「賢秀」長女「良子」次女でヒロインの「暢子」三女「歌子」の4兄妹です。この4つの貝殻はドラマの4兄妹と何か関連があるのでしょうか?真相は分かりませんが、偶然すぎる4つの貝殻の存在に今後のドラマの進展が楽しみになります。現在「ちむどんどん」は第10話が終了したばかりで、今後もこの「アクナ浜」の「シークワーサーの木」が要所で登場する事が予想されて楽しみです。







最終更新日  2022.04.27 19:17:48
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2022.04.18
カテゴリ:うるま市

(クーガー/古河)

沖縄本島中部のうるま市に「東恩納(ひがしおんな)集落」があります。うるま市は平成17年(2005年)4月1日に具志川市・石川市・勝連町・与那城町が合併して生まれた市で「東恩納集落」は石川市にありました。この集落の中央部に「チチグシクウタキ(嵩城嶽)」があり、御嶽の祠に隣接して「クーガー(古河)」という井泉があります。この名称から「東恩納集落」で最も古いカー(井泉)であると考えられ「クーガー(古河)」は「ウブガー(産河)」とも呼ばれています。集落で子供が産まれた際にこの井戸の水を汲みウブミジ(産水)として利用していました。更にウブミジを赤ちゃんの額に三度撫でる「ウビナディ」という儀式で健康祈願をしていました。


(クーガー/古河)

(クーガー/古河のウコール)

「クーガー(古河)」は井戸を中心に5段に渡り円形に石が積まれ、高度な石積み技術により現在も美しい姿が健在しています。井戸の東側に入り口の石門が設けられ、西側の石積み3段目にウコール(香炉)が祀られています。集落の生活に欠かす事が出来ない水の恵みに、住民は線香を備えて拝していました。水の神様を崇める聖地として現在も「カーウガン」で祈られ大切にされています。琉球国由来記(1713年)にも記されている「チチグシクウタキ(嵩城嶽)」に隣接している聖域として「クーガー(古河)」は生活用水や産水に限られた井泉であり、野菜洗いや洗濯に利用する事は禁じられていたと考えられます。


(東恩納ヌール墓の丘陵)

(東恩納ヌール墓の石碑)

(東恩納ヌール墓)

「クーガー(古河)」の北東側にある森の丘陵中腹に「東恩納ヌール墓」と呼ばれる歴代の「東恩納ノロ(祝女)」の遺骨が納められた古墓があります。1957(昭和32)年に米軍海兵隊「ナイキ・ハーキュリーズ」ミサイル基地の設置の為、西側にある「青木原(あおきばる)」の土地に墓が移設される際に12基の石棺と12基の厨子甕が確認されました。その後、1989(平成元)年頃にノロの遺骨は現在の元の墓に戻されました。丘陵中腹の自然洞窟を利用したノロ墓は入り口を石積みで塞がれ、門石の前にはウコール(香炉)と霊石が祀られています。東恩納ノロは「東恩納集落」と西側に隣接する「楚南集落」の2つのシマを管轄した由緒あるノロとして、両集落の祭祀を纏めて司っていました。


(シチャヌカーの森)

(シチャヌカー)

「東恩納ヌール墓」の南側で「高原ゴルフクラブ」のクラブハウスの東側に「シチャヌカー」があります。このゴルフコース北側で、4番ホール脇の崖下に深い森があり「シチャヌカー」があり沖縄の言葉で「下の井戸」を意味します。「高原ゴルフクラブ」のスタッフが「シチャヌカー」まで車で案内してくれたお陰で訪れる事が出来て非常に感謝しています。現在も湧き出る「シチャヌカー」の豊富な水は周辺の農業用水として利用され、昔から部落の人々の生活を支えてきました。飲料用水の他にも収穫した野菜を洗ったり、馬や牛に水を与えたり、農業用具を洗ったりする為に重宝したと考えられます。


(ハチジャーの水源)

(ハチジャーの溜池)

(ハチジャーの水)

「東恩納集落」の西側に「東恩納青木原」と呼ばれる土地があり、その更に西側の森に「ハチジャー」と呼ばれる井泉があります。比較的規模の大きな井泉で崖下の岩間から湧き出る豊潤な水は溜池に貯められ、溢れ出る水は西側に続く水路を流れてゆきます。「ハチジャー」周辺は田芋やクレソンを栽培する広大な畑が広がり、井戸の水の恵みが豊かな土壌と作物の豊穣を生み出しています。周囲の森には古い墓群があり、昔から風葬が行われる神聖な場所として崇められていたと考えられます。同時に収穫した野菜や農具を洗ったり、馬や牛の水浴び場としても利用されていたと推測されます。


(シカガン/世界河の祠)

(シカガン/世界河の井戸)

(シカガン/世界河の祠内部)

「ハチジャー」の北東側にはかつて「東恩納闘牛場」があり大勢の観客を集めて賑わいました。この闘牛場の南側にある森の麓に「シカガン」と呼ばれる井戸があり、漢字で「世界河」と表記します。隣接する森の丘陵から滲み出た水が湧き出ており、井戸は現在も枯れる事なく水が溜まっています。井戸には祠が建てられていて内部には石造りウコール(香炉)が祀られています。井戸の水に感謝する住民が現在でもヒラウコー(沖縄線香)やお賽銭をお供えして拝しています。この井戸の敷地が広いため、かつては飲料用水の他にも水浴びや衣類の洗濯にも利用されていた井戸であったと考えられます。


(クーガー/古河のモクマオウ)

(知事校舎跡のフクギ並木)

「東恩納集落」のある旧石川市地区では「みどりと水に包まれた彩りとふれあいのまち」をモットーにしており、樹木の保護と植樹活動が積極的に行われています。「クーガー/古河」の「モクマオウ」の
原産地はオーストラリアで、東南アジアから太平洋諸島に広く分布している樹木です。昔、防風林や防潮林として自生していなかった沖縄に入り、その後に野生化したと言われています。また、かつて東恩納公民館の向かいには沖縄県知事の迎賓館として利用された「旧知事校舎跡」があり、この敷地に現在も自生する美しい「フクギ並木」も保護樹木の対象として「東恩納集落」の景観と共に大切に守られているのです。








最終更新日  2022.04.18 17:07:57
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2022.04.14
カテゴリ:うるま市

(イーヌ御嶽/ヨセ森)

沖縄本島中部のうるま市北部(旧石川市)の東海岸沿いに「東恩納(ひがしおんな)集落」があります。この集落は沖縄貝塚時代前期〜中期(縄文時代後期)の遺跡があるほど歴史が古く「大山式・室川式・室川上層式・カヤウチバンダ式・宇佐浜式土器・グスク土器」が出土され「石器・貝製品・骨製品」も発見されています。「東恩納集落」の4箇所に御嶽があり、1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」には「ヨセ森(イーヌ御嶽)」「嵩城嶽(チチグシクウタキ)」「金謝敷嶽(カンジャシチウタキ)」「雲古嶽(クモコウタキ)」が記されています。「東恩納集落」の北側には「ヨセ森(イーヌ御嶽)」の丘陵があり拝所の祠が設けられています。


(ヨセ森/イーヌ御嶽の祠内部)

(ヨセ森/イーヌ御嶽のイビ)

(ヨセ森/イーヌ御嶽のガジュマル)

丘陵の麓にある「ヨセ森(イーヌ御嶽)」の祠内部にはウコール(高炉)が祀られておりヒラウコー(沖縄線香)が供えられています。この祠は御嶽の遥拝所としての役割があり、森に鎮座する巨岩に向けて建立されています。この巨岩こそが御嶽の「イビ」であると考えられ、神が宿る聖域として崇められています。「イビ」とは「イベ」とも呼ばれ、御嶽の中で最も重要かつ神聖な場所を意味しています。また「ヨセ森(イーヌ御嶽)」は「琉球国由来記(1713年)」に神名「イシノ御イベ」と記されています。ちなみに「イシノ御イベ」とは霊石を守護神とする沖縄における「霊石信仰」の事を意味しています。


(嵩城嶽/チチグシクウタキ)

(御嶽の祠内部)

「東恩納集落」の中央部で、県道255号(石川池原線)と県道75号(沖縄石川線)の交差点に「嵩城嶽(チチグシクウタキ)」があります。かつてこの地には「嵩城(チチグシク)」と呼ばれるグスク(城)があったと考えられ、この地に祀られたイビ(霊石)に神が宿るとして、住民の祈りの対象となったと思われます。「琉球国由来記(1713年)」には「嵩城嶽/神名:イシノ御イベ」と記されており、祠内部には御嶽のイビ(霊石)が鎮座しています。この御嶽も「ヨセ森(イーヌ御嶽)」同様に「東恩納ノロ(祝女)」により祭祀が執り行われていました。かつて「東恩納ノロ」は「美里間切」に属する「東恩納集落」と、西側に隣接する「楚南(そなん)集落」の2つのムラ(集落)を管轄していました。


(金謝敷嶽/カンジャシチウタキ)

(アガリ/東恩納之殿)

(金謝敷嶽/カンジャシチウタキのシーサー)

東恩納公民館の南側に「金謝敷嶽(カンジャシチウタキ)」の社があり、この御嶽も「琉球国由来記(1713年)」に「カンジャシチ嶽/神名:イシノ御イベ」と記載されています。「琉球史辞典(1993年)」には「威部(イベ)は沖縄の御嶽の中で最も重要な部分、イベは神のよりまし、つきしろで、所謂神を斎くところである」と記述されています。「金謝敷嶽(カンジャシチウタキ)」の隣には「アガリ」と呼ばれる「東恩納之殿」の社があります。「殿(トゥン)」とは集落の住民による年中行事が執り行われる集落の中心的な場所であり、現在でも「清明祭」「旧暦五月六月ウマチー」「十五夜ウスデーク」「清明祭」「旧盆」「獅子舞」「カー拝み」「旧正月」などで拝されています。


(雲古嶽/クモコウタキ)

(雲古嶽/クモコウタキの祠内部)

(雲古嶽/クモコウタキ)

東恩納公民館の北側敷地内の斜面に「雲古嶽(クモコウタキ)」の森があり、丘陵の中腹に祠が建立されています。琉球国由来記(1713年)には「クモコ嶽/神名:イシノ御イベ」と記されており、祠内部には霊石3体とウコール(高炉)が1基祀られています。沖縄において「3」には深い意味が込められており、沖縄を創造した「天・地・海」または「今が世・中が世・御先世」の3つの世を示しています。この3つの要素を3つの霊石に宿らせた「ビジュル」が沖縄に於ける「霊石信仰」の原理となっているのです。「ビジュル」とは豊作、豊漁、子授けなど様々な祈願がなされる「霊石信仰」の対象で、16羅漢の一つの「賓頭盧(びんずる)」から由来し、主に自然石が拝所やヒヌカン(火の神)に祀られています。


(雲古嶽/クモコウタキのイビ)

(東恩納ノロ殿内)

(神下毛/虎毛/カンサギモー)

「雲古嶽(クモコウタキ)」を祀る祠の裏手に急勾配の丘陵があり、この森の頂上には御嶽のイビである大岩が鎮座しています。「雲古嶽(クモコウタキ)」の西側に「東恩納ノロ殿内」があり、建物の内部には「東恩納巫火神」が祀られています。「ノロ殿内」とは琉球王府から任命されたノロ(祝女)が住んだ場所で「ヌンドゥンチ」とも呼ばれています。また、東恩納公民館の敷地内に「神下毛(虎毛)」の祠があり「カンサギモー」と呼ばれるこの地には、かつて「東恩納ノロ」の「神アサギ(カミアシャギ)」があったと考えられます。「東恩納集落」と「楚南集落」の2つのムラを管轄した「東恩納ノロ」が集落の祭祀を執り行った「神アサギ」が存在した「カンサギモー」は集落の祭祀において最も重要な場所として現在も聖域として崇められているのです。







最終更新日  2022.04.17 16:40:13
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2022.04.09
カテゴリ:北谷町

(上勢頭井戸の合祀所)

沖縄本島中部の「北谷(ちゃたん)町」北東側に「上勢頭(かみせど)集落」があります。この集落は沖縄戦以前は「上勢頭屋取集落」として繁栄していましたが、戦後は米軍嘉手納基地に集落の3分の2の土地を接収され、住民は強制的に他集落に分散して暮らしています。今でも集落にルーツを持つ人々は団結して「上勢頭屋取集落」の文化財を大切に守り続けています。現在の「上勢頭集落」の北側で米軍嘉手納基地フェンスに隣接する場所に「上勢頭井戸の合祀所」があり、米軍嘉手納基地の敷地に分散する「上勢頭屋取集落」の井戸を遥拝する石碑が6基建立されており「カーウガン」で拝する住民が訪れる聖域となっています。


(かー小の石碑)

(いなみぬかーの石碑)

(いーま小ぬめーぬかーの石碑)

「上勢頭井戸の合祀所」に向かって左から「かー小」「いなみぬかー」「いーま小ぬめーぬかー」の石碑が建立されています。「上勢頭屋取(ウィーシードゥヤードゥイ)」は今から200年以上前に「首里・那覇・泊・久米」からヨカッチュ(良人)と呼ばれる士族が入植して発展した「屋取集落」で、後に生まれた「下勢頭屋取(シチャシードゥヤードゥイ)」と合わせて「勢頭七組」と称されました。「田仲組・稲嶺国・瑞慶覧組・与那覇組・喜友名組・勝連組・佐久川屋取」で構成された「勢頭七組」は、その後10組まで増えて「上勢頭/下勢頭」の行政としてそれぞれ区長が置かれるようになりました。集落は主に農業で栄え、芋やサトウキビの栽培には集落の井戸水が農業用水として活用されていました。


(いなみ小ぬかーの石碑)

(みーがーの石碑)

(ふえぬかーの石碑)

更に「上勢頭井戸の合祀所」の向かって右から「いなみ小ぬかー」「みーがー」「ふえぬかー」の石碑が建立されています。「みーがー」は共同の「ニーブガー」と呼ばれる浅い井戸で、飲料水として「喜友名組」と「勢理客組」が利用していました。「ふえぬかー」は「喜友名組」の区域にあり、周辺住民の生活用水として重要な井戸でした。「ふえぬかー」は「上勢頭屋取」の「ウブガー(産井戸)」の一つで、集落で子供が生まれた時に産水として使用されました。「上勢頭屋取」では農業の他にも副業として「カマンタ」や「バーキ」と呼ばれる竹細工の生産が盛んで「シードゥカマンタ」と称され、仲買人や行商人により那覇やヤンバル(山原)に出荷されるほど有名でした。


(下勢頭集落の合祀所)

「上勢頭集落」の東側の丘に「下勢頭集落の合祀所」があります。「下勢頭集落」は「上勢頭集落」の北側に位置し、土地の全てが米軍嘉手納基地の敷地内にあります。そのため「上勢頭集落」から眺める事ができる丘の上に遥拝所が設けられています。「下勢頭集落の合祀所」には「アシビナージー」「ユシミヌ神/四隅の神」「ハナグスクヌメーヌカー」「水ヌ神」が合祀されています。「アシビナージー」はかつて「下勢頭集落」と「上勢頭集落」の境界近くに「シードゥヌシー」と呼ばれる岩塔があり、その北側には「下勢頭集落」のアシビナー(遊び庭)がありました。旧暦12月24日のウガンブトゥチ(御顔解き)や2月2日のニングヮチャー(クスユックイ)などの祈願の際に拝されています。


(南無諸大明神の石碑)

(
年豊人楽とウコール)

「下勢頭集落」では旧暦12月24日にムラの有志らによるウガンブトゥチ(御願解き)の行事が行われた。「ユシミヌ神(四隅の神)」と呼ばれる東方の「持國天王」西方の「廣目天王」南方の「増長天王」北方の「多聞天王」へは、この行事に祈願を行なっていたと伝わり、この「四天王」は仏教における東西南北を守護する四人の神を意味します。「南無諸大明神の石碑」の土台には「年豊人楽」と刻まれておりウコール(香炉)が祀られています。これは「年豊かに人楽しむ」の意味で集落の五穀豊穣を祈願しています。現在「ユシミヌ神」は「アシビナージー」と併せて祀られています。


(御通し所/遥拝所の石碑)

「下勢頭集落の合祀所」には「御通し所(遥拝所)」と彫られた石碑が建立されています。現在、米軍嘉手納基地の敷地内にある「下勢頭屋取集落」にはかつて屋号「ハナグスクヌ(花城)」の屋敷前にカー(井戸)があり「ハナグスクヌメーヌカー」と呼ばれていました。更に屋号「山佐久川」の屋敷の東側には、村人が野良仕事からの帰り農具や野菜を洗う約100坪の大きな池(ウフグムイ)がありました。人々はこの池を「ミジヌ神(水の神)」として崇めていたと伝わります。現在は旧暦12月24日に「旧字下勢頭郷友会」の有志らにより「お通し所(遥拝所)」からお通し拝みが行われています。


(ウキンジュガー/受水ガー)

(ウキンジュガーのウコール)

(ウドゥンジーミチ/御殿地道)

「上勢頭屋取集落」の南側に「ウキンジュガー(受水ガー)」と呼ばれる井戸があります。「御殿地組」の新屋小の南側、現在の北谷町立北谷第二小学校の北側にある土手の下に「ウキンジュガー」はニーブガー(浅い井戸)で柄杓を使って水を汲んでいました。水量が豊富で旱魃の際にも水が枯れる事がなく、遠く離れた集落から水を汲む人々が訪れました。「ウキンジュガー」の北側には「ウドゥンジーミチ(御殿地道)」と呼ばれる「御殿地組」の土地を東西に通る道があります。西側に隣接する「桑江(クェー)集落」に近い方は「ナルカーミチ」とも呼ばれており、現在の県立北谷高校と北谷ゴルフ練習場の間を西海岸に向けて続いていました。


(トゥクガーシー)

(上勢頭北公園)

(拓/竣工記念碑)

米軍嘉手納基地の敷地内の「下勢頭屋取集落」南側に「トゥクガーシー」と呼ばれる岩山があります。元々は風葬に利用されていた丘陵でしたが、沖縄戦の際には「トゥクガーシー」の自然壕に旧日本軍の監視哨が置かれました。現在の「上勢頭集落」の北側に「上勢頭北公園」があり「拓」と刻まれた竣工記念碑が建立されています。第二次世界大戦の敗戦により接収されていた「上勢頭屋取集落」の土地は1970年に3分の1ほど返還されました。1973年には本土復帰に伴う記念国民体育祭「若夏国体」が開催され、国道58号線から沖縄市へ通じて「上勢頭集落」を横断する県道23号線(国体道路)が開通しました。この碑は「上勢頭」地域の発展を祈願して建立されています。








最終更新日  2022.04.09 17:16:05
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2022.04.04
カテゴリ:沖縄市

(シーサー/石獅子)

沖縄本島中部の沖縄市南西部に「山里(やまざと)集落」があります。この集落は南北に約1キロ、東西に約500メートルの小さなムラで、隣接する「山内集落」と「諸見里集落」から分離独立した「屋取(ヤードゥイ)集落」です。「屋取集落」とは近世後期に政治、経済、文化の中心地域であった首里、那覇から「士族帰農」として士族が地方へ都落ちし、人里離れた地に仮小屋に住みながら荒地を開墾した集落を言います。「屋取」は「他の土地に宿る」の意味で、居住人と呼ばれた士族が寄り集まり次第に集落を形成して行きました。沖縄にはこのような「屋取集落」が130余存在すると言われています。


(シーサー/石獅子)

「山里集落」の東側にウスクギー(アコウ)の古木があり、麓に琉球石灰岩で造られた「シーサー(石獅子)」が鎮座しています。この「シーサー」は東側に隣接する北中城村「島袋集落」に向いて設置されており、その昔「島袋集落」で火事が多く「山里集落」に飛び火しないように「ヒーゲーシ(火返し)」の願いを込めて据えられたと伝わります。このような意味を込めた「シーサー」は沖縄の各集落の出入口や外れに魔除けや火返しの願いを込めて設置されていました。「山里集落」の「シーサー」は琉球王国の時代から集落を守っていると言われています。


(山里ビジュルの碑)

(ヒヤーナー)

(破損した石碑)

「山里集落」の東側に「ヒヤーナー」と呼ばれる場所があり「ビジュル」が祀られた祠が建立されています。この拝所は「山里集落」の南側に4キロ程離れた「普天満宮」を拝する遥拝所として知られています。「ビジュル」とは神が宿る「霊石」を意味し、主に沖縄本島でみられる霊石信仰の対象で豊作、豊漁、子授けなど様々な祈願がなされます。16羅漢の1つの「賓頭盧(びんずる)」に由来して「霊石」と崇める自然石が拝所に祀られています。「ヒヤーナー」の敷地内には破損した石碑があり「竜宮神、天孫子、水神」と記されているのが確認できます。「天孫子(天孫氏)」は琉球最初の王統とされる氏族として知られています。


(祠のウコール)

(祠右側の霊石)

(祠左側の霊石)

「ヒヤーナー」の拝所は宜野湾市にある琉球八社の1つである「普天満宮」を拝する遥拝所です。「山里集落」の土地神は「普天満宮」であり、屋取集落として首里や那覇から移住してきた士族の主要な神社であったと考えられます。「ヒヤーナー」の祠にはウコール(香炉)が設置され、左右には様々な形をした霊石が祀られています。沖縄における霊石信仰は昔から人々の生活に浸透しており「石敢當」「石獅子」「ヒヌカン(火の神)」も神が宿る霊石として崇められて来ました。「琉球国由来記(1713年)」によると「普天満宮」は洞窟の中にあり、そこには「八箇霊跡」と言われる「白鶴岩・明王石・獅子座・龍臥石・神亀岩・鷹居石・洞羊岩・大悲石」と称される霊石が祀られています。


(山里都市緑地)

(並里カー)

(ナカマチガーの祠)

(ナカマチガー)

「山里集落」の北側に「山里都市緑地」の森があります。森の北側には「並里カー」と呼ばれる井戸があり石碑が建立されています。現在、この井戸の水は周辺の農業用水として活用されています。「波里カー」の西側には「ナカマチガー」と呼ばれる井戸があり豊富な水が懇々と湧き出ています。この井戸は「ナカマチペーチン」と言う人物により造られたと伝わり元々は石囲いの井戸だったと言われています。「ナカマチガー」周辺の住民は子供が生まれた時に産水として利用し、さらに旧正月元旦には若水を汲み一年の健康を祈願しました。










最終更新日  2022.04.04 17:31:11
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2022.03.30
カテゴリ:沖縄市

(山ももの歌の歌碑)

沖縄本島中部の沖縄市「山内(やまうち)集落」は、第二尚氏王統の初代国王「尚円王」(在位:1469-1476年)と「平安山(へんざん)集落」のノロ(祝女)であった「金満(真加戸)」の間に生まれた「山内昌信(やまうちしょうしん)」を始祖とするムラです。「山内昌信」が琉球王府に仕えている時、中国から楊梅(ヤマモモ)を持ち帰り集落に植えた木が集落中に広がったと伝わっています。「モモヤマの里」と呼ばれる「山内集落」の公民館に「山ももの歌」の歌碑が建立されており、ヤマモモの木は「金のなる木」として集落の名産物として広く知られていました。かつて旧暦3月は「ムムサングヮチ」と呼ばれた山モモの最盛期で住民の生活に繁栄をもたらしました。


(桃山公園)



「山内集落」の北側に「桃山公園」があり周辺住民の憩いの場として親しまれています。さらに集落を南北に横断する「ももやま通り」があり、住民の生活に欠かせない主要な道路となっています。かつて山モモ収穫の季節になると「山内集落」は収穫する村人や山モモを売る「ムムウイアングヮー(モモ売り姉さん)」で活気付き、その様子を見物する観光客で賑わいました。収穫した山モモは「大山集落(現宜野湾市)」周辺の「ムチャー」と呼ばれる仲買人が山モモを買い取り那覇に運びました。「ムチャー」たちは首里や那覇の町々を廻り「ムムコーインソーレータイ(山モモを買って下さい)」と呼びかけて山モモを売りさばいたと語り継がれています。


(イリーガー/クシントーガー)

(イリーガー/クシントーガー)

「山内集落」の最北端に琉球ゴールデンキングスの本拠地である「沖縄アリーナ」があり、敷地内には「イリーガー(西り川)」の井戸があり「クシントーガー」とも呼ばれています。「沖縄アリーナ」が建設される以前は沖縄自動車道の工事に伴い、かつてこの地にあった「沖縄市営闘牛場」の南側に移設されていました。その昔、落武者が「イリーガー」の水を頼って住み着いた」と口碑が伝わり「山内集落」発祥の地と言われています。更に約500年前、集落周辺で7カ月余り雨が降らなかった時期に、住民が「イリーガー」の水を飲んで命を繋いだとされています。「イリーガー」にはウコール(香炉)が祀られており「ウガミガー(拝み井戸)」となっています。


(シリンカーヌカー/イーザクヌカー)

(シリンカーヌカー/イーザクヌカー)

「山内集落」の北東側に「シリンカーヌカー(尻ン川)」があり「イーザクヌカー」とも呼ばれています。「イリーガー」の南側に位置しており、同様に約500年前の大旱ばつの際に住民の命を救った井戸です。この井戸も沖縄自動車道の工事により、かつてこの地にあった「沖縄少年院」の西側に移設されました。「シリンカーヌカー」は旧暦12月24日の「屋敷ウガン」の際に住民に拝まれ、更に旧正月元旦には井戸から若水を汲んでいました。「屋敷ウガン」とは、神様から借りている土地に住まわせて頂いているお礼と、悪霊が入らないように家の四隅に結界を張るウガン(御願)で「シリンカーヌカー」も水への感謝として拝されています。


(メーヌカー/イリーガー)

(メーヌカー/イリーガー)

「山内公民館」の西側に「メーヌカー」があり、集落のアガリ(東側)に住む住民は「イリーガー」と呼んでいました。「山内集落」で最も古い井戸の一つで集落で子供が産まれた時、この井戸の水を産水として利用した「ウブガー」でもありました。旧正月元旦には若水を汲んで茶を沸かし一年の健康祈願をし、更に「シリンカーヌカー」と共に旧暦12月24日の「屋敷ウガン」の際に拝まれています。また「ウスデーク」と呼ばれる女性のみで行われる円陣舞踊の伝統行事では、集落の五穀豊穣と住民の健康に感謝するウガン(御願)が行われます。「メーヌカー」は南東側の「山内大明神」に向けて祠が建てられおり「ウガミカー」として大切に拝されています。


(アガリガー/メーアガリガー)

(タカミガー/高嶺川公園)

(アガリガーの石碑)

(ウコールとフーフダ)

「山内集落」の南側の「タカミガー(高嶺川)公園」に「アガリガー」があり「メーアガリガー」とも呼ばれています。「メーヌカー」同様に旧暦12月24日の「屋敷ウガン」や旧暦8月10日の「ウスデーク」の際に拝されています。「アガリガー」のウコール(香炉)には神様が宿るとされる木製の「フーフダ」と呼ばれる呪符が供えられており「祓比給布 奉祝辞 寒言神尊利根陀見 普天満宮守護 西 清米玉布」と記されています。悪霊を追い払う役割がある呪符で屋敷の四隅に祀られ、この普天満宮が配布した呪符は屋敷の西側用の「フーフダ」であると考えられます。「祓比給布」は「祓い賜う」を意味し「清米玉布」は「清め賜う」を意味します。


(山内の越来節の歌碑)

(越来節の碑)

(越来1丁目の越来節之碑)

「山内集落」の中心部にある「山内大明神」のお宮がある敷地に「越来節(ぐぃーくぶし)の碑」が建立されています。全17節ある「越来節」のうち後半の11節から17節までの歌詞が石碑に刻まれています。「越来節」は今から500年以上前、琉球王朝の役人が娘を誘いモーアシビ(毛遊び)に出かける男女の恋を17節に渡り謳っています。「越来節」は沖縄市の「越来集落」で生まれた歌で、歌に登場する役人は「山内集落」の始祖「山内昌信」の3代目子孫「富里」という「越来番所」の文子(書記官)で、娘は「越来集落」の「大前仲宗根」の一人娘「真鶴」です。「越来節」は当時のモーアシビ(毛遊び)の様子を克明に表現した歴史的価値の高い歌として知られており、前半の1節から10節の歌詞が刻まれた歌碑は現在、沖縄市越来1丁目に建立されています。









最終更新日  2022.03.30 17:05:26
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